夜明けの大河(阿武隈川の下流)

 阿武隈川の下流も下流を、夜明け前後にかけて歩行したことがある。

 誰も、周囲にはいない。道はといえば、堤防の上の一本道か、河岸方向の少々荒れた下道。

 私は川といえば、小さな川の上流を思い浮かべる。

 子供のころ、親と一緒にフライフィッシングに出かけたことが何度かあった。フライフィッシングをやっていたのは水の澄み切った上流であり、アメゴを狙うのである。川は崖のずっと下にあって、落ちたら絶対死ぬだろうと、脚がすくんだのを覚えている。川幅は狭く、岩が何個もゴロゴロし、石ころもゴロゴロしていて、流れは極めて速く、場所を間違えれば命は無いであろう、危険地帯だった。

 昔から、川は荒いと刷り込まれていて、今もそう思っている。川の中の石はぬるぬるで、中途半端な大きさの岩岩は、「踏めば動くかも」と警戒しながら進まないとならなかった。人間は川の中を進ませていただくとき、川の「比較的穏やかな部分」を踏みしめて、川になるだけ「気づかれない」ように、ひそひそと、極限まで注意を払う必要があった。これは過去、現在、未来でも変わらぬ事実だろう。


 さて、阿武隈川の下流も下流について。

 まるで、湖の一部か、と思うほどに広大である。夜明けに広がる水面に、ほとんど波紋はない。上流の濁流とはかけ離れていた。おとなしく、どっしりとして、どこまでも優しく、すべてをゆるす器の広さを持っていた。

 私は信じられなかった。唖然とした。ひょっとするとこの川面かわもに寝転べるんじゃないかというほど平面だった。地平線の直上が橙からオレンジ、薄黄、白、シアンへと変化する中で、広大な川面はただそれを受け入れ、どこまでも広くあり続けた。

 上流の幼く激しくやかましい流れは、そんな空の変化など見向きもしないだろう。現に上流は、森林という暗い穴ぐらに閉じこもり、その中でぎゃあぎゃあ言っているのだ。上流は永遠に下流の寛大さを理解できないし、しようともしないであろう。

 ところが下流はどうだろうか。先にも書いたように、川面の広大な平面は、何もかもを赦してしまう寛大さを有した。上流の戯言など、2秒もあれば飲み込むであろう。物理的には叶わぬ事象だが、私が昔見た上流と、少し前に見た下流を頭の中で突き合せれば、ああ下流は寛大なり、と感心するのである。

 こういうことであるから、阿武隈川の下流は、もう少しで私の川への刷り込みをも飲み込んでしまうところだったのである。

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