5-1 仕事 ―契約―
或る旅の途中。
私たちは、荒野にキャンプを張っていた。
元々は街だった場所。『最強』に壊された、いや『消された』といった方が正しいだろうか、そういう場所だ。
何も知らない人にここに町があったと伝えたとして、その人はそれが何世代前のことかを疑うだろう。それくらい、町があったという形跡がなにもない。
「まあ、中途半端に何か残されるよりはマシかもね。こうやってキャンプできるわけだし。」
皮肉を垂れるが、残念ながら聞かせる相手がいなかった。井戸だった穴から水をくんでいたレナにも通じてないみたいで、「そうですね。」なんて言っている。
今日は
水を汲んでもらっている間に起こした火に当たりながら干し肉をかじり取る。一口では千切れないから、口の中でふやかす必要があるのだ。
普通は調理して食べるものだけど、今日は料理する気力が起きない。
「あの、お水汲んできました。」
ローブを脱いだレナがバケツいっぱいの水を持ってきた。
「ん、ありがと。はいこれ。」
レナの分の干し肉を渡す。
レナは受け取って、ナップサックから取り出した小さな鍋に水を汲んでそこに入れた。煮て食べるのが好きなのだそうだ。
私は胸からコップを出して、そこに水を汲んで飲む。
二人、しばらく無言で食事を進める。正直、ちょっと他愛もない話をする気分になれない。
久しぶりに出会えた「旅の目的」の痕跡に喜んでいるからではない。
むしろ、たぶんその逆だと思う。
レナの方は、こっちをちらちら見ながら干し肉のスープを飲んでいる。
「何か聞きたいことがあるなら、どうぞ。」
そう言うと、レナは少し目を伏せて、スープをまた飲んでから、意を決したように小さな口を開いた。
「『最強』って、例の魔女ですよね。」
私はかじりついていた肉をお皿の上において、一呼吸を置いた。
「そう。名前の通りこの世で最強と言われる魔女。『歩く災厄』、『理由なき不幸』、『彼女の居たところはすぐにわかる。何も残らないから』。そんな伝説を持つ少女。――私の旅の目的。」
「少女、なんですか。」
そうだ。あれは少女だった。レナと同じくらいの、まだ大人になっていない……。
レナの魔力を読む。『
この子じゃない。当たり前のことの確認だけど、すこし気分が楽になった。
「そうだった。魔女相手に年齢を考えるなんて意味ないけど、少なくとも見た目はレミと同じくらいか、少し上に見えた。」
置いていた干し肉にかぶりつく。さっきよりは柔らかくなって、簡単に嚙みちぎれた。飲み込んでから言葉を続ける。
「でも、覚えてるのはそれだけ。ただ全部がだめになった結果だけがあって。『最強』がなにをしたのか、どういう思いでそれを見ていたのか。そういうのは全部忘れちゃった。」
レナがスープを取って一口すする。ひょっとしたら冷めてしまったかもしれないな。
「お師匠様なら、思いださしてもらえるかも。」
少し考えて、私はまた首を振った。
「いいわ。前にも言ったけど、思い出さない方がいいこともあるって。これは、きっとそういうのよ。……さ、食べたらもう寝ましょう。」
*****
翌日、キャンプの撤収をしていると、遠くの方から幌馬車が来るのが見えた。
近づくにつれ、よりはっきり見えるようになったそれは、他のものよりも大きく、馬ではなく毛の生えた巨大なカバのようなものに引かれていた。
「なんでしょうか。」
「旅商人ね。あの引いてる動物には見覚えがあるわ。」
近付いてきた幌馬車の引手は、手を上げながら近付いてきて、独特の訛りのある言葉で話しかけてきた。
「いやー、困りましたわ。町があると思ったんやけど、って、エレノラさんか。久しぶりやね。」
久しぶりだっていうのに、相変わらず軽い挨拶だ。まあ仕事相手に情深く来られても、ちょっとやりにくいだけだからいいけど。あっちも多分それが分かってるのだろう。
「久しぶりね、クルル。それにダッシーも。」
