第10話

 人は常に美しいわけではない。それは、美しい人にだって同じだ。いくら顔が整っていたとしても、醜くて直視できないような瞬間は存在する。その瞬間が生きている限りずっと続く人もいる。私はそれが昔からとても怖かった。

 そのことに気付いたのは、祖母――母方の――と最後に出会った時だった。私にとっては、彼女は苛烈な人だった。苛烈で、恐怖の対象であり、憎かった。少なくとも、彼女が生きている間、私は祖母に好意を抱くことなど全くなかった。私にとって、祖母はその反対側に位置する人間だった。

 彼女が住んでいたのは北東京の果てだった。どこにでもある住宅団地の四階。エレベーターなんてもちろんなくて、彼女に会うためには息を切らして階段を上る必要があった。私は未だにあの建物のことを思い出すことができる。薄いコンクリート壁には至るところにヒビが入っていて、まるで何かの嫌味のように据え付けられた手すりの質感は最悪だった。階段も滑り止めなんていう洒落たものはもちろんついていなくて、打ちっぱなしの青白くつるつるした表面は、住人も、そこを訪れる人も全てを憎んでいるみたいに喧嘩腰だった。廊下には同じような鋼製のドアがずっと並んでいて、わざとらしく染められた緑色はむしろ厭らしさすら感じさせた。

 祖母は私の母にとても攻撃的だった。口を開けばほとんど悪口かそれに準ずるようなことしか言わなかったし、父に対しても明らかに不満気だった。恐らく、父が母を愛しているというそのことが気に入らなかったのだと思う。もちろん、そんな母と父から生まれてきた私のことも彼女は全身全霊を傾けて恨んでいた。

 父と母は祖母から投げられる憎悪を真っ正面から受け止めていた。母はそれには慣れていたし、父も――彼は根が優しくて、少し堪えていたけれど――それでも段々と慣れて、当たり前のことのように振舞えるようになっていった。彼女の憎しみから逃避したのは結局私だけだったのではないかと思う。小学生になったばかりの私のことを、両親はきっちりと守ってくれた。彼ら自身は根も葉もないような雑言を受け入れているくせに、私に対しての言葉には毎回反発した。『私』はそんな人間ではないのだ、と。それは当時の私にとって不思議なことだった。例えば、祖母の家に行く前に私は両親に叱られる。宿題をやっていないことに対して、「ちゃんとした人間になれないよ」なんて風に。そしていざ祖母の家に行くと、彼女は私にこんな風に言葉を投げつける。「こんな子は将来ロクなものにならない」と。そうすると母親は祖母の顔を見て本当に悲しそうに言うのだ。「この子は、すごく立派なのよ」と。父親はあまり見せないような真剣な目をしてこう言うのだ。「きっとこの子は、誰よりも素晴らしい人間になります」と。そうすると祖母は底意地の悪そうな笑みを浮かべ、勝手にしろとでもいうように鼻息を立てるのだ。私はそういうことを何回も目撃しては、その意味を掴めずに首を傾げていた。今だったなら――多少は大人になって、祖母の事情を知った今なら――、両親の愛情と祖母の感情を少しは理解することができるかもしれない。けれど、そういうことを理解するにはその時の私は幼すぎた。だから私が感じたのはただ不思議な感覚と、居心地の悪さと、ひどいことを言われた傷心と恐怖だけだった。

 忘れもしない1990年のことだ。今から二十年前、私がまだ十歳だった時に、祖母は死んだ。孤独に死んだ彼女は、今まで住んでいたその家を巻き込んで、この世から消え去っていった。発見者によれば、彼女はあの薄く汚らしいコンクリートで囲まれた部屋の中で、ドロドロになって腐臭を漂わせていたらしい。彼女はそんな風に跡を散々に残しながら去っていった。まるで1990年に消滅したもう一つの存在と同じように。

