A-2 精算 ―畏怖―

 キャンプを片付け、私達は次の町に向けて森の中を歩いている。木々の間を涼しげな風が通り、日の光が差し込んでくる。

よく分からない家出をしてから、サイカはまたいつもの調子に戻った。少なくともしばらくは。

 ずっと何かに苛立っている様子で、いや苛立ちの原因は私がサイカを許したみたいな話らしいんだけど、なんにしても理不尽に怒っている。

 「分かる?主人公たるもの『仇討ちなんて何も生まない!』なんて言われても納得しちゃダメなんだよ。せめてもっと葛藤するとかしないとさ、読者も付いてこないよ。」

 「なんの話だなんの。そもそもそんなこと言われたことはないから。」

 思い返せばむしろ殺さなくていいのかとまで聞かれたわ。

 「とにかく、別に私はあなたのことを許したつもりはない。ただレミが一緒にいると決めたから、私はそれに従ってるだけ。」

 「……エレノラは、やっぱりサイカと一緒にいるのが嫌でしたか?」

 レミが変に引っかかってきた。話がややこしくなる。

 「嫌じゃないって言ったら嘘になるけど……でも嫌々従ってる訳じゃないから。レミがしたいって思ってることをなるべく手伝ってるのも、私がそうしたいからそうしてるだけ。」

 レミもなんだか納得いってない様子だけど、それでもまあ頷いたから良しとしよう。なにより今面倒なのはサイカだ。

 「だから、許して欲しくないなら、おめでとう、サイカ。今まさにそうなってるから。」

 「ふぅん。嫌な人と一緒でも嫌な顔しないなんて、エレノラさんは大人なんだね。」

 「そりゃあ、誰かさんの言うとおり、いい年だから。ほら、町が見えてきたよ。」

 もうかなり森も薄くなってきていて、周りの草ももう足より低い。


 *****


 森の近くにあるレムレルの町は大きな町で、特に中央街は国の首都かというくらいに整備が進んでいる。

 その一方で宿は少ない。外からの人をあまり受け入れる土地柄ではなく、特に街外れの方だと私達旅人に向けられる視線まで冷たく感じる。

 「なんか感じ悪いね。」

 そういうことは口に出すものじゃない。

 「もうちょっと行けばましになるはずだから。」

 前に来た時は、それこそ中央街まで空を飛んできたから気になってなかったけど、あまり長居するべき雰囲気じゃないな。少し歩を早めて二人を案内する。


 お昼も過ぎ、日が傾いた頃に宿に着くと、レミは気疲れした様子でナップサックを下ろして、ゆっくりと息を吐いた。一方のサイカは疲れ知らずのようで早速部屋を探索しだした。

 「うわー結構広いね。うわ、トイレまである。あ、流石に共用か。でも久しぶりに見たー。」

 「お風呂もあるはずだよ。」

 「お風呂ですか!?」

 ベッドに座り込んでいたレミがぴょんと立ち上がる。魔法で身ぎれいにしてはいるけど、どうもレミはお風呂好きだったようだ。

 「まあ宵のうちだけだから、まだ時間があるけどね。」

 なんにせよまずはご飯かな。外に出よう。


 林業が盛んなレムレルは、その街並みもほとんどが木で出来ている。道は土が見えてはいるけどよく整地されていて歩きやすい。茶色と灰色で落ち着きのある雰囲気もあって、これでよそ者への態度がよければ結構人が来ると思うのだけど。

 とはいえ中央街は、栄えているだけあってそう邪険にされない。お店とか露天を覗いてても、町の人と同じように声をかけられる。

 「メイドちょー、早くご飯食べに行こー。じゃないとレミのお腹が鳴っちゃうよー。」

 「ちょ、サイカ。そんなこと大声で言わないで。」

 少し行ったところで二人が呼んでくる。まあ旅支度は食事のあとでいいか。

 適当な食堂に入ると、どうもメニューを選ぶ感じのところじゃなかったらしく、料金先払いのあとテーブルについた。程なくして山菜のスープに川魚を焼いたのが出てくる。うん。悪くない。