ダッシーの長くてふさふさのあごひげをすいて挨拶する。そうしているうちにクルルが馬車からぴょこんと降りて、レナと握手をする。
「こっちの可愛い嬢ちゃんは?」
「レミと呼んでください。」
「ああ、すまんね。うちはクルルって言うんや。揺りかごから墓場まで、ご用命のもんあれば十日月夜に届けます、っていうんがモットーの行商人やで。よろしゅうな。」
挨拶をしながらリスのようなくるんと丸まったしっぽを縦に揺らしている。お得意の営業スマイルだ。
彼女はかなり血の濃いリスの亜人だ。
耳やしっぽはもちろん、ひげも生えて体毛も人よりも濃い。ただ、リスほどの出っ歯ではない。あと体格が小さいけど、それはたぶん血の問題ではないと思う。
「いやー、しかし、寝ずに歩いとったのに町がないってウソやろって思ったけど、まさかエレノラさんに会えるとは思わんかったわ。ま、寝てへんのはこいつだけやけどな。」
クルルが笑いながらダッシーをバシッと叩く。もうちょっと優しくしてあげてもいいとは思うけど、ダッシーは蚊に刺されたくらいにしか思っていなさそうだ。
「こっちのセリフよ。ここには売りに?」
「いや、買い出しの方や。まあ、儲けは出んけど、損もせーへんからまだましやな。ついでの仕事やったし。」
クルルはまた幌馬車に乗り込んで、ダッシーの手綱を持つ。
「そうや、エレノラさんはこれからどこに行くんや?」
「私たちは砂漠の方に行くつもりだけど。」
「砂漠ってラクシエクか?そんならちょうどええわ。どやろ、うちはこれからカクリダとソバルマを通って、ラクシエクの方まで行くつもりやねんけど、また用心棒してもらえんかな。」
正直なところ路銀は少なくなってきていた。元々この街でそういう仕事を探すつもりではあったので、渡りに船だ。
とはいえ、同行者のレナにも聞いてみよう。
「私は構わないけど、レミはどう?」
「構いません。よろしくお願いします。」
「よっしゃ、ちょっと待ってな。」
クルルは馬車の中に入って何かごそごそと音を立てている。やがて幌を少し畳み、幌と同じ高さに木製の椅子を出した。
「ささ、特等席にどうぞ。そんな乗り心地は良うないけどな。」
そう言って手で案内をした。案内に従って、私とレナはその椅子に座った。
*****
私たちは荒れ野を抜け、森に入っていた。
森といってもこの辺は整備されている方で、こんな幌馬車の上に座っていても木の枝が邪魔にならないくらいの道はあった。ただ、舗装されてはいないので、凄く揺れる。
「前にも、言ったかも、しれないけど、せめて綿、でも、敷いて、ほしいわ、ね。」
「それやったら、依頼料の方も勉強してもらわんとなぁ。」
それはイヤだけど、ガタンガタンと揺れるのでお尻が痛くなりそうだ。
レナの方を見ると、ナップサックをお尻に敷いていた。
「そういえば、それって何が、入ってるの?鍋は知っ、てるけど。」
揺れてまともに話せない。舌を噛みそうだ。いつもよりも道が悪い気がする。
「枕です。町では必要だと、お師匠様にも言われてました。」
そういえばロロの家でも一人だけ枕が違っていた気がする。まあ、役に立ってはいるようだ。
正直、ちょっとうらやましい。
「でも、どうしてここに座ってるんですか?中の方が座りやすいと思うんですが。」
レナがもっともなことを聞いてきた。が、クルルがちっちっちっと指を振る。
「甘いなあ、レミちゃんは。そうは問屋が卸しまへんよ。ここに座るんも用心棒の仕事なんや。うちは強い用心棒雇っとるぞっちゅう風にアピールしとるねん。」
実際効果があるのかは知らないが、少なくとも私が用心棒をしている時は、よほどの無謀者か、腕に自信のある相手にしか襲われたことはなかった。
「こういう辛い環境でも涼しい顔しとる方が、凄腕に見えるんやから、やっぱり綿なんか敷かん方がええやろな。」
「それと、これと、は、話が別、でしょ。」
