第22話 現実

 市役所の時間まで時間がある為、勲は取り敢えずバイトをしようと、正社員になる選択肢をあえて入れずに、俺はまだ腐っても小説家なんだと自分に喝を入れ、時間の余裕ができる短時間のアルバイトをネットで探し、隣町のカゲロウ市の書類選考不要の単発派遣のイベント係員の仕事を見つけ、採用が決まり、一先ずは安心という形に落ち着いた。


 仕事での小説は、自分が昔殺人を犯した事には触れず、肺癌の幼なじみのセックスを目の当たりにして気が狂い強姦未遂を犯すという、やや狂気じみた内容の作品をものの3日間で、自分でも恐るべきスピードで仕上げ、昔の情熱の欠片でもある異世界ファンタジーを勲は試行錯誤をしながら書いている。


 幸にして、ノートパソコンは中古だが、巧が趣味のネットサーフィンをする為にジャンクショップで購入した3万円程の10年程前のものがあり、それを借用し、執筆活動を行なっているのである。


 勲は自分のようにぐうたらな人間にならさせないように、男は背中で語れというのだが、拓磨がいる前では早寝早起き、夜遊びは厳禁というスタンスを貫いており、既にヒカリ町に仕事で越してきた千春から、この町でおすすめの夜のお店はどこだという誘いを、ググってくれと一蹴し、この町での暮らしを始めている。


 アルバイトにも慣れ、小説も何とか書けるようになってきたある日、勲は気晴らしにとカゲロウ市をぶらついている。


 カゲロウ市は、ヒカリ市よりも規模は数倍大きく、戦前はそこまで大きくはなかったのだが、戦後になり近隣の市町村と吸収合併を繰り返し、今や都内の4分の一程度の人口密度を誇り、高校、大学と短大、専門学校が10校あり、映画館や大手デパート、古着屋やカラオケ、飲食店など、遊び慣れている学生や、『おぼろ化工』に近隣の企業に勤める社会人が多くおり、休日になると流行の服に身を包んだ若者が街を闊歩する。


 37歳に近くなり、若者とは呼べない年齢に差し掛かった勲は、かつて裕也や英美里と共に休みになるとこの町で遊んでいた頃とは勝手が随分と違ってしまい、俺都内に住んでたのに、何でこんな違和感を感じるんだろうなと、未だに町に慣れないのである。


(バイト代入って、金入ってぶらりときたが、俺にとってはこの街は不釣り合いなんだろうかな……いや、悪い意味で。パソコン買って帰るか……)


 勲は、目の前にある、4万円のパソコンが売っているという大陸系の大手生活量販店に入ろうとすると、前日の仕事疲れからくる欠伸に襲われて、軽くその場で足を止める。


「ん?」


 目の前を通り過ぎる沢山の群衆の中に、昴に似た顔つきの女性がいたのに勲は気がついたが、その女性は人混みの中に消えていく。


(いるはずねぇか、いくら大きな街ったって、都内に比べたらこんな街は屁みたいなものだ。眠いから、コーヒーでも飲むか……)


「勲」


 店の中に入ろうとすると、千春とばったり出くわして、いきなりの再会だった為に勲は、おおっとみじろきをする。


「あれ? お前仕事は? ひょっとしてクビになったのか?」


「違うよ馬鹿。早番で今日は早上がりなんだよ。明日休みだからな、遊びに来たんだよ。お前こそどうなったんだ?」


「俺は取り敢えずはバイトしてるんだよ。取り敢えず、コーヒーでも飲むか、喉渇いたし」


「あぁ、そうだな」


 勲は生活量販店の中に入っている、大手全国チェーンの喫茶店を指差して千春にそう伝え、この暑さは敵わんな、冷たいものでも飲みたいなという欲求が出ている千春は、勲の誘いに快く了承し、クーラーが効いている店内へと入っていった。


