第23話

 そうは言っても、私はまだ彼女を心からは赦せていないのかもしれない。推測はあくまで推測でしかない。今まで書いてきたことは彼女について最も好意的に考えた場合の話だ。そしてどんなに好意的になろうが、1993年の5月に見せられたあの衝撃的な証紙の内容を忘れることはできない。私はまだ赦せても、私の父親はきっと彼女のことを一生赦さないだろう。母がどれだけの孤独の中で生きてきたかを一番知っている彼としては、理解者のふりをして本当はスパイをしていたというその疑いだけでも決して赦すことができないのだ。

 母のことを考えると、私は気が遠くなる。彼女には父親はいない。母親が望んで生まれた子供でもなく、むしろ祖母からはほとんど恨まれていた。周りから避けられていた度合いとしてはきっと私よりエムよりもっと大きい。なにせ戦争から年が近すぎるのだ。たとえ私が経験したのが共和国とその世界観という大きな箍の外れた後の強烈な揺り戻しだったのだとしても、それでも時間のクッションに挟まれていた分だけ母よりもずっと優しかっただろう。彼女は凍り付くような無関心の中で生きてきたのだ。

 それでも私は母には父という存在がいたことを知っている。彼は27の時に32歳の母と出会い、ひと月の間交際し、そのまま結婚した。初めて父を見た時、母はもしかすると自分はこの人と結婚するのかもしれないという漠然とした予感を抱いたらしい。父はそれほど端整な顔立ちなわけでも、一目でハッとするような何かを持っているわけでもない。けれど彼は公的な領域はもちろん私的な領域でも彼女を避けることは決してなかったし、触れるべき部分に触れ、触れるべきでない部分には触れなかった。彼にはそういう天性の素質があったし、そうするだけの余裕もあった。

 父はたった一度を除いて彼の方から距離を詰めなかった。それは彼が消極的な人間だとか、母の方から一方的に惚れてしまったということではない。母が人との距離を測りかねていることも、誰にも心を開いていなかったことも知っていて、敢えてそうしていたのだ。彼は呼び出せば近くにいて、呼び出さない時には自立しているという立場を守っていた。彼は用心深く母と付き合っていたのだ。彼女では扱い切れないほどの至近に突然立たないように。それはもちろん誰にでもできることではない。

 そして彼らは何か月もかけてゆっくりと恋に落ちた。あるいは、すでに落ちていた恋をゆっくりとなぞっていった。そして恋というその異常な兆候に身体がはっきりと慣れてひと月経ったその日に、父は母にプロポーズしたのだ。そして彼らはその日のうちに婚姻届を出した。それが彼らが出会って結婚するまでの全てだった。

 結婚してから二年後に私が生まれ、母の孤独はさらに薄まった。

「今思えば、初めて会った時にあの人の瞳には私が浮かんでいた」

 いつか母は私にそんな風に言った。まだ小さい頃の話だ。私は膝の上に寝ていて、母は私の頭を撫でていた。「不思議ね、そんなことあの時まで一度もなかったのに」

 彼女はそう言って目を細めた。本当に懐かしそうに、愛しそうに。


 両親の結婚を祝福した人は、それほど多くはない。母の僅かな友人と、父の友人の僅かな人数のみが彼らを祝った。彼らの親はどちらもそれに反対していた。ある意味でそれは至極当然のことだったと思う。母親は祖母に半ば以上恨まれていたし、父親の両親としてもわざわざそんな人と結婚する理由がわからなかったのだろう。母はほとんどの人にとっては苛烈な戦争を思い出させる負の遺産だったし、その一方で民主社会党にはコスモポリタニズムの現れとして称賛されていた。もし彼女が党の庇護下になければ同情の一つでもされたかもしれないが、現実に世に憚る彼女を見ながらも同情してくれるような殊勝な人間はあまりいないだろう。彼女はまさに憎むのにうってつけの人間だった。

 それでも僅かな友人は確かに彼らを祝った。父の友人のうち最も親しかった何人かが手放しで彼らを祝ったことは、きっと母にとって何よりも嬉しいことだっただろう。それは救いだったはずだ。彼らはその行動で何よりも強く伝えたのだ。彼女は確かに父と結婚しても良いのだと。そのことは単に父と結婚した以上に彼女の心を癒したと思う。そう思うと私は父を尊敬せざるを得ない。彼は人一人の人生をこれ以上ないほどに救ったのだ。自分が結婚し、それを友達に確かに祝わせることで。彼は単に素晴らしい人なだけではなく、素晴らしい人々の友人でもあるのだ。

