第13話 望みの部屋

 怜史の後に続いて、明かりのない仄暗ほのぐらい廊下を歩く。その細長い空間は、見慣れた我が家のはずなのに見知らぬ場所のように見えて、輝夜はひとり身震いした。

 普段はあまり使っていない、物置部屋の前の廊下で、怜史は立ち止まった。そして、人差し指で天井を指す。

「……?」

 輝夜は示された場所を見上げたが、特に変わったものはない。アンティーク調の、アラベスク模様が描かれているだけだ。

「よく見ないと分からないよね。うっすらと四角い線があるでしょう? そこは、屋根裏部屋への入り口だよ。床の傷は、はしごを下ろした跡」

 説明しながら、怜史は棒を引っかけて天井裏への通路を開き、はしごを下ろした。はしごは、ぴったり床の傷跡にはまった。

「屋根裏部屋とか、あったんだ……」

 言われてみれば、外から見たときにどの部屋のものか分からない出窓があった気がする。

 はしごに手をかけた輝夜の手に、怜史の手が重ねられた。といっても、すぐにすり抜けてしまったので、ひんやりとした感覚が残っただけだが。

「怜史くん?」

 ためらうような沈黙のあと、怜史はゆっくりと話し始めた。

「この屋根裏部屋は、ボクの部屋なんだ。窓から見える景色が気に入ってた。窓際にベッドがあって、ボクはいつもそこから遠くの山や、線路を通る電車や、行きかう人々を見下ろしていた――そして、ボクの体は、まだそのままベッドの上にいる」

「……え?」

 輝夜のくちびるから、あえぐような小さな声がこぼれた。

 怜史は、悲しみとも苦しみともとれる微妙な表情を浮かべた。

「両親が旅行に旅立った夜。容体が急変して、ボクは死んだ。両親は、息子の死が信じられなかった……ううん、信じたくなかったんだと思う。だから、それからずっと、ボクはベッドの上で、とむらってくれる人が来てくれるのを待っていた」

「え……でも……それって……っ!」

 涙声になる輝夜に、怜史は「両手を出して」と言った。

 言われるがまま、輝夜はおそるおそる、焚火にでもあたるように両腕を伸ばす。その手を、怜史は下からすくい上げるように受け取ろうとして――やはり触れることなく、上に突き抜けてしまった。

「ごめんね、かぐや。ボクは君の涙を拭くことも、抱きしめることも、手を握り返してあげることもできない存在だ。そんなボクが、これ以上君といっしょにいちゃいけないんだ。だから、お願い」


 ――あるべき場所に、僕を還して。


 怜史の言葉を理解し、輝夜の瞳にはみるみる涙が盛り上がって、頬に幾筋も流れて行った。

 その姿を見守りながら、怜史の姿は少しずつ、少しずつ、少しずつ薄くなり……やがて、闇に溶けるように消えてしまった。まるで、目的は果たされたと言わんばかりに。


 床にしゃがみこんで泣き続けた輝夜は、重たい体をひきずってどうにかリビングにまで戻った。

 そこには、さきほどまで怜史といっしょに過ごした楽しい時間の残滓ざんしがあった。ふたつのマグカップ、食べかけのチーズクラッカー、ゆらゆらと部屋を照らす小さなアロマキャンドル。

 それなのに、やさしい怜史はもうどこにもいない。

 いや、怜史の体だけが、あの屋根裏に――。


 翌朝。

 リビングでの浅い眠りから覚めた輝夜は、意を決して屋根裏部屋へのはしごに手をかけた。

 ギシギシギシ――嫌な音を聞きながら、一歩ずつはしごを上る。

 屋根裏部屋に顔を出すまでに、数分のためらいが必要だった。でも、これが怜史の望みだと自分を叱咤し、思い切って部屋に足を踏み入れる。

 そこは、こじんまりとした空間だった。窓から差し込む光のせいで、逆に部屋の中は薄暗く感じた。古めかしいデザインのタンスや本棚、勉強机、コートハンガーに戸棚、そしてゆうべ聞いた通り、窓際には大きなベッド。

 自分で自分を抱きしめながら、おそるおそる、摺り足で光のほうへ進んでいく。

 そして、見つけた。

 ベッドで静かに永遠の眠りについた、怜史の姿を。



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