5-EX エレノラとクルル
それは、エレノラがまだファンミと名乗っていた頃の話。
*****
とある町の片隅、天井の角に蜘蛛が巣を張っているような酒場のカウンターで、エレノラことファンミはグラスを傾けていた。
「マスター、仕事はないの?こんな町、さっさと出て行かなきゃいけないんだけど。」
酒場のマスターは無言でグラスを磨いていた。
「あっそ。」
そう言ってまた酒をあおる。周りにも、二、三人の客しかいない。みんな無口に酒を飲んでいる。
ドアが開いて外の光が差し込んでくる。
酒場にいる人間が一斉に入口の方を見ると、そこにはリスのような耳を生やした、毛むくじゃらの少女が立っていた。
「なんだよ、亜人かよ。」
「けっ酒がまずくなる。」
「ここはテメェみてぇなおこちゃまが来るような場所じゃねえんだよ。」
男たちの好き好きにつく悪態を意に介せず、リスの少女、若き日のクルルは酒場の中に入っていき、中の人間たちをまじまじと見る。
「あんたはあかん。あんたもやな。」
そして次々と評を下していく。そしてファンミの所まで来た。
「あんた、魔女やろ。」
「……どうして?」
クルルはファンミを上から下までじっくりと舐めるように見る。
「露出の多い恰好、それほどついとらん筋肉。これでこんなとこにおるんはよほどの腕利きか、ただのアホか娼婦かってとこや。あんたは旅人みたいやから娼婦ってことはないやろし、痛い目を見たって感じにも見えん。そんななりしとる腕利き言うたら魔女しかない。まあ、そんなとこやな。」
ファンミは苦笑いを浮かべる。
「見たことあるけど、旅をする娼婦。」
思わぬ情報にクルルは驚き、その驚きようにファンミにも驚きが少し伝染した。
「……やとしても!そんなら連れがおるもんやろうし、それに周りの奴らに浮いた感じがせん。」
この推測にはファンミも頷いて、正解を返す。
「ただ痛い目を見ていないっていうのは、どうかしらね。」
「少なくとも、そこらの男に襲われたっちゅうわけやないんやろ。」
クルルは右手を差し出す。
「クルルっちゅうんや。商売人しとる。」
ファンミも右手を返す。
「ファンミよ。もしかして、護衛、探してない?」
「あんたもええ目しとるな。」
そう言って、クルルはにやりと笑った。
*****
町の外でクルルと集合したファンミは、ひどく困惑した。クルルはカバのような見た目の、少女と同じくらいの大きさの動物を連れていた。そして、その動物に、台車に屋根を付けた様な車を引かせていたのだ。
「いやぁ、おまっとうさん。」
「いえ、大丈夫。ところでそれ……。」
「ん?ああ、こいつはダッシー言うねん。今はこんなんしか引かれんけど、まあ自分で引くよりは楽やし、きっとこいつはでかくなるで。」
クルルは得意げな顔でダッシーの頭を撫でる。クルルの身長だと、このダッシーでも少し背伸びしなければ頭も撫でられない。
「まあ、何でもいいわ。早く出発しましょう。」
ファンミはクルルの隣に立って歩き出す。そして、途中から大鷲を空に放った。
しばらくして、一行は山道に入った。木々が深く生い茂り、視界が悪い。
「しかし、ファンミさんはウチの姿見てもなんとも思わんのやな。」
ファンミはクルルのことを一瞥し、また空に顔を向けた。
「別に。私は見慣れているし、そんな些細なことを気にしたってしょうがないでしょ。」
「些細な事、か。」
クルルもつられて空を見る。すると、空の上から大鷲の鳴く声がする。
「なあ、気になっとったんやけど、こんな森ん中でもあいつは下見えるもんなんか?」
「あの子の目は特別だから。それと、離れないで。」
「は?」
ファンミはクルルの首根っこを掴んで頭を下げさせ、自身も身をかがめる。
すると、二人の頭のあったところを矢が通り過ぎていく。
「腕は確かってところね。」
「な……なんやなんや!」
「盗賊よ。襲われるのは初めて?」
まるでその辺を散歩している動物を紹介するように、何事もないように告げる。
そして、胸元からカードを出し、熊を
「クルルはそのまま身をかがめてて。危ないから。」
大鷲が戻ってきて、熊の肩に乗る。そして、ぐるりと首を回して吠える。
そしてしばらく待つが、人の動く様子はない。ファンミはため息をついた。
「これで帰ってくれればよかったけど、そうもいかないみたいね。」
ファンミは姿勢を正し、飛んできた矢を眼前で掴んだ。そして、手のひらの上に乗せる。
「恨まないでね。」
やがて矢は発光し、向きを変えて飛んできたところに戻っていった。
遠くから男のうめき声が聞こえる。それを聞いて、ファンミはその辺の木の枝を拾って燃やし、周りに聞かせるように声を張り上げた。
「次撃ってきたら、こっちからも攻めるわ!」
やがて遠くから、木々の擦れる音が聞こえてきた。その音が止むと、大鷲はまた空に戻り、ファンミは熊をカードに戻した。
「全く、熊を出したところで察しなさいよ。さ、もう大丈夫よ。行きましょう。」
クルルを引き起こし、膝の砂を払う。
「いや、凄いな。ほんま。ビューって飛んできた矢をバシッて掴むとか。」
「ん、まあ、曲がったり跳ねたりしないなら、後はタイミングさえ合えばだれでもできるわよ。」
何の気なしにファンミがそう言うと、一呼吸おいてからクルルはお腹を抱えて笑った。
「いや、そんなん誰でも出来たら弓使いなんて居らんくなるわ。」
いつまでも笑うクルルを見て、ファンミはつられて小さく笑った。
「さあ、行きましょう。このままだと到着が明日になるわ。」
「そらあかん。迅速な配達が商売にはかかせんのや。」
クルルは気を取り直して、歩き出した。ファンミもそれについていく。
その後は襲われることもなく、町には夜にはついた。
それから、しばらく商人と用心棒として二人旅をし、『最強』のうわさがファンミの元に届いたところで別れることとなった。
それからも、二人は出会う度に護衛と商人という関係に戻ってはまた別れることを繰り返している。
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