 母は仕事を辞めていた。だから、祖母の跡を片付けたのは結局母だったらしい。そのことを聞いた時の私は、特にそれに対して無関心だったけれど、今思えばそれは残酷すぎるくらい残酷なことだったのではないかと思う。まだ全然子供だった私は、祖母が死んだというその事実の意味がまだ読みこめていなくて、もう彼女に会いにいく必要が永久になくなったことに安堵と喜びを覚えていたし、母が片付けた後に残った白い骨を見て、人は死ぬとこうなるのだというように漠然と思っただけだった。私にとって、骨はむしろ「綺麗な」部類に入る物体で、だからあまりそのことに絶望を覚えることすらなかった。何も言わず、ただそこにあるだけの、腐りも臭いもしない白い粉。醜くなることもない、変化しない存在。死んでそうなるなら、私はそれならそれでいいとすら思った。――私は知らなかったのだ。例えば、祖母の住んでいたその部屋は、片付けた後ですら人が住めるような状態ではなかったのだということを。死というのはそういうものなのだということを。

 死ねば人は綺麗になるのだ、と私が思ったのは、祖母の葬儀の影響もあるのかもしれない。祭壇に飾られた祖母の写真は、その時の私より少しだけお姉さんで、とても幸せそうな笑顔を浮かべていた。モノクロの写真なのに、まるで色がついているようにリアルで、どれだけ彼女が綺麗な人だったのかを雄弁に語っていた。あまりにも儚いその写真は、だから私の心のずっと奥底に刻み込まれている。写真の中の彼女は、今まで私が見聞きしてきた祖母の全てのイメージの全く対極にあった。その少女はかわいらしくて、美人で、明るく、活発に見えた。だから私は純粋な驚きと共に思ったのだ。死ねば、人は綺麗になるのだ、と。醜く、意地の悪い人間であっても。今思えば、それはどんなに美しい人間でも醜く、意地の悪い人間に化けることの、何よりも確かな証拠だったのだけれど。


 家族だけで――ということはつまり生前に彼女が最も恨んでいた三人だけで――それ以上ないほどしめやかに営まれた祖母の葬儀は、1990年の冬のことだった。つまり、あれは二十年前の今頃のことになる。コートを着て、それでも若干の脚の震えを抑えきれない今の自分を感じながら、私は自分の記憶の曖昧さに苦笑してしまう。その時の自分の服装すら正確に思い出せないのだ。記憶の中では、私は半袖を着ていたりする。まだ十歳だったとはいえ、十二月の冬の寒さは半袖で乗り切れるようなものではないだろう。それに、いくら確執を抱えていたにしろ、祖母は母にとっては永い間ずっと唯一の肉親だった。だからそんな時に私に半袖を着せるはずがないのだ。それは明らかに間違った記憶だった。

 渋谷の街はいつもと変わりがなかった。灰色や黒や、そういう暗い色のコートに身を包んだ人々が、坂を無言で、早足に登っていく。一人の口元から吐かれる白い息が、後ろに続く人のそれと混ざり、やがては消えていく。

 オフィスに着くと、エスはもう来ていた。おはよう、という明るい声に、おはようと返す。久しぶりに飲みに行ったあの日から、エスは私にその前よりも近い距離感で接してくれるようになった。それだけではなく、心なしか私に話してくれる声が明るくて、楽しそうに聞こえる。それは純粋に嬉しいことだったけれど、同時に後ろめたさを感じさせることでもあった。

 エスはあの日、私にアドバイスをくれた。それは私の悩みについては全く的外れなことだったけれど、それはエスの責任ではなく、本当の問題すら明かさなかった私自身の責任だった。エスは私の問題とはケイとの恋愛についてであると考えていて、答えとしては彼女自身の経験と省察を教えてくれた。私たちはもうすでに三十を迎えようとしていて、そしてドラマみたいな大恋愛はもうこの世界には存在していないのだ、と彼女は言った。例えば、満員の映画館で隣の人と偶然に手が触れあって、すみませんと謝る私に、隣の彼は構わないと笑う。その魅力的な笑みに見惚れていると、私ははっと気付く。そうだ、私はこの人を知っている。それは間違いなく学生時代に好きだった先輩で、憧れて焦がれて、けれど自分のことなど眼中にないだろうと諦めたその人なのだ。あまりのことに固まっていると、彼も自分のことを見つめていて、そして信じられないことを言う。君は、もしかしてあの時の女の子じゃないのか、と。頷く私に、彼は本当に嬉しそうな顔を見せながら提案する。これからどこかに出かけないかと。そうして運命的に再会した私たちは、迫りくるいくつかの危機を二人で乗り越えて、永遠を誓い合うのだ。

