第2話 大賞

 冷蔵庫にあるものを全て食べ散らかし、昴との性行為に使った2個のコンドームの跡が残る部屋の中、昴は勲の腕に抱かれて彼等は全裸、一糸纏わぬ生まれたままの姿で綿が所々はみ出した年季物の布団の中で、30代後半に差し掛かったのにもかかわらず、勲の昴への昨夜の夜の営みが激しかったのか、すやすやと気持ちよさそうに寝ている。


(この女とそろそろケリをつけないといけないんだろうかな……)


 定年退職した高齢者や、近所の中小企業の顧客をメインとする場末のスナックを経営する、顔がそこまで美人でもなければ不細工でもない、昔からの付き合いのこの女、飯島昴(イイジマ スバル)との関係をどうするか、別れるか結婚するかの答えが勲の中での悩みのウエイトの大半を占めている。


 ジャンクショップで5000円で購入した、数年前のSIMフリーのスマホが鳴り、勲は慌てて飛び起きてスマホを探す。


「ううん……」


 勲の腕が離れて、昴が起き出したが、勲はそれを気にはしてはいない。


 スマホを探し出して液晶を見やると、そこには、週間文超 影山と080から始まる12桁の番号の羅列が表示されている。


「はい、おはようございます」


勲はこの影山という電話の主が、自分の上司か仕事仲間であるのか、背筋を伸ばし、いつも少しくぐもり気味の声ではなく、学校の体育会系の部活の上下関係のように、はっきりとした声で挨拶をする。


その様子がおかしいのか、昴はくすくすと笑い、勲は人差し指を唇に当てる。


「おはよう。ねぇ勲ちゃんさ、この前話してた原稿料の値上げだけどさ、上の人が内容次第で考えてもいいって言ってんだけどさ、とりあえず今から来れない? 10時半に『ボルタ』で待ち合わせてさ」


「はい、分かりました、今から向かいます」


 勲は電話を切り、原稿料の値上げという重大な事項に、これはだらだらとしている場合ではないなと思い、床に無造作に脱ぎ捨てられた縞模様のパンツとスキニージーンズとシャツを見つけて慌てて着替えはじめる。


「なによ〜もっとやさしく起こしてくれたっていいんじゃないの?」


「んな、それどころじゃねぇんだよ、稿料が上がるかもしれねーんだよ!」


「えーまじで! 上がったら私の店に毎日来てね! きちんとサービスするからさあ!」


 昴は商売人の顔つきになり、己の体で自分の店の客を手に入れる浅ましい魂胆で勲の手を握る。


「まぁそりゃ今後の結果次第だな。とりあえずお前は着替えて帰れ。もう春だが風邪ひくぞ、素っ裸じゃあ。これから『ボルタ』に行くからな」


「うん分かった〜あーあ、私もデビューしなきゃなぁ」


「とりあえずお前は酒飲まずに書けよ」


「うんそうするわー」


 勲は冷蔵庫を開き、まだ残っているコーヒーを取り出してカップに注ぎ入れた。


 ☀️☀️☀️☀️


 2002年、地元W県Z町のU高校を卒業した勲は、若い人間独特の、上京したいという願望に取り憑かれており、就職という名目で上京をした。


 大手印刷会社に正社員で入れたのはいいのだが、やる仕事といえば印刷の仕事ばかりであり休日が殆どなく、すぐに嫌気がさして半年後に退職し、親と喧嘩をして音信不通になり、期間工や派遣社員を転々とする日々を送っていた。


 25歳の時に、週刊文超が主催する小説の賞に投稿をして特別賞に入り、編集長の影山に気に入られて作家として採用される事になった。


 だが、やることと言えば、社会的なメッセージ性を込めた作品とか、超大作を書いてくれとかではなく、雑誌の4ページ程を使って官能小説を書いてくれという契約を結んだのである。


 勲が30歳に差し掛かり、会社の経営不振により期間工の契約が切られ、大したスキルがない為に派遣会社で登録をしようとしても敬遠され、いよいよどこも雇ってくれるところが無く、生活保護を受けるかと悩んでいた時に、近所に新しくできたコンビニで人を募集しており、深夜のアルバイトで勤務が決まり、時給1400円程度を5時間、週に4回やり、空いた時間で小説を書くという贅沢とは言えないのだが、二足の草鞋を履く事になった。


