無駄に思えたことの楽しさ

 旅を好きな自分は、旅の仕方が下手だと思う。仕方なんて本当は無いだろうが、計画性のない旅が好きすぎて、つくづく無駄足を踏んでいると思う。

 浜辺を歩き、畑の細い道を歩き、わざわざ遠い一駅先まで歩いた。

 夜にスマホの電源を切らし、見知らぬ住宅街をさまよい、やっとのことでネットカフェにたどり着いた。

 浅い川で魚を見つけ、網を買い、長靴も持っていないのにその浅い川に入って、夜まで魚を取り続け、遠い宿まで持って帰った。

 自分は計画性の無い人間で、褒められたものではない。実際に旅先でも、それを宿主に怒られたこともある。それはちゃんと反省している。

 無駄である旅は、忘れることができない。無駄の中には、本当に無駄なものの中に、いつもは気づかない美が少なからず紛れ込んでいる。そう感じたから、忘れ難い記憶として頭に残っている。

 そんなもの、いつ芥にしてもかまわないかもしれない。

 だが、それらの無駄な時間を芥に思ってしまったとき、紛れ込んでいた美も、一緒に芥と化すだろう。

 それならば、無駄な時間を芥に思いたくない。無駄な旅は、美のゆりかごなのだとしたら。ゆりかごを生み出すことで思わぬ美を招くことができるのなら。

 私は旅のスタイルを変更しようとは思わない。無駄な歩行の一歩一歩が、いつか、私の糧になっていたんだと実感したい。

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