 私たちにはもうそういうものを望んでいる権利はないのだ、とエスは言う。もちろんこんなものは目を背けたくなるほどに妄想的でちゃちで稚拙な作り話だけれど、少しでも現実から目を背けることは、この話を信じるくらいに愚かなことなのだと。私たちは会いたかった人に偶然再会するような世界には生きていないし、好きな相手が勝手に自分を好きになってくれるような世界にも生きていない。昔の話を思い出すことに価値はなくて、今の状況を改善するような方法を考えなければ未来はない。私たちには自由があって、そして相手にも自由がある。だから、自分の選択なしに彼らを縛ることはできない。

 それは力強い言葉だった。私はハッと気づかされたのだ。エスも間違いなく自分の人生を切り開いてきた開拓者の一人なのだと。彼女の明るさや人の良さに隠されていた芯の強さを、私は初めて目の当たりにした気持ちだった。――それは、隠し事をしているという私の罪悪感を幾分増す方向に働いたけれど、それでもそれを知ったことに後悔はなかった。

 エスは淹れたコーヒーに口を付けている。猫舌なのか、手でカップを覆ってちびちびと飲んでいるその姿は、少女のように見える。でもそれは決して若作りとか痛々しいというわけではなくて、純粋に可愛らしい所作だった。

 エスもエムも、私の近くにいる(いた)同性たちは、みな行動に打算がない。人の目を気にしているわけではなく、彼女たちは彼女たちの身体を彼女たちの意志だけに基づいて操っている。少なくとも、外から見ているとそういう風に見える。見ている限り、誰が近くに居ようと彼女たちの――たとえば話すときの声色とか、歩き方とか、趣味嗜好とか、コーヒーの飲み方のような――基礎的な行動に変わるところはないし、自分の姿が人に与える影響について、あまり拘っていないように見える。だから、結果として彼女たちの行動には厭らしさのようなものが感じられないのだ。それは惚れ惚れするくらい美しいことだと思うし、彼女たちの姿勢に私は本当に感服している。

 コーヒーを飲み終えたらしいエスがカップを置いて、自分の席でパソコンに向かい合う。青白い液晶の光が、真剣な顔つきの彼女を照らした。いかにも目に悪そうな光景だけれど、エス自身にとってはそんなこと全く関係なく、目の前のものに集中しているだけなのだろう。彼女が何をやっているかは分からないけれど、メールチェックか、昨日からの引き続きの仕事か、あるいは私用か。――どれにしても、彼女がそれに意識を集中させて、そんな真剣な目をさせているとすれば、何よりも素晴らしいことだと思う。

 私は昔から人が何かに集中している時の目が好きだった。目が好きで、顔つきが好きで、空気感が好きだった。張り詰めた空気の中を、精悍な顔つきで、真剣な目つきで。そういう瞬間が好きなのだ。そこには魅力があった。セクシャルなというわけではなく、もっと純粋に、心惹かれるような魅力が。

 私は、いつからそう感じるようになったのだろう。最初に覚えているのは、私がまだ小さかった頃に父が母に向けていた表情だったかもしれない。父は本当に真剣な目で、母をじっと見ていた。そこには単純な愛以上の何かがあった。慈愛? 庇護欲? 恋情? そのどれでもなく、どれでもあるような感情。そして父は母のことを何よりも、誰よりも真っ直ぐに想っていた。その時の私も、それを無意識に悟っていて、だからその真剣な表情が好きだったのかもしれない。いつか、自分もあんな表情を向けてもらえるのだろうか。自分も、あんな表情を浮かべることができるのだろうか、と。

