第2話 素敵な一人暮らし

 引っ越しの翌朝。

 カーテンのすき間から差し込む朝日。チュンチュン……と、可愛らしい小鳥の声で目が覚めた。

 なんて清々しい。

 弟たちのケンカや、母が弟たちを叱る声が聞こえないなんて。

 部屋を見渡す。

 北欧風のデザインでそろえた、輝夜だけのひとり部屋。目に優しいベージュのカーテン、肌触りの良い薄いピンクの布団カバー、毛足の長いラグ、シンプルだがさりげなくおしゃれな花の装飾がほどこされた化粧台。

 これらすべて、毎日独り占めできるのだと思うと、嬉しくてたまらない。

 輝夜はうーんと背中を伸ばし、布団を跳ね上げて、真新しいスリッパに足を通した。


 今日は午前中、半休を申請してあるので、ゆっくりと過ごせる。

 朝食を済ませると、小ざっぱりした格好に着替えて軽くメイクをほどこし、昨日留守だったおうちへあいさつ回りをする。それでも出会えなかったおうちには、メッセージを添えて引っ越し挨拶の粗品を玄関に置いておいた。

 マイホーム(素敵な響き!)に戻ると、ふと違和感を覚えた。

 玄関に、真新しいスリッパがきちんと揃えて置いてあるのだ。

(あれ、たしか両手に荷物を抱えてたから、揃えらなかった気がするんだけど……)

 無意識のうちにやったのかな、と深く考えないことにして、家に入った。


 それから約二週間。

 保険セールスレディの仕事をしつつ、近所のスーパーの場所を覚えたり、最寄りのバス停を探したり、完全には終わっていなかった荷解きを進めたりと、それなりにドタバタした日々が続いた。

 そして今夜。久しぶりに、地元の友人が集まって『一人暮らしおめでとう飲み会』を開いてくれることになった。

 輝夜はお気に入りのワンピース、袖がレース素材の光沢のある紺色それを着て、アクセサリも身に着け、ちょっとおしゃれして出かけた。

 行き先は、最近地元情報誌にも取り上げられた話題のイタリアンバル。

 チリンと軽快なベルの音と明るい笑顔を店員に迎えられ、狭い階段を下る。するとそこには、石窟せっくつの中の食堂とでもいうような、おしゃれな空間が広がっていた。

「久しぶり! 素敵なお店ね」

 先に席についていた、小中学校の同級生、館川絵梨たてかわ えりに声をかけた。彼女は、同じクラブ活動(バレーボール部)の仲間でもあり、現在は不動産会社の営業事務をしている。輝夜と同じく独身で、付き合いやすいサバサバとした性格の女性だ。

 彼女はエスニック調のブレスレットを巻き付けた右手を軽く挙げ、「いいお店でしょ」と応える。

「前に、サークルの同窓会で使ったことがあってね。以来、気に入ってるのよ」

「さっすが絵梨。センスいいわ~。ところで、夕菜は?」

 有本夕菜も、絵梨と同じく、輝夜の小中学校の同級生である。おっとりした性格の、背が低くてぽっちゃりしたいつまでも年齢を感じさせない女性で、現在は一児の母として、家事に育児に奮闘していると聞く。

 そこでタイミング良くスマホが振動した。

 各々スマホを手に取ると『ごめんね! 出掛ける前に優児ゆうじがくずっちゃって。今から出ます~』とメッセージが来ている。

「あいかわらず、優くんは甘えん坊みたいねえ」

 絵梨と顔を見合わせ、笑いあった。


 飲み物だけでも先に注文しようということになり、それぞれグラスを片手に軽く乾杯を済ませる!

「あー! お仕事終わりのお酒、最高!」

 輝夜がグラスを置くと、「あんた、ちょっとおっさん化してない?」と絵梨がからかう。そんな彼女が飲んでいるのはハイボールなので、他人のことは言えないんじゃないかと、輝夜は思う。

「で、どうなのよ? 念願のひとり暮らしは」

「もう、最高!!」

 家族の喧騒から離れた穏やかな生活を、感動を込めて語る。

 絵梨は苦笑し、「ま、あんたんとこの三つ子はパワフルだからね」とハイボールを空にした。店員に同じものを注文してから、輝夜に向き直る。

「喜んでるみたいで結構だけど。困ったこととかはないの? 立地がちょっとアレなとこなんでしょ。防犯とか、いろいろ大丈夫?」

 友人の心配に「大丈夫よ」と笑って答えた輝夜だが、「そういえば……」と首を傾げた。

「困ったことは別にないんだけど、不思議なことならあるのよね」

「不思議なこと? なにそれ」

 家に帰ったらいつもきちんと揃ったスリッパが出迎えてくれる、浴槽に熱々のお湯が張ってある、朝起きるといつの間にか電気ケトルのお湯が沸いている……。

「ね、不思議でしょ?」

「……あんた、疲れてんじゃない?」

 絵梨は、輝夜が無意識にやっているものと言いたいらしい。

 輝夜は「そんなことないよ」と首を横に振る。

「私も最初は引っ越し疲れかな~と思ってたんだけど。でもね、りんごのき方が違うのよ」

「……はい?」

 つまり、皮を剥いて八等分に切って種を取る、という一般的な方法ではなく、皮ごと輪切りにするという珍しい方法でカッティングされたりんごが、器に入って果物ナイフとともに置いてあるのである。

「調べてみたら、りんご農家さんとかでそういう食べ方をするおうちもあるみたいなんだけど、うちにそんな習慣ないし? 不思議よねぇ」

「いや、不思議っていうか。不審じゃない? だれか侵入してるんじゃないの」

 絵梨が眉をひそめる。

「え!? それって、不審者とか、ストーカーとか?」

「分かんないけど、あんたんちの防犯どうなってんの? 治安はどんなとこ?」

 どうと言われても、特別なセキュリティは敷いていない。越してきたばかりでは治安も分からないが、周囲は住宅街で、特に危険な感じはしない。

 絵梨に話すと、「でもとにかく、基本的な戸締りとか、一回見直したほうがいいよ」と言われたので、輝夜は素直に頷いた。

 そこへ、遅れていた夕菜が到着する。

「ごめんね~お待たせ! 輝夜、一人暮らしおめでとう!」

「さんきゅ! さ、もっかい乾杯しよう」

 そうして、その晩は女三人で飲み明かしたのだった。



 

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