7-4 戦いの準備 ―決着―

 ズメウは動かない。私は目に突き刺さった槍から手を離し、二、三歩後ずさりして地面に立つ。

 「勝った……?」

 まさか死んだとは思えないが、動かないところを見ると充分なダメージは与えられたはずだ。

 その場にしゃがみこんで、戻って来たアマレットと顔を出したソバディゴをそれぞれ撫でてやる。

 顔をあげると、急に目の前の大穴から岩が飛び出てくる。その岩はがぱりと口を開き、その奥の赤いきらめきを見せつける。

 座っていた私は動きを取れず、自分の身を守るだけの魔力もありそうにない。

 そうか、ここまでか。まあ、仕方がない。気を抜くのが早すぎたんだ。私は目を閉じて、次に来るであろう熱風を待ち受ける。きっと一瞬で済む。苦しむ間もない。

 これに勝てないなら、あの『最強』に勝てるはずもない。私の旅はここで終わりだ。


 しかし、私に訪れたのは横に吹き飛ばす衝撃だった。目を開けると、岩から噴き出る炎の中に、人影が一つ見えた。手元には、ハッピィのカードが戻っている。

 やがて炎は薄れ、そこに立っていた人影が崩れ落ちる。慌ててその人の元へ行って抱きとめる。

 「レナ。」

 「名前、呼んだの、久しぶり、ですね。」

 腕の中でその少女はぎこちなく笑った。どうやら身にまとっていたローブが最後の盾になったようだ。

 ローブはほとんど焼け落ちているが、身体にはいくつか火傷が見えるくらいで済んでいる。

 「どうして。私は、死なないのに。あなたは、死んじゃうのよ?」

 ただの駒としか思わないようにしていたような私を相手に。身代わりになって傷ついたレナを見て声が震える。

 横の大穴が破壊される音が聞こえ、こちらに風が吹いてくる。どうやらズメウが飛び立ったようだ。

 「あなたと、一緒に、居たかったんです。誰かに、与えられたとしても、私には、本当です。」

 レナは私の腕を掴んで立ち上がった。そして、ズメウの方を見る。

 「もう少し、頑張りましょう?」

 私は目の前の、私よりもよっぽど強い少女に微笑みを返し、同じくズメウの方を見る。

 留まり月を背景にズメウはやや遠くで羽ばたいている。待て、昼間になぜ月が?

 太陽を探すが見当たらない。よく見れば空に二本の光の筋が見える。どうやら『空の切れ目』に太陽が入ったようだ。


 そうか、確かに止まってもらう必要はない。来る場所が分かるなら、そこで待ちかまえればいいんだ。それで攻撃が通るかは一か八かだけど、どのみち私にはもう切れるカードがない。

 『これで最後にしよう、人間。今一度我に傷を付けることができれば、我は貴様の軍門に下ろう。』

 私は頷き、胸に手を入れる。使えそうな武器は、後は弓と矢くらいか。まあちょうどいい。弓矢を取り出し、弦に矢をつがえる。

 「レナ。」

 レナは頷いて、魔力を送ってくる。

 「私の全てを・・・・・あなたに捧げます・・・・・・・・。」

 レナの魔力を受けると、一緒にレナの想いが流れてくる。


 別れへの怖れだけじゃない。

 私がエレノラと一緒にいたいのは。

 喜びも、怖れも、すべてあの人とともにあった。

 あの人はいつも、私のことを思ってくれた、私のために悩んでくれた。

 だから!


 同時に見えるのは木で出来た部屋。召喚カードを踏み付ける男の姿。これは、あの時、『大蛸テンタクルス』の屋敷で私がカードに戻ってからの記憶……?

 『大蛸テンタクルス』を見つめるレナの感情は、ひどく渦巻いていて、判然としない。あの男の口が動くたび、苦しい気持ち、愛しい気持ち、ない交ぜになってよく分からなくなっていく。

 それがある時、男の発した単語に反応して、その渦の奥の方からなにか湧き上がってくる。

 自由……魔女は自由である……だからこそ、約束を守る。

 約束!まだ、叶えてない約束がある!