 三人で料理に舌鼓を打っていると、入り口の方で、どさり、と荷物の落ちる音がした。

 何ごとかと視線を向けると、驚愕の面に満ちた女性が立ちつくしていた。震える手を見るにこの人が荷物を落としたらしい。その怯えた目はこちらの方を見ている。

 「『最……強』。」

 名前を呼ばれたと思ったのかサイカが反応したが、絞り出したような声とともに差し示された指は少しずれていて。

 スープを熱がっていたレミが顔を上げると、レミを指さしていた女性はヒッと息をのんで、荷物もそのままに逃げていった。

 どういうことか、は分かっている。サイカがレミに譲った『最強』の名前はその伝説とともに広く知れ渡っている。サイカは伝説を書き換えたと言うけど、二つ名ウィッチネームと違って伝説は読んで知るものではない。その書き換えたという伝説が広く知れ渡るのには、大きな時間が掛かるだろう。

 さっき逃げた、おそらく魔女である女性は、レミの名前にサイカの所業を見たんだ。『歩く災厄』と呼ばれるまでに至ったその力を。そして『理由なき不幸』をもたらされる前に逃げた。

 名前を継ぐというのはそういうことだ。その人の功績も悪評もすべてを受け継いで、その上で自分を評価される。……サイカは、どうしてレミに名前を継がせたのだろうか。

 あっけにとられていた店の人たちも、やがて彼女の奇行を読み取ってこちらに冷たい視線を送ってくる。そうなると、ようやくスープを飲み終えたレミにも異変が伝わってくる。

 「このお店雰囲気悪いね。」

 「……あまり長居するのも悪いし、食べ終わったなら早く出ましょう。」

 「あ、えっと。……はい。」

 食事を終えたばかりのレミには悪いけど、こんな感じだと休まるものも休まらないだろう。


 噂が回るのは早いようで、私達が店の外に出ても周りはこそこそ話ばかりしている。さっき覗いた露店を見ても、店主は不安そうな笑みを浮かべて一言も話さない。

 ――これなら買い物はさっき済ませておくんだった。


 「あの、すみません。」

 宿に戻るなりレミはふさいだ顔のままそう言った。でも悪いのはレミじゃない。そもそもの元凶に目を向ければ、こちらは怒りに満ちているようにみえる。

 「レミが謝ることなんてないよ。なんならあいつらの恐れるようにしてやろうか。」

 レミはゆっくりと首を振って、そのままベッドに倒れ込んだ。いろいろと疲れたようで、規則正しい寝息が聞こえてくる。

 泣いたりはしてなかったけど、むしろそれが痛々しくみせる。いっそ泣いてくれた方が慰めの言葉のかけようがあった。

 「よし、それじゃあ行こうか、メイド長さん。」

 「行こうってどこに。」

 「決まってるじゃん。この街をぶっ壊しに。」

 サイカはしたり顔で、手のひらの上に魔力を固める。いやいや。

 「ついさっきレミに止められたところでしょ。」

 「フリでしょ。やれっていう。」

 「そんなフリあってたまるか。誰のせいでこんなことになってると思ってるの。」

 「街の人でしょ。勝手に騒いで、勝手に怯えてる。」

 ……その考えは嫌いじゃないけど、でも今はそういう話じゃない。この町でなくとも、遅かれ早かれこういうことは起きていたはずだ。これまでの町では、偶然魔女に会わなかっただけで。

