第14話 思い出は遠い家に

 警察が来て騒然となったが、輝夜の心にはぼんやりと霧がかかって、周囲のものが一枚フィルターを通したように頼りなく霞んで見えた。屋根裏部屋は、偶然見つけたことにした。ほかにもなんやかんや尋ねられたが、詳しくは覚えていない。

 家族や警察関係者に、どうにか自分にお葬式をあげさせてほしいと頼み、粛々と準備を進めていく。

「あんた、大丈夫?」

 生気のない輝夜を心配した友人の絵梨は、警察関係者に任せるよう勧めたが、輝夜はゆるく首を振って断った。

 楽しい作業ではないのだから、明るくなりようもない。でも、人生の最期を飾るとても大切な儀式の準備だ。おろそかにはできないし、他の誰かに任せるのも嫌だった。

 屋根裏のタンスの上から、小学生くらいだと思われる怜史の写真を見つけて、輝夜は必死で涙腺が崩壊するのを防いだ。それを大切にハンカチにしまいこむと、葬儀屋に頼んで遺影に仕立ててもらった。


 半分心ここにあらずで聞いていたのでうろ覚えだが、警察が言うことには、怜史が亡くなったのは五十年ほど前らしい。死因は病死だということだ。

(五十年間。怜史くんは待ってたのね。きちんとお弔いをしてもらえる日を……)

 だったら、その望みを尊重しようと思った。輝夜をおいて消えてしまった恨み言を言うのではなく、託された最後の望みをかなえることが、怜史にとっても自分にとっても良いことなのだと、自分に言い聞かせた。

 新聞や雑誌が何社かインタビューを申し込んできたが、輝夜はすべて断った。自分は彼の血縁ではないし、最期の時をふたりで静かに過ごしたかったのだ。


 小さなお葬式は、雨の中行われた。

 ぼんやりと、どこか夢見心地で、お経が流れるのを聞き流す。

 祭壇には、たくさんの花と果物にお菓子、電飾の蝋燭。その中心に、怜史少年の笑顔の遺影があった。線は細いが、その数年後に病気で亡くなるとは思えない、健康的な笑顔だ。

 ただただ怜史の遺影に見入っていると、いつの間にか式は終盤に近付き、輝夜は一番にお焼香をあげた。後に何人か、警察関係者や不動産関係者が続き、輝夜を心配して出席した母と妹で終わった。

 生花を切って、棺につめる。遺体の顔は見えないように絹がかけられていて、あえてそれをめくろうとうは思わなかった。全身を覆うように、瑞々しい花たちを添えていく。緩慢な動作でそれを行う輝夜を、家族は心配そうに見ていた。

 輝夜は最後に、分厚い本を取り出した。それはなんですかと葬儀業者に尋ねられ「故人が大切にしていたものだから、一緒に燃やしてあげたくて」と答える。

 五十年前に亡くなった人の遺品にしては新しすぎるそれに葬儀業者は怪訝な顔をしたが、口に出しては何も言わなかった。

 輝夜は本のページをめくった。写真集だ。世界の絶景がおさめられた、輝夜から怜史へのバースデープレゼント。ウユニ塩湖の写真をひと撫でし、本を閉じて、それを棺の中におさめた。

 出棺の際、輝夜は家族に頼んで、斎場で待っていてもらうことにした。同じく警察関係者の同乗も断り、怜史の遺影を胸に抱いて車に乗り、焼き場に向かう。

 葬儀業者は、謹厳さと悲哀を足して二で割ったような職業的な表情を張り付けて、遺体の到着を待っていた。ここでも読経が行われ、いくつかの手順を経て、遺体は焼き場へとおさめられる。


 ゆっくりと時間が過ぎる。

 煙突からたちのぼる煙を、現実感覚のない瞳で見つめていた。奇妙な安堵があった。あぁこれでやっと、怜史は天国へいけるのだと。彼が最後に望んだ、還るべき場所へ旅立てるのだ。


 急激に現実が蘇ってきたのは、骨上げの時だ。

(なんて小さいの。なんて少ないの。ばらばらになった、小さくてすかすかしたお骨――)

 白い骨のあまりの少なさに、その細さに、そのまばゆさに、輝夜はあふれてくる涙を止められずハンカチで顔をおしつつんだ。

 唐突に思い出した。怜史はまだ、現在の奏の年齢より若くして亡くなったのだ。

(いろんな未来があったはずなのに。学校に行って、恋をして、子どもだっていたかもしれない。こんなに白い骨になっちゃったら、もうなにも出来ないじゃない)

 彼はもう、輝夜の生活のどんな場面にも現れることはないし、歳を取ることもない――これこそが死別、永遠の別れなのだと悟った。

 涙をふき、震える手でお骨を拾い上げ、小さな骨壺におさめていく。

 まったく、こんな小さな骨壺におさまってしまうほど、人間というのは小さな存在なのだ。


 もう一度斎場に向かう車では、輝夜は小さな骨壺を胸に抱き、遺影をそばにたてかけた。車の振動に身を任せながら、その笑顔に魅入る。一緒に家事をして、料理を作って笑っていた、あの怜史の面影が確かにあった。

 胸に、瞳に、愛しい気持ちがあふれて止まらなくなる。

 傍目には、家族でも恋人でも友人でもない人物の葬式でこれほど泣くのは滑稽に見えるのかもしれない。でも、気にしてなどいられない。愛しさも悲しさも、すべてが涙となってこみあげてきて、輝夜にはコントロールできないのだ。

 斎場に戻ると、母と妹が待っていた。

 輝夜は、彼女たちの胸に飛び込んで、ひとしきり泣いた。




 一ヶ月後。

 輝夜は、思い出の家を引っ越して、マンション住まいをすることに決めた。あまりにも怜史の面影が濃すぎて、前を向いて暮らせる気がしなかったのだ。

 よくよく目を凝らせば、あの瀟洒な洋風の館を見つけることができる、そんな場所に新しい居を構えた。遠くから、思い出の場所を見守ろう。


 さようなら、愛しい屋根裏の同居人。


 

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屋根裏の同居人 路地猫みのる @minoru0302

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