第13話 悪い噂

茹だるような暑さの中、俺はバイトに勤しんでいた。

俺のバイトは建設会社の事務だ。

基本的に長時間立っているのはキツいため、できる仕事が限られている。


「井戸くん、ちょっと入力お願いできる?」


「あ、はい」


経理の古川さんに呼ばれて資料を受け取る。

社内でも人気の古川さんとお近づきになりたい社員が結構いるらしく、彼女と話してるとどこかしらか視線を感じる。


「で、ここまでが今月分だから。時間までに終われそうになかったら声かけてね。できるところまででいいからね」


そう言われると無理してでも終わらせたくなるんだよな。


「終わらせます」


もともと負けず嫌いの俺に中途半端でもいいという言葉はあり得ない。


「うん。でも無理してミスらないようにね」


別れ際にポンと肩を叩かれた。

その瞬間、周りからの圧力が増した。


「先輩、俺無事に帰れますかね?」


「なんのことかな後輩くん?」


大学のOGでもあるこの人は、俺が後輩ってこともあるのか、こうやってからかってくる。未婚男性のみなさんが怖いので勘弁して欲しいくらいだ。


「仕事戻ります」


「はい、よろしくね」


♢♢♢♢♢


「ただいま」


部屋に入るとすでに香奈が来ていたらしく、美味しそうなにおいが部屋中に漂っていた。


「おかえり」


エプロン姿の香奈がキッチンからパタパタと走ってきたので、そのまま抱きとめた。


「今日は俺の方が早いと思ったのになぁ」


外では滅多に着ないノースリーブとホットパンツという艶かしい服装の上からのエプロン。今夜もすぐには寝かせてもらえないみたいだ。


「うん。午前中の取材が順調だったみたいで他の仕事も早めに片付いたんだって。夏希さんがお祝いだ〜って言ってみんなをご飯に誘ってくれたんだけど、淳平といたかったから帰ってきちゃった」


ペロッと小さく舌を出して微笑する香奈。


「編集長さんの誘い断って大丈夫なのか?」


夏希さんとはGWに伊勢で会った後に一度食事に誘われた。そこに経理の古川さんもいてお互いに驚いたわけだが、実は2人が義姉妹だということが判明した。世間は広いようで狭い。


「うん。夏希さんは何があっても彼氏を優先しなさいって。おかしいよね」


思い出し笑いをしているのだろう。俺の腕の中で香奈がクスクスと笑っている。


「あ、淳平。いまさだけどご飯にする?お風呂にする?それとも—」


「まずは飯からでお願いします」


「……最後まで言わせてよ」


「メインディッシュは最後だろ」


♢♢♢♢♢


「ところで香奈。就活どうしてるんだ?」


ご飯を食べ終わり洗い物をしながら隣で食器を拭いている香奈に話しかけた。


「うん?あれ?まだ話してなかったっけ?」


身体をびくっとさせたせいで皿を落としそうになっていたが間一髪、空中でキャッチした。


「あっぶな〜。おお、まだ聞いてなかったよな?実家には戻らないんだろ?」


「もちろん、淳平と離れるなんて考えられないもん」


むぎゅっと抱きついてくる香奈。

びしょ濡れの手じゃ抱きしめてやることもできない。


「まあ、俺も離れるつもりはないけど具体的にはどうするんだ?」


「うん。将来的にはお嫁さんなんだけどね?夏希さんがうちにこないって言ってくれてるの」


なるほど。バイトから正社員という理想的な展開だな。正直言ってうらやましい。


「で、受けるんだろ?」


「もちろん!みんないい人だし、やりがいのある仕事だからね」


洗い物を終えたので手を拭き香奈を抱きしめる。せがむように見つめてくるので軽くキスをして頭を撫でた。


「とりあえずちゃっちゃと拭き終ろうな。続きはそのあとで」


♢♢♢♢♢


前期の試験も無事に終わり、久しぶりに顔を出したサークルでのこと。


「あ、エレナちゃん来てたんだ。この後みんなで食事に行くんだけどどう?」


いつものように亜季、茜、栞と巡りを見ながら話してるところに4年の水野と言う先輩に話しかけられた。

正直に言って苦手なタイプだ。

多少イケメンの部類に入るのかもしれないが、イケメンは見慣れてるし、じゅんくん以外はお呼びでない。


「私は仕事があるので」


本当は珍しくオフなんだけど、正直に言う必要はない。


「残念だな〜。じゃあ仕事までに時間ある?お茶でもしようよ」


しつこい男は嫌われるって知らないのかな?

他の3人も苦笑いするしかない。


「4人で談笑中なんで。なかなか時間とれないので楽しみたいんです」


あなたとじゃ楽しくないのよという意味を込めて。


「水野くん。部室の前で女の子たちが待ってるみたいだよ」


あまりのしつこさにイライラしそうになったところで櫟木先輩が声をかけてくれた。


「……あっそ。じゃあエレナちゃん


ポンと肩を叩いて行ったので、部屋を出た後にパパっと手で払ってやった。


「ありがとうございました」


不本意ではあるけど助けてくれたことには変わりない。私は素直に頭を下げた。


「ううん。あの人に目つけられると厄介だから。みんなも平井さんがいるときは注意してあげてね。もちろん自分達も注意してね。最近、よくない噂聞くし男子にも声かけておくから」


じゃあね、と手を振りながら他のテーブルの女子にも同じように注意喚起しているみたいだ。


「ねぇ、悪い噂って何?」


テーブルに身を乗り出して小声で話しかけた。


「ああ、水野先輩が部室に女の子連れ込んでレイプ紛いのことしてるって話しだよ」


栞がガバッと身を乗り出してきて教えてくれた。


「嘘?そんなの犯罪じゃない」


犯罪だよ亜季。


「最低な男ね」


私もそう思うよ茜。


「私は仕事で顔出せないことが多いから、みんな気をつけてね。いざとなったらじゅんくんに相談すればいいよ。絶対に助けてくれるから」


そう。もし、今私の身に何かあっても助けてくれる気がする。だって、じゅんくんはそういう人だから。

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