夜、誰もいない海岸沿いを一人で歩いていた自分

 アニメ「中二病でも恋がしたい!」の聖地巡りをしていた。海沿いの人通りが少ない町で、夜に巡ったので余計に少なかった。

 私がなぜ夜に巡ったかというと、アニメ中のキャラクターが夜に行動していたからだ。彼らの行動を追体験したかったので、私は何の迷いもなく夜に行動した。

 しかし、昼から何も食べていなかったことと、徒歩で移動するには長距離で過酷なルートだったため、疲労は蓄積していた。それでも、「追体験がしたいのだ」という信念は曲がるどころか、むしろ強まった。降りかかる苦をめながら歩を進めるということ。アニメの中の彼らも、夜、その道を、いくらかの苦を背負って進んでいた。私の苦など「歩いて疲れる」という、あまりにも単純なのもではあったが、私も苦を背負って彼らと同じ道を踏みしめているのだと解釈していたので、それだけで満足だった。かつ、それこそが「巡礼」の名にふさわしいと思った(そして今でもそう思っている)。

 苦しみながらも楽しみながら、私は聖地の一つであるT字路を歩いていた。そこは、すぐ北に海、少し南に山が見え、西に大規模な道の駅があった。私は「ああ、こここそが彼らの進みし道。そこに私も立っているなんて、何たるかこの僥倖」という具合ではないが、とにかく心は躍動していた。

 そんなとき、左手側にあった小さなレストランから、中年の女性と中年の男性が「君、こんな遅くに何をしてるのか?」と尋ねてきた。私は「旅行の者だ」という旨を伝えると、「何か食べたのか」という質問をされ、「いや、何も食べていないのです」と正直に答えると「では食べていきなさい、レストランを経営しているから」と言われ、私はありがたいことに飯を割引で与えてもらった。とはいえ田舎の小さな個人経営の店だから、割引でなくても安く食べられるチェーン店の価格よりはずいぶん高かったのを記憶している。

「こんなところに何をしに」と尋ねられ、「実はアニメの聖地……モデルとなったこの地を、仙台から訪れて来ました」と言うと、「まぁ、仙台から。それはご苦労さま」と言われ、それから種々の世間話、人生等について語らい、さらにご親切なことに、ホテルまで車を出してくれた。

 このことは、アニメの聖地とは全く関係の無いことだ。アニメの聖地巡礼のためだけに訪れたのであれば、別に、たとえ親切なお心を感じたとしても、これが最も旅の幸せとは感じなかっただろう。最も幸せなことはその前にすでに体験した、一人でアニメの中の彼らが辿った軌跡を追うことにほかならないはずだった。

 しかし違った。一人で巡ったことは確かにかなりの幸せではあったが、惜しくも二番目に位置したのだ。私は、偶然に出会った中年の女性と中年の男性と、レストランの中で種々の会話をできたことが、あるいは車で送ってもらったことが、最も幸せ、かつ最も神秘なる出来事に思った。

 ここで付け加えると、レストランの中には私より三つ下の若い男性がおり、彼は見事にも、音楽関連の方面で大きな成果を上げていらっしゃった。聞くと彼はとある病で、しかしそれにあらがって活動されているという。そういう人が現実にいるんだということを、自分の肉眼で、かなり近い距離に見て、確かに感じ取ったのである。

 彼女は「人ほど面白いものはない」とおっしゃった。「人生は楽しい」ともおっしゃった。もし、YouTubeの上で彼女がそう言っても、私は「ふん」と鼻を鳴らして動画を閉じてしまったに違いない。私はそのとき(否、今でも)「人ほど面白いものはない」「人生は楽しい」などと断定的に考える「強靭な」心をどこにも持ち合わせていないからである。しかし、偶然なる神秘的状況で、「ああ、確かに私もそう思う」と、あるいは「自分がそう思っていないのは分かっているが、なぜかその意見が正しい気がする」と思った。それは洗脳に近いのかもしれないが、洗脳から解かれた今、改めて冷静に彼女の言う事をうんうん考えてみても、それが人生を狂わせる類の悪質な洗脳とはかけ離れたものであるという以外の解は導くことができない。そう思えた自分がいるのは、もしかしたら、神秘的偶然を経験し、彼らの温かみを極めて近い距離に感じたかもしれない。

 総じて、この旅は極めて楽しかった。


 二年後、懲りない私は二度目の聖地巡礼に出かけた。もちろん目的地は同じ場所だ。追体験は何度行っても面白いものなのである(無限に面白いとは思わないまでも)。

 それとは別に、やはり、そのレストランを訪れた。あのときの私ですよ、と彼らに久々に顔を見せたら、少なくともいやな顔はなさらないと思った。それに私だって、少なくとも笑顔にはなれると踏んでいた。

 私は変人なのか、やはりそのときも夜だった。怪しくも、夜に徘徊して楽しんでいた。だがレストランの営業時間前に、なんとかレストランの前に到着した。

 レストランは残念ながら閉まっていた。ああ今日は運が悪かったなと思って、ちょっと周りを見てまわっていたのだが、何か、以前よりかなり古びた感じになっているなと思った。海の間近というのもあって、腐食の激しい条件下ではあるものの、そういう物理的腐食とは違ったいみのそれが、嫌なことに、感ぜられた。もしかしたら廃業なされたのか? と、思わせるような風貌になっていたのだ。

 彼らは今も「人ほど面白いものはない」「人生は楽しい」という意見を捨ててはいないと思う。二年前、揺るぎない信条を確かに感じ取ったからだ。

 ただ、それを私に聞かせてくれた彼らの遺構が、忘れ去られたように朽ち果て行く姿を見て、喪失感を禁じ得なかった。

 思い出は、極めて大切なのだと思う。同一の思い出をもう一度求めようと訪れても、たったの二年でそれが叶わなくなるんだと知って、ますますそう思った。

 また、夜にその地を訪れようと思う。追体験というのは、何度やっても楽しいものだからだ。

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