 体中の魔力がほとばしる。目の前の男がどれだけ口を動かしても、何かの陣を書いても、もう流れは変わらない、動きも止まらない。

 激しい光を伴って吹き出た風は棚中の物を吹き飛ばし、目の前の男を叩きつけ、粗末な木の壁を壊し、自分とカードを舞い上がらせた。

 そうして瓦礫となった家の上に立って、カードを掴んで魔力を込める。魔力がカードを通して形を取り始めた時、よかったと、それだけ思って倒れた。


 なんてことはない。考えればすぐに分かることだった。あの時私を助けて、そして自分自身の自由を取り戻したのは、私が役立たずとまで思ってしまった少女だったのだ。


 思い返せば、レナの最初の記憶からして彼女には感情があった。

 それを人形だなんて言われたのを真に受けて、自分の愚かさに思わず笑ってしまう。

 どこまでも愚かで、うかつで、変に気を遣って誰かに流されてしまう。

 でも、だからこそ旅をして、そうしてレナに出会ったのだ。

 「レナ、一つ頼んでいい?」

 レナが返事をした。

 「なんですか?」

 「私がカードになったら、カードに魔力を込めてすぐに召喚サモンしてね。気が付いたら違う場所っていうのは、やっぱりいい気分じゃないから。」

 「それって……。」

 やり直そう。今ここで、ズメウに勝って。今度こそレナの召喚獣サモニーになろう。

 打算とかじゃなく。一時のものとしてでなく。本気の気持ちで。

 私はレナを側から離し、レナから受け取った魔力を矢に全て込める。ただただ固く。ただただ強く。ただただ折れず。

 そして、弓矢を引く。空を飛ぶズメウに向かって。

 夜のように暗くなった空に、燃えるズメウはよく目立つ。格好の的だ。

 そしてこちらに向かってくる。一直線に。こちらも小細工はしない。込められるだけの魔力を込めて、あの岩を打ち砕くだけの魔法を掛ける。

 ズメウの体がだんだんに大きくなる。

 まだ。

 その姿は次第に私の視界を狭めていく。

 まだだ。

 やがて私が見えるものはその岩のような肌だけになった。

 もう少し。

 そして、燃え盛る前足をこちらに向ける。私の視界は真っ赤に染まった。

 今だ。

 私は右手を離し、そして、この世にあるとも知れなかった衝撃を受けた。

 死ぬほどの衝撃というのは、これほどまでに強いのか

 そう思ったところで、私の意識は途切れた。


*****


 意識が戻った時、私の視界に入って来たのはレナの泣き顔だった。

 「いつかも、そうやって私を召喚サモンしてたよね。」

 努めて優しくそう言って、レナの涙をぬぐってあげる。

 「だ、だって。あんな、風で。いつもより、召喚サモンも、遅くて。」

 震える声で、取り留めもなく泣きじゃくる。確かに自分で戻す時より死んでカードに戻るときの方が召喚サモン出来るようになるまで時間が掛かるものだ。まあ、ちょっと説明不足だったかもしれない。

 太陽はもう『空の切れ目』から出ているようだ。

 「ごめんね。でも言ったでしょ?私があなたの召喚獣サモニーである限り、絶対死ぬことはないって。」

 「で、でも。あの時、消えそうで。それに、ずっと、おかしかったし。」

 なんというか、成長しないな、私。この子はこんなに強くなってるのに。

 レナを撫でてやると、とめどなく流れる涙を自分で拭いながらレナは何度も頷いた。


 やがてレナも落ち着いたところで、後ろにそびえたっていた岩山の方に振り返る。

 「さて、待たせたわね。」

 『我にとっては刹那に同じよ。』

 ズメウは右の前足をこちらに向ける。そこには穴が開き、血が流れ出ている。

 『貴様の勝ちだ、人間。』

 「こっちもやられたわけだから、正直もっとごねられるかと思った。」

 『そこを咎めるなら、小娘から魔力を受けた時点で咎めるべきである。我は貴様が小娘の力を使うのを認めていた。そして貴様は小娘の力で死を免れた。それだけのことだ。』

 まあ物分かりがよくて助かった。召喚サモンの儀式には心から認められる必要がある。どう頑張っても口で説得できなければ諦めるしかなかった。

 と、ズメウはグェッグェッと笑った。

 『それに、死を恐れぬ貴様の一撃、天晴であった。さあ始めよう。知恵と勇気で我に打ち打ち勝ちし人間、エレノラよ。』

 なるほど、名前を呼ぶのがズメウの合図か。

 私はズメウに正対し、両手を向ける。そして集中し、呪文を唱える。

 「汝、我が求めに応じよ。汝が魔、我と交わりて一つとなるべし。我は汝、汝は我なり。」

 ズメウは最後に一つ吠え、そしてカードになった。

 どれだけ大きくても、カードは同じ大きさ、同じ重さ。

 ただ、そこに込められている魔力量は大きく違う。

 このカードが、私の持つ最大の力になる。そしてその分だけ、私を通してレナも強くなるのだ。

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