 ちょうどその頃、スナック『ブルーベリー』が近所にでき、値段も手頃だった為に何度か通っていくうちに店主であった昴と仲良くなり、LINE交換をした。


 バーの馴染みの客とも交友を深め、誰かがふざけ半分で小説同好会のグループトークを作らないかと言い、『桔梗小説同好会』を立ち上げた。


 作ったのはいいのだが、全く活動らしい活動はせずに、ただの飲み会サークルと化し、自堕落に6年余りが過ぎて行った。


(俺はいったいこの町で何をやってるんだろうな……)


 目の前に置かれたウインナーコーヒーを見て、勲は、36歳の御年まで正社員でもなく、単なるバイトで、売れない小説家崩れである自分の身分を振り返り、惨めな気持ちに襲われる。


 勲はふと、窓の外を見やると、自分と同年代かそれよりも若く見える、スーツに身を包んだサラリーマンが、スマホを片手に忙しそうに街中を歩き、その隣では同年代のような女性が5歳ぐらいの男の子と共ににこやかに歩いているのを見て、ますます自分は何をやっているのだろうかなと惨めな気持ちが増していき、コーヒーを口に運ぶ。


「勲ちゃん、待った?」


 まだ少し夏には早い5月下旬なのにも関わらず、薔薇の絵柄のアロハシャツと白の短パン、サンダルを履いた40代の男が、周囲の不審者を見るような蔑んだ視線を浴びながらも、これが俺だと言わんばかりに強烈な自己主張をしながら勲の前に立っている。


「影山さん、お疲れ様です」


「いや、今日ちょっとお話があって呼んだんだよね、姉ちゃん、カフェラテのホットね!」


 ヘビースモーカーであり、仕事のストレスと体質の変化により加齢臭がこれでもかと出ているのだが、全く自分の体から発する匂いに気が付かずに匂いケアをしない影山を、ポッチャリした30代の銀縁メガネをかけた女性店員は一瞬嫌悪感を示しながら、オーダーを受け取り厨房の方へと消えていく。


(この人は、自分がモテない要素丸出しってのを気が付かずに、孤独死するんだろうな……)


「勲ちゃん、話ってのはね……」


 影山はタバコを一吸いし、口を開く。


「実はねぇ、勲ちゃんの作品は何気に人気があってねぇ、稿料をあげて良いと。ただ条件があるんだよ」


「ほう、条件とは?」


「うちの会社でね、賞があってね、それに入ることができたのならば、今までとは倍の額の稿料を支払って良いと……やるか?」


「それってまさか、文超大賞っすか……?」


「うんそうだよ。どうかな?」


「はい、やります!」


「そっかわかった、じゃあ、上の人に申し込んでおくね、募集要項はこれだからね!」


 影山は、形容し難い口臭を撒き散らしながら、勲に一枚のプリントを手渡して、運ばれてきたコーヒーを喉に流し込んだ。


 ☀️☀️☀️☀️


 影山と別れた勲はため息をつきながらとぼとぼと家路についている。


(若気の至りをしちまった、なぁ……)


 文超大賞の条件は、400字詰原稿用紙50〜200枚まで、ジャンルは不問、締め切りは三ヶ月後であり、長編小説をあまり書いたことがない勲は、稿料を上げて、少しでも生活の質を向上させようと勢いで参加すると言ってしまった事を深く後悔する。


「どうすっかなぁ……」


 まだ太陽の光が差している午後14時、アルバイトまでまだ時間はあり、昼寝でもしようかな、でもなんか、悩みをうやむやにしそうで嫌だなと勲は思っている。


 俯きながらも、足は自然にある方へと足が進んでいる。


「よう、勲ちゃん」


 目の前には、スキンヘッドの黒縁メガネをかけた、やや垂れ目の痩せ型の男がいる。


「あれっ? お前今日休みなん?」


「あぁ、代休なんよ。ついでにお祈りに出かけようかと思ってて」


「お祈り? なんかお願い事でもするのか? 神様の存在を疑問視してる無神派のお前が?」


「そう。文超でさ、大賞あるだろう? 応募しようと思っててさ」


 彼等は、話をしながら足を進めていくと、大きな茂みのある神社へと辿り着く。


「んなもん、神様に頼んでも叶えてくれる補償なんざどこにもないだろ?」


「まぁ気休めだがな……」


『轟神社』と鳥居に書かれている大きな神社に彼等は一礼をして、足を踏み入れる。

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