 📖📖📖📖


 「お前、まだ諦めてなかったのか?」


 千春は、小説など不安定な仕事を続けずに。いい加減に現実を見ろと言いたげな表情を浮かべ、カフェラテを口に運ぶ。


「いや、もうそろそろは終わりだがな、もう小説で飯を食える時代ではないし。ただ一応は作品は出すがな。お前はどうなんだ?」


 勲はソイラテをひと口口に運び、タバコに火をつける。


「いや俺はもう、流石に諦めたよ、だってな、今の仕事は体を結構使うし、休まないと持たないしな。せっかく正社員になれたからな……てか、心身がもう追いつかなくなったんだ、小説を書くのがな。一応作品は書き上げたんだがな……」


「それ出せばいいじゃん」


「馬鹿言え、俺仕事決まったばっかだし、副業は禁止っぽいしここ……でもなぁ、出したいけどさ、会社にばれたりはしないかなぁ? せっかく安定した職場にいるんだがなぁ……」


「確かよ、これペンネームで応募していいってことになってるみたいだぞ。調べてみようぜ」


 勲は、一月程前までは、飲み会をやるたびに後世に残る作家になると安い焼酎や発泡酒を飲んで意気込んでいた千春が、正社員という安定した仕事につき保守的になってしまっており、かつて情熱を共にした仲間が去っていくのは嫌だなと思い、週間文超のホームページにある大賞の募集要項を見やる。


「どうせ、無理っぽいだろうけどなあ……」


「いやこれは、ペンネームでもいいと書いてあるぞ。勿論送るのは本名が必須だが。ただ、公にはペンネームでやるみたいだぞ」


「ふーんそっか、まぁ、会社にばれないならばいいか。出してみるわ、最後の勝負だなこれ……お前は作品はできてるのか?」


「うーん、後三分の一って感じだな。本業もあるし、そんなに頻繁には書けないからな……」


「どんなジャンルなんだ?」


 千春は、職業作家である勲が一体どのような作品を書いているのかかなり気にかかっている様子であり、勲はそれに気がついており、異世界ファンタジーを書いているというのは今日日の学生のようだと笑い飛ばされるし、年相応ではなく恥ずかしいから黙っておこうと慎重に口を開く。


「それは謎なんだよねぇ、企業秘密的な」


「何だよそりゃ」


「まぁこの大賞に出した後に教えるわ」


「そっか」


 千春は勲の書いている作品を相変わらず気にしながら、電子タバコを吸い終えて、灰皿に吸い殻をもみ消す。


 📖📖📖📖


 勲はノートパソコンを買って千春と別れ、家に戻り、自分の部屋で箱を開いて買ったノートパソコンを起動させて暫く設定し、動作がもっさりとしていて全然性能がダメじゃんと嘆いたが、最低限のことができればそれでいいかと気持ちを切り替え、登録しているクラウドサービスに入れてある、書きためていた小説をパソコンに送り、これまた安く購入したUSBに入れて、ベットに横になり一息ついている。


(夢を見る歳ではない、かぁ……)


 まだ20代であるのならば、作家や弁護士を目指して勉強している事は何らおかしくはなく、勲の周囲にそんな人間は何人もいた。


 だが、30代に差し掛かり、企業の年齢制限という自分の力ではどうにもならない現実が襲いかかってきて、仲間達は千春や昴を除き、職業訓練学校に通い資格を取り、中小企業に転職をして冴えない人生を送る道を選んだ。


 彼等とはもう連絡は取っていない、厳密に言えば、向こうから夢を追い続けてる人間とは関わっても自分に何もメリットはないという事でLINEや連絡先はブロックされたのだ。


(でも、何かな、これで最後だな、どうなるか分かんねーし。……ってか、勉強しなきゃな……)


 勲はむくりと体を起こし、本年度の市役所の教養試験対策のテキストを開く。


 学校の勉強が壊滅的だった勲にとってこれは苦痛以外での何者でもなかったのだが、不思議に勉強が捗っていくのである。


 勉強する事30分程してどんどんとドアがノックされ、元気の良い子供の声がドア越しに聞こえる。


「おじちゃん! お風呂入ろう!」


 ハイハイ、と勲は勉強する手を止めて、可愛い甥っ子や家族の為に頑張ろうと、むくりと立ち上がりドアを開けた。

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