第1話 始まりの日

 次々と段ボールを開封しながら、葉山はやま輝夜かぐやはるんるん気分で、荷物を抱え家の中を歩き回っていた。

(今日から念願のひとり暮らし!)

 春のやわらかな日差しが差し込むリビングで、輝夜はひとりほくそ笑む。

(弟のケンカ、家族の喧騒から解放されて、ひとりっきりのマイホーム!)

 思い切って良かった……輝夜は新しく買ったおしゃれなお皿を棚に並べながら、喧々囂々けんけんごうごうとした実家の様子を思い浮かべた。


克己かつき! お前、また俺のジャケット勝手に使っただろ」

「いーじゃん、ちょっと借りただけだろ。一磨かずまはいちいちうるさいな」

「借りるってのはな、きちんと返すやつの言うセリフだ!」

 今日もまた、三つ子の兄ふたりが言い争っている。よくもまぁ、それだけケンカするネタがあるものだと感心するくらい、毎日のように口げんかが絶えない。

 そんな兄たちの争いに、三つ子の一番下の弟は、のほほんと口を挟んだ。

「ふたりとも、また髪が伸びて来たんでない? ねぇねぇ、未来のカリスマ美容師が切ってあげようか」

「あぁ、いつもありがとな、魁人かいと

 と礼を言う一磨とは対照的に、自称未来のトップミュージシャンである克己は「俺はこーゆースタイルだからいいの」とおざなりに手を振った。

 長男の一磨はスポーツ推薦で大学入学後、スポーツトレーナーの道を志し、この春からとあるスポーツジムへの就職が決まっている。

 次男の克己はミュージシャン希望。高校、大学と音楽に明け暮れ、現在も居酒屋のバイトをしつつ、バンド活動を続けている。

 三男の魁人は、二年前に美容系の専門学校を卒業して独立。隣町の美容室でアシスタントとして働いていて、気まぐれに実家にやってくる猫のような弟だ。

 三人がぎゃあぎゃあ騒いでいるところへ、一番下の妹・かなでが現れた。おたまで鍋のふたをジャンジャンと叩く。

「はい~そこまで! 今日はお父さん帰り遅くなるっていうから、私たちだけで先に晩ごはん食べちゃうよ。お母さんの代わりに、私とお姉ちゃんで作ったんだから、感謝しなさいよね」

 現在大学の法学部に通っている奏は、「反論は許しませんっ」という強いまなざしで、メガネの奥から兄たちを睥睨へいげいした。ちなみに、奏の言う「おねえちゃん」というのが輝夜のことだ。

――そう、葉山家は、両親と五人兄弟が暮らす、とても賑やかな家庭だったのである。


(そこを抜け出して! ついに念願のひとり暮らしに踏み切ったわけです!)

 肩まで伸びた黒髪を首の後ろでひとつまとめにした輝夜は、大手保険会社の営業レディを務める二十九歳。すっきり整った顔立ちながら化粧っ気は少なく、実年齢より若くみられがちではあるが、もう三十歳を射程にとらえた立派なアラサー女子だ。

「くつろげる自分の部屋がほしい!」

 という一心で、学生時代からのアルバイトと、短大卒業後現在の会社に勤めてからコツコツ貯金してきた資金を使って、一人暮らしを始めることにした。

 弟たちも大学を卒業したことだし、ということで両親もOKしてくれた。実際、短大を出てから輝夜もずっと家計を支えてきたのだ。そろそろ自由に、独立した生活を送ってもいい頃だと、友人たちからのアドバイスもあった。

(そして、見つけたのがこの物件!)

 サンダルを引っかけて外へ出ると、まぶしい新緑を背景にそびえたつ、新たな我が家を見上げる。

 ちょっと瀟洒しょうしゃな洋館風の一軒家。

 そう、ずっと妹と同じ部屋を使っていた輝夜は、ワンルームの狭い部屋や、隣人の物音が気になる生活は嫌だと、一軒家を借りることにしたのだ。初期費用はかなりかかることになったが、それでも思い切って良かったと、輝夜の顔には笑みが浮かぶ。

 駅からやや遠く線路が近くを通っていて皮革工業地帯が近くにあるという立地、そして事故物件である――といういくつかのありがたくない理由から、一軒家にしては格安の家賃で済むことができる。

(ちょっとした悪条件ぐらい、快適な暮らしには代えられないわ)

 と、保険レディとして超現実的な感覚の持ち主の輝夜としては思うわけだ。

 ガタンゴトンガタンゴトン――と電車が走る音も気にならない。むしろ、風に煽られてわずかにのこった桜の花びらが舞う光景を、美しいと思う。

 輝夜は、玄関ポーチをそっと撫でてつぶやいた。

「よろしくね。私だけのマイホーム」

 家は沈黙を守り、春の日差しの中に淡い珊瑚さんご色の外壁をさらしているのだった。

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