第3話 想い

「話があります」


「……はい」


勧誘の撤収作業も終わり、疲れ果てていた俺はさっさと家に帰ろうと鞄を肩にかけたところで笑顔の香奈に捕まった。


「じゃあね淳平くん、ご愁傷様」

「ご愁傷様」


久美子と春樹はニヤニヤと笑いながらさっさと帰ってしまった。部室内を見渡すと残っているのは俺たち2人だけ。

念のためカギを掛けると「ガチャ」という音に香奈が焦り出した。


「な、なんでカギしめるのよ」


「こんなところで襲わねぇよ」


どこかの万年色ボケは部室で色々やらかしてくれてるみたいだけどな。


「で、何の用だよ」


「正座」


「は?」


「まずは正座じゃない?」


笑顔の仮面を脱ぎ捨てた香奈が怒気を込めた声で問い掛けてきた。


「いや、俺正座は」


「あ、ごめんなさい」


できないと言おうとしたら謝られた。

コロコロと表情が変わる忙しいヤツだ。

いまは申し訳なさそうにしている。

いいやつなんだよな。

まあ、聞きたいことも言いたいこともなんとなくはわかってるけどな。


「香奈」


俯いていた顔を上げたその表情は少し緊張ぎみだった。


「聞きたいことがあるんだろ?」


「……うん」


俺は腰掛けようと左手をソファーに伸ばした先で何かに触れた。


『東京オリンピック柔道男子81キロ級決勝!残り時間1分を切りました』


どうやらテレビのリモコンを押してしまったようで電源が入ってしまった。

俺は香奈そっちのけでその画面に釘付けになってしまった。

そこに映っていたのはかつての俺のライバル。


『日本の鬼怒塚光輝きぬづかこうき、技ありを取られた苦しい展開!残り時間で逆転なるか?』


「チッ!」


思わず舌打ちしてしまった俺に、香奈はどうしたらいいのかわからないような表情をしていた。


『さあ、はじめの声と共に試合再開。鬼怒塚素早い出足で相手の足を取りに行った!』


残り一つ。

この展開での練習は何度もしてきた。

海外勢は残り時間が少なくなると力技に走る傾向がある。そのために対策もしっかりしてくるだろう。だからその対策を利用した展開を考えていた。


『双手刈のフェイントからの小内巻き込み!相手も予想済みで鬼怒塚を潰しに—、あ〜!鬼怒塚!素早く奥襟を掴み内股に移行した〜!』


何度も何度も繰り返したこの技は、俺が何度もこいつに喰らわした技だ。


『相手の身体が回った!審判が手を上げ、決まった!一本!男子81キロ級を制したのは日本の鬼怒塚!金メダルです!』


「……淳平?」


その瞬間、俺はどんな顔をしていたのだろう。日本のお家芸とまで言われる柔道。勝って当たり前の雰囲気の中で結果を出した光輝に俺は嫉妬しているのだろうか?もうとっくに諦めてたはずなのに。俺が畳に上がることはもうないはずなのに。


テレビを消してソファーから立ち上がると心配そうな表情の香奈の視線に気付いた。

俺は香奈に近づき、その頭をポンポンと叩いた。


「……メシ」


「えっ?」


「メシ、作ってくれよ」


香奈の鞄をヒョイっと掴み、扉を開けた。


「うん!スーパー寄ってね」


満面の笑みを俺に向けてくれた香奈は、俺にとって大切な人だと思い知らされた。


♢♢♢♢♢


「おはようございます!」


時間5分前。

なんとかスタジオに辿り着いたエレナは控え室に飛び込んだ。


「おはようRenaちゃん。なんとか間に合ったね」


ヘアメイクアーティストのアキさんが笑顔で迎えてくれた。彼女は私が東京で仕事をするようになってからお世話になっているお姉さん的な存在。


「サッカーで鍛えた美脚で走りましたからね!」


「それ、美脚関係なくない?」


実際に走ったのはタクシーから控え室までの数メートルですしね。


「それよりアキさん!やりましたよ。入学式初日から会えました!」


「お〜、やったねRenaちゃん。で、話せたの?」


「会話らしい会話はできてません。そんな簡単にいくとは思ってないし」


育ちは札幌、仕事は東京。

そんな私が猛勉強してまで名古屋の大学に入学したのはじゅんくんに会うため。


「そっか。でも後悔したくないって実行したRenaちゃんはすごいと思うよ」


そう言うアキさんの表情はひどく寂しそうだった。アキさんも後悔してもしきれないことがあるらしい。詳しいことは教えてもらってないし、容易に聞いてはいけない気がしていた。


「前途多難って感じですけどね。いきなり彼女らしき人も見せつけてられましたし」


「あちゃ〜!でも彼女いても不思議ではないもんね。3年だっけ?」


私が最後にじゅんくんと会ったのは私が高校1年の夏だった。


「ちょっと疑わしい感じはあるんですけどね。とりあえず同じサークルに入ってきましたよ」


アキさんに鏡越しにVサインを送ると親指を立てて応えてくれた。


「でもサークルなんて出れるの?」


「まだなんとも。でも繋がりがないとどうにもならないんで」


事務所には名古屋でも仕事ができるようにお願いをしてあるけど Zi Ziの撮影は東京近郊か海外がほとんどだ。なんとか卒業したいからと仕事量の調整はお願いしてあるけどどうかな?


「Renaさん、スタジオお願いしま〜す」


「は〜い。じゃあアキさん、行ってきますね」


「行ってらっしゃい」


アキさんに見送られてスタジオに来た私は入り口の扉に触れて呟く。


「輝ける、私なら大丈夫」


モデルになって初めての撮影に緊張していた私に彼がかけてくれた言葉。


「輝ける。エレナなら大丈夫だ!」


私はじゅんくんの言葉を胸に今日も撮影に挑む。


「Renaです。よろしくお願いします!」

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