そもそもそんなところ誰も見やしない。
「あー、話してたら、余計、痛くなってきた。ちょっと、休み、ましょう。もう、日もたか、いし。」
「しゃーないなぁ。ほなちょっと止まろか。」
クルルは握っていた手綱をキュッと引いて、ダッシーを止めた。ようやく振動も収まって、ゆっくりと座れる。
立ち上がってお尻をさすっている間、クルルは幌の中に入っていって、またごそごそとしている。
「あー、そうかぁ!しもたなあ。」と、唐突に大声を上げた。
「エレノラさん、悪いんやけど、飯は自前で頼むわ。」
「えー、普通は用意してるものでしょ?」
「そりゃそやけど、今回は急な雇いで、しかも二人分となると、流石に次の町までは持たんわ。レミちゃんの分はこっちが持つし、その分給金はしっかり乗せますんで。」
まあ、こっちも食料ぐらいは用意しているし、ないものはないのだから仕方ない。
「分かったわ。」
「あの、私も大丈夫です。」
レミが遠慮がちに告げると。クルルが顔を出した。
「いやいや、流石に二人ともに出さんっちゅうんはこっちのメンツが立たんわ。うちからしたらどっちでもええけど、どっちかにはご馳走させてぇな。」
「私は大丈夫だから、遠慮しないで。」
椅子から飛び降りて、一緒に乗せてもらっていた私たちの荷物から干し肉を出す。
「それに、流石は商人というか、クルルの用意してくれるご飯は美味しいわよ。」
「お、嬉しいこと言うてくれますね。まあ、言うて今回は有り合わせやから、あんま期待せんとってな。」
そう言って取り出したのは、皿に乗った腸詰の燻製肉とキャベツの漬物だった。どう考えても、ふやかさないと飲み込めないこっちとはグレードが違う。
レナの隣に戻って、まだ遠慮しているレナの代わりに皿とフォークを受け取り、腸詰肉をレナの口元に差し出す。
「はい、あーん。」
とうとう観念したのか、レナはその小さな口を開いて、腸詰肉を口にした。すると、すぐに口に手を当てて目を見開く。
「美味しい!」
「でしょ?ほら、残りもちゃんと食べて。」
お皿も渡して私は自分の干し肉を噛む。パキッと割れる腸詰肉はすぐに食べられていいなぁ。でも、旅先で作るのは少し手間だし。
二人で食事を勧めていると、クルルが自分の分のを持って私たちの間に入ってきた。
「いやー、そないええ顔で食べてもらえたらこっちもうれしいわ。ええ商人はええ目利きからっちゅうてな。身内のことでも手ぇ抜かんのが、信用に繋がんねんで。」
私にとっては何度も聞いた話だが、初めてのレナは聞き入っているようだ。
「クルルさんは、どうして商人になったんですか?」
「そやなぁ……。うちはもともと里住みやったんやけど、早ぉ家から出たくてな。こんな見た目やし、魔女にはなれなそうやったから、せやったら商人にでもなろかと思ってな。」
「どうして見た目に関係が?」
クルルはまじまじとレナを見た後、ぷっと吹き出した。
「レミちゃん、おもろいなぁ。」
レナは突然笑われたことでおろおろとし出した。その様子を見てクルルはレナが何も分かっていないことを察したらしい。
「まあ、亜人っちゅうんは結構な嫌われもんやからなぁ。普通は集まって暮らしとんねん。そっから出よう思うても、ほかの人と一緒に何かするっちゅうんは難しいんや。」
レナはまた首をふんふんと上下させる。
「せやから、一人でも生きてける魔女か、実力勝負の職人や商売人になるっちゅうんが普通なんや。」
だから、ソコングロ以外ではあまり亜人を見かけない。
そういえばレナはまだソコングロ以外の街を知らないはずだった。
「そうなんですか。」
「まぁ、うちはまあまあ成功しとるし、運はよかったな。さて、そろそろ行こか。」
クルルは手をぱんぱんと払い、椅子から降りた。相変わらず喋りながらも食事が早い。
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