第12話 幸福なるハッピーバースデー
午前中にどうしてもずらせない商談が入っていた輝夜は、朝は引き絞られた弓から放たれた矢のごとく家を飛び出し、午後三時ごろには弾丸のように舞い戻ってきた。
「さ、誕生日パーティーの準備よ!」
買い出ししてきた食材を両手に提げながら、自分を鼓舞する。
怜史が奥からひょいと顔を出した。
「僕も何か手伝うよ」
「ん~じゃあお野菜切るのとか手伝ってもらっちゃおうかな」
はーい、と素直な返事をして、怜史が駆け寄って来る。スーパーの袋を受け取ってくれた。
「わぁ、なんだかたくさん買ってきてくれたんだね」
「まぁね! 今日のパーティーは張り切っちゃうんだから!」
輝夜は鼻歌を歌い出しかねない勢いで、さっそく準備に取り掛かった。
野菜やきのこ、エビなどを一口大に切る。火が通りにくいものは、あらかじめ軽く焼いておく。怜史の手元から、包丁のリズミカルな音が響いている。怜史は、家事全般だいぶ上手にこなせるようになった。
そして、鉄板とアルミ製のカップの準備。隣には、小麦粉と牛乳とチーズをミックスしたボウルがスタンバイしている。
「かぐや、これはなぁに?」
「ズバリ、チーズフォンデュよ!」
そう、輝夜がパーティーのメニューに選んだのは、チーズフォンデュだったのだ。
ちらりと窓の外に目をやる。曇天から、ぱらぱらと雨粒が舞い降り、窓ガラスに筋をつくっている。こんな、六月だというのに肌寒い日にはぴったりのメニューだ。そうでなくても、怜史がチーズ好きということを聞いてから、これにしようと決めていた。
そろそろ陽が沈む時刻、室内が薄暗くなってきたので、輝夜は灯りをつけた。天井の照明は控えめにし、雰囲気を出すためにアロマキャンドルを灯す。
鉄板を熱し、その中央にアルミ製のカップを置いて、チーズを流し込む。周囲の鉄板の上では、エビ、アボカド、マッシュルーム、パプリカなどがじゅうじゅう音を立てて焼けている。
「うーん、いい匂い。それにチーズが美味しそう!」
怜史は満面の笑みで、さてどの具材を一番に食べようか……と目を輝かせている。
「どれでも好きなのを取りなさい。今日の主役は、怜史くんなんだから」
「うん! ありがとう!」
怜史はアボカドに手を伸ばした。なんでも、アボカドそのものを見るのが初めてなのだそうだ。
「あ、もうそろそろ冷えてるわよね」
輝夜は冷蔵庫からノンアルコールのシャンメリーを取り出した。可愛いピンクの炭酸ジュースで、これなら怜史も楽しく飲めるはずである。グラスに注いで、食卓に並べる。
「怜史くん、乾杯しよう。はい、誕生日おめでとう~乾杯!」
「カンパイ! ありがとう!」
こつん、と小さくグラスをぶつけて液体を喉に流し込む。ふたり同時にグラスを置き、顔を見合わせて笑った。
「お誕生日って楽しいね、かぐや」
「楽しんでくれているなら、良かったわ」
足りなくなった具材やチーズを継ぎ足し、宴会は続く。
飲んで、笑って、また飲んで。時にはジュースをこぼしたり、具材が焦げ付いてしまったり。それらも含めて、楽しい時間だった。
鉄板を片付けた後、輝夜が冷蔵庫から取り出したのは、怜史リクエストの誕生日ケーキだ。
「わぁ! 美味しそう!」
怜史が黒い瞳をキラキラ輝かせる。
小ぶりだが、いちごが宝石のようにツヤツヤと光るショートケーキは、見た目にも豪華な逸品だった。
切り分けて、もう一度「いただきます」をする。
「ん~! いちごがいっぱい!」
いちごたっぷりのショートケーキは、十分怜史のお気に召したようだ。
輝夜のほうはそれほど生クリームが得意ではなかったのだが、上品な甘みといちごのほのかな酸味がマッチしたケーキはなかなか美味しいと思った。
「もう一切れ、食べる?」
「うん、食べる! かぐやはもういいの?」
「私はもうお腹がいっぱいだわ~」
輝夜はぽんぽんとお腹を叩き、その姿を見て怜史は楽しそうに笑った。
一旦、散らかった洗い物を片付けると、またシャンメリーをグラスに分け合って、チーズクラッカーをつまみながらSF映画を見る。
熱心にテレビ画面に見入っている怜史に、タイミングを見計らってプレゼントの包みを渡した。
白い包装紙に青いリボンでラッピングされたそれを嬉しそうに受け取ると、怜史は丁寧な手つきで包装をほどいていく。
そして、現れたのは一冊の本だった。
「世界の絶景……?」
それが、本のタイトルだ。
「そう。怜史くん、病気であまり家から出られなかったって言ってたから、世界にはこんなにきれいなところがたくさんあるのよって、教えてあげたくて」
怜史は魅入られたように熱心に一枚一枚ページをめくり……そして、ウユニ塩湖の絶景に、指をとめた。
「きれい……白と青の、鏡合わせの世界……」
怜史はほぅ、とため息をつき、そして塩湖に映る空のような晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。
「ありがとう、かぐや。こんな素敵なプレゼント、ボク初めてだよ」
輝夜も微笑んだ。
「よかった、喜んでもらえて……」
怜史はそっと、輝夜の片手の上に自分の手を重ねた。感触は感じられなかったけど、ひんやりとした温度が怜史と触れ合っていることを感じさせ、輝夜はとても安心した。頬にも冷たい空気が触れる。キスされたのかな、と輝夜は幸福な気持ちを膨らませた。
しばらくそうして寄り添っていたふたりだが、やがて怜史のほうから口を開いた。
「ねぇ。誕生日に、ボクがお願い事をするって言ってたの、覚えてる?」
「えぇ、もちろんよ」
並んで座っていたソファーから、怜史が立ち上がった。輝夜から、顔は見えない。
しかし。
「うん、覚悟ができたよ。輝夜、ボクのお願い、きいてくれる……?」
その声は微妙に硬く、震えるのを必死に押しとどめようとしているように感じられた。
なんだか嫌な予感がして、輝夜はぎゅっと自分のスカートの裾を握り締めた。
「怜史くん、あの……無理をして、今日にすることもないんじゃないかな?」
怜史は首を振った。やわらかそうな髪がぱさぱさと音を立てる。
「ううん。今日じゃないと……これ以上、先延ばしにすると、つらくなるだけだから」
つらくなる?
どうして、怜史はそんな恐ろしいことを言うのだろう。
振り返った怜史の笑顔は、これまでのどんなものより透明で寂しげで、輝夜の胸は切なく締め付けられた。
「お願い。ボクについてきて」
怜史はそう言って、家の奥へと歩いて行った。
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