 私はその人の子供であることを何よりも誇りに思う。父から受け継いだ野暮ったく垂れた目尻も、よく見ると左右不均衡な口元も、その全てを愛している。それは私の顔を不完全にするものなのかもしれないけれど、それを消し去ることを私は絶対に望まない。それは私の中にある善を象徴する部分だった。私はそれを見る度に励まされるのだ。私にだって人を助けられる可能性があるのかもしれないと。

 結局私は未だに誰も助けられないままだ。私にとって一番大切な存在は間違いなくケイとエムの二人だったけれど、私は二人ともを傷付けるだけ傷付けてしまった。ケイは私のせいで未だに母親と確執を抱えたままだ。彼女は精神を病めるだけ病んでしまった。私の家族かケイの家族のどちらかが暗黙のうちに国安に処分されるというのがルールのはずだったのに、突然全てが変わって彼女は単なる道義的な犯罪者に堕ちていってしまったのだ。エムについても、私は彼女からケイを奪っていってしまった。一番の友達が自分の恋人を奪取していったという事実が、どれだけ彼女を苦しめたかについて想像すると怖くなる。彼女は賢明すぎるくらい賢明だったから、あるいは全てを悟っていたのかもしれない。もしケイと付き合えば、いつか私が彼を横から取っていってしまうかもしれないということを。もしそうだとすれば、私はそれこそ取り返しのつかないことをしてしまったことになる。悪い想像を現実に変えてしまうことほど罪深いことはないのだ。

 人はすれ違えるだけすれ違う。これが私が自分の人生の中で学んだ数少ない教訓の一つだった。基本的に人は傷つけたくないと思っている大切な人ほど容易く傷つけるのだ。意識しているか意識していないかはさほど関係ない。人は無意識に他の人を切り裂くことのできる生き物だからだ。たとえ相手の幸せをどんなに願っていても、どんなに相性が良くても、時にそういうことは起こり得るのだ。

 さほど賢明でもない私の、さほど上手くいったわけでもない人生から生まれた教訓など、あるいは正しくないのかもしれない。むしろ私はそれが間違っていた方がよっぽど嬉しい。もし人がそんな風にお互いを傷つける存在ではなく、純粋に協力し共感し合える存在だとするなら、それはどれだけ素晴らしいことだろう。それでも私は自分の経験からそれが正しいことだとほとんど確信している。人はすれ違えるだけすれ違うのだ。

 そしてそれがもし真実ならば、私は一つだけ願うことがある。祖母と母の間に流れていた感情が、単に怨恨だけではなかったと信じたいのだ。祖母の人生が1946年の戦争によって崩されたことも、それによってあまりに直接的に母が生まれたのも事実だ。きっと彼女は母に対して複雑な感情を抱えていただろう。母を目にすることが、トラウマの再現に繋がったかもしれない。それでも、母は確かに祖母の娘だったのだ。私は信じたい。普通の親子とはあまりにねじれた位置にいた彼女たちの間に、それでもお互いに身を案じる気持ちが存在していたことを。

 だって祖母が母を恨んだまま死んだとすればあまりに悲しいことだからだ。母は実直で、情に深く、そして自分のことを自分でも恨んでいるような人なのだ。彼女のことをたとえどんなに恨もうとしても恨み切ることはできないだろう。だから私は願っている。彼女たちの間に起きた諍いの一部でも、単にすれ違いだけの理由であればよいと。

 結局のところもう全ては闇の中に消えてしまった。それを確かめることはできない。確かめる手段は永久に失われてしまったのだ。1990年のあの日、祖母がドロドロに溶けて発見されたその時に。

 今や祖母の痕跡はほとんど残ってすらいない。彼女の故郷の近くに作られた小さな墓だけが、彼女が生きていたことをひっそりと伝えている。彼女が生活していた時代遅れの団地も、もう取り壊されて跡形もなくなってしまった。

 時代は変わったのだ。しかも、単に変わったのではなく、徹底的に変わったのだ。今のこの国には、祖母の住んでいたような1959年製のボロボロのコンクリート造りの建物に住む人はほとんどいない。最低でも耐震計算が成され、壁や床にきちんと遮音シートと断熱材の入れられた建物でなければ人はまともな家賃を払わないし、利益も出ないのだ。作っておけばとりあえず供給したことになった共和国の論理はもう通用しない。

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