 けれど、そればかりではないのだとも思う。小さな時の刷り込みが与える影響はもちろん強烈だろうけど、それだけで今も誰かの真剣さが好きなのだとは思いたくない。私の嗜好が、覚えていないくらい遠い私の嗜好に縛られているとは考えたくない。幼すぎる時の記憶ではなく、今の私とまだ意識と思いが繋がっている過去の私に要因があったのだと、そう信じたい。

 そういえば、私は一瞬だけケイと疎遠だった頃があった。随分と昔の話だ。1993年、今から17年も前の話になる。私はその時中学校に入ったばかりで、新しい同級生たちと仲良くなれない――避けられている――ことに悩んでいた。あの時、ケイは随分と私を助けてくれた。彼はあまり人見知りしない人で、友達をたくさん作っていた。だから、彼が時々私の近くにいてくれたことは、それだけで私にとってとてもありがたいことだった。彼は暗に示してくれていたのだ。私と仲良くなることは、それほど危険なことでも、問題のあることでもないのだと。

 全てが崩れたのは五月だった。1993年の五月のことだ。あの時は、たった一日で、私とケイが疎遠になるだけではなくて、私の家族とケイの家族全体が疎遠になった。隣に住んでいたのに。――あるいは、隣に住んでいたからこそかもしれないけれど。

 私が父のあそこまで怒ったところを見たのは、先にも後にもその時だけだったかもしれない。私の家は怒りと、そして悲しみに包まれていた。恐らく、後者の方がずっと大きかった。私たちは怒っている自分自身に対しても情けなく思っていたし、悲しかったからだ。ケイを避けていたのは、最初は私自身で、後には彼の方も私のことを避けるようになった。彼が私を避け始めたのは、たぶん罪悪感だったのだと思う。ずっと後、エムに対して彼が取った行動を考えると、それはほぼ確実に正解だろう。恐らく彼は、私に対してなんて言っていいのかもわからなかったのだ。謝ったとして、もし私が彼を赦してしまった場合のことが、きっと怖かったのだと思う。

 ケイがいなくなって、私は教室からどんどん浮き出していた。ケイが私を係留してくれていたのだから、それはもうほとんど当たり前のことだったけれど。それでも、私には同じ小学校の友達がまだいて、全く孤立していたわけではなかった。

 そんな風に私たちが膠着して、二ヶ月が経ったころだった。七月、期末試験日。私にとって、試験などほとんどどうでもよかった。勉強しなくてもある程度の成績は取れたし、それで十分だった。むしろ、試験日は授業日よりも解放される時間が早くて、楽しみだったくらいだ。私はその日試験を受けて、時間を余らせていた。暇で暇で仕方がなくて、教室の前方を見渡していた。ふと斜め右を見ると、そこにはケイがいた。彼はまだ鉛筆を紙上に走らせていて、必死に問題を解いていた。

 私が彼を赦したのは、その瞬間だった。彼はとても真剣だった。本当に、純粋に真剣だった。だからもう、どうでもよくなったのだ。ケイとまた仲良くなれば、父はきっと嫌な顔をするだろう。でももう、仕方がない。私はもう彼を避けることに疲れてしまったのだ。彼は、今まで私のために色々なことをしてくれた。だから、これは私が彼を赦すだとか赦さないだとかの傲慢な問題ではないのだ。仕方がない。これは運命なのだ。私は、彼と話すべきだし、そこに前提はない。それでいいじゃないか。

 そして私たちは再び友達に戻った。たぶん、戻りすぎるくらいに戻った。その年の夏休み、私は彼と西東京まで花火を見に行った。鶴見川の川べりに二人並んで立って、間違えて手を握ってみたりして。今思えば、私は彼のことが好きになっていた。

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