 「分かってるんでしょ。元はといえばあなたが――」

 続けようとしたらサイカがそっと手を取った。

 「続きは外でね、メイド長さん。レミが起きちゃう。――というか、起きてるっぽい。」

 うそ!レミの様子を見ようとしたら、そのままサイカに連れ出された。

 まあレミに聞かせる話でもないだろう。……もちろん分かってるんだろうけど、でも自分で考えてるのと他の人に言われるのとだと気分が全然違うものだ。特にこういう話は。


 外に出ると、サイカは存在しない階段を昇り始める。無詠唱でこういうことをされるとちょっとぎょっとするからやめて欲しい。

 下の人の視界に入らないような高度まで行くと、サイカは見えない椅子に座って、隣を叩くそぶりをする。隣に来いということか。私はすでに杖に乗ってたので、そのまま隣に行こうとしたら膝が硬い何かにぶつかった。

 「つぅ……。」

 「何してんのメイド長さん。ベンチなら用意してるよ。」

 「……それはどうも。」

 ……単なるポーズだと思ったのに。気を取り直して、見えないベンチ座り、その下に杖をしまう。

 「で、話の続きだけど。」

 「もちろん、これは私が撒いた恐怖の種だってことは分かってる。でもそれなら私を恐れないと変でしょ。」

 「知らない人を探す時は誰だって名前を手がかりにするでしょう。私だってそうしてたし。」

 仮に数ヶ月前の私が今のレミと出会ったら、私はレミを仇だと思っていただろう。

 「あの名前の意味もなにも考えずにレミに譲ったの?」

 「だって私はあのまま死ぬつもりだったから。」

 サイカはじぃっと下を見る。夕明かりの下松明の明かりがあちこちに見え始めていて、町をオレンジに染める。

 「私が死ねば、私のかけた魔法が解けて、大陸を分けた壁も消える。それが私の、『歩く災厄』の死んだ証になる。その上で『最強』の名前を継いだ少女がいれば、その子は災厄殺しの英雄になれる。めでたしめでたしってね。」

 「その結果壁が消えて行き来が生まれた両大陸ではまた戦争が起きる。そうしたら、今度は戦争の元凶なんて呼ばれたかもね。」

 つい口に出してしまったけど、悪い考えばかり生まれるのはあまり良い心的状態とは言えないな。

 「……『めでたし』の続きはいつでも下り坂ってわけ。」

 サイカはそれだけ言ってしばらく黙って下を見ていた。

 気まずい沈黙に耐えかねて私はまた口を開く。

 「そもそも、なんでレミに名前を継がせたの。それこそ『災厄殺し』とでも新しく付ければよかったのに。」

 サイカの顔の角度がさらに深くなった。沈黙をごまかすのには悪い質問だった。

 「……わたしだって、この世界に何かを残したかったから。私の生んだ名前を、私と同じところから来た子が受け継いでくれるのなら、それは悪役にしてはいい幕引きかなって。」

 概念の名前は、本来誰かに名付けられる訳ではない。その人の行いが、周囲の人からの印象がそのまま名前となる。すべてを打ち倒し、その力をもって一人で戦争を止めたサイカにはまさに『最強』という名前は相応しいものだった。そして、そのサイカを倒したレミにも、相応しいと言えるだろう。

 でも、レミにはその名前は物騒すぎる。過去を取り戻しつつある彼女を見ると、特にそう思う。

 サイカはついに顔を上げて、私の方を見る。責めるようでもなく、すがるようでもなく、ただまっすぐその黒い瞳を向けてくる。

 「……それじゃあ、どうすればいい?許される訳がないことをした、許されようとも思っていないわたしが、そんなわたしを『友達』だなんて言うあの子に何が出来るっていうの?」

 たとえサイカが召喚獣サモニーじゃなくなっても、レミが悲しむだけで状況は何も変わらない。名前を変えようにも、私もサイカもレミの名付けをすることは出来ない。それに、そもそも名前を変えるのは嫌がりそうにも思える。

 「分かんないわよ、そんなの。」

 サイカだけじゃない。私にだって、あの子に出来ることはそれほどないのかもしれない。

 それによる苛立ちに気付かずに、目に見えた原因のサイカに当たっているだなんて、これでよく大人だなんて言えたものだ。

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