第1章 Deal

Code 6-01 : Deal


 そうだ、いつもと変わらない朝だったということは、よく覚えている。いつも通り起きて、いつも通り朝ご飯を食べて、いつも通り家を出て……そして、「それ」を拾ったのだ。


 それは黒いカードだった。表には蛍光の水色で描かれた十字架のようなマーク、裏には同じ色のスペードマークと「A」の文字。玄関前に落ちていたトランプのようなそれは、太陽の光に照らされて、とても綺麗だった。つい魅入られてしまうような漆黒の表面、キラキラと輝く水色の装飾。その場にしゃがんで拾い上げ、仰ぎ見る。近くで見れば見るほど、ますますそれに魅了されていくようだった。

刹那、強い風が吹く。まだ散り始めたばかりの、桜の花びらが枝から飛ばされ、宙へと舞い上がる。見上げた空は雲一つなく、どこまでも青い。

気が付くと、カードは手元から消えていた。驚いて周りを見渡すが、そこに目当ての物はない。

「あれ? どこ行った?」

 消えたそれの行方は知れず、横から聞き慣れた声が掛けられる。

「何してんの? お兄ちゃん、いつもみたいに学校一番乗りするんじゃないの?」

 妹の日奈が怪訝そうにこちらを見る。

「あぁうん、行くよ」

日課として毎朝一番乗りで教室に入れるよう、欠かさず早起きしてきたのだ。その記録を、新学期初日ともあろう日にストップさせてしまうわけにはいかない。

「早くしないと置いてくよ~? あと、メガネ汚れてる~」

 そう言って日奈は駆け出した。全く、さっき起こしてやったのは誰だと思ってるんだか。

「え、マジ、汚い? ……って、ちょっと待てって!」

 さっさと駆けていく妹を追いかけながら、ふとさっきのカードのことを考える。

(本当に、あれは一体……幻覚? だったのか……)

 しかし幻覚とは思えない。確かに、この手で掴んだはずである。

「お兄ちゃん? 何考え込んでるの?」

 こちらに気づいて戻ってきたのか、日奈が顔を覗き込んでくる。

「いや、なんでもない」

「そう?」

 また怪訝そうな顔をされる。日奈が首を傾げると、綺麗な黒髪が重力に逆らわず、さらりと揺れる。我が妹ながら、ショートカットが本当に良く似合う。半分針金のような誰かさんの髪の毛とは違い、見る人を惹きつけるような黒髪。俺も同じ黒髪のはずなのに、どうしてこうも髪質に差が出るのだろうかと、不思議に思うことが多々あるくらい。

不意に日奈が、「あっ」と声を上げる。

「そう言えばさ、今日の放課後なんだけど……お兄ちゃん、ひま?」

「え、何で?」

「新学期始まるから、新しいアクセ欲しくてさ~」

 あぁ、始まってしまった。

「いや、そんなもん一人で買いに行けよ」

「え~、いいじゃ~ん、どうせひまなんでしょ、付き合ってよ~」

 妹という人種は皆、こうもわがままなものなのだろうか。

「何で男の俺が一緒にアクセ買いに行かなくちゃいけないんだよ」

「あ~、そんなこと言っていいのかな~?」

 何やらニヤニヤと、こちらを見てくる。

「な、何だよ」

「そういえばこの間さ~、お母さんが楽しみにしてたプリン、勝手に食べてたみたいだね~?」

 おい、待て、何故それを知っている?

「ど~しよっかな~? お母さんにチクっちゃおうかな~? ま~た『頓馬灯司ぃ!』って、怒られたりしてね~?」

 あぁ、まさか弱みを握られているとは、流石にお手上げである。

「めんどくさいなぁもう、行けばいいんだろ、行けば」

「ふふ~ん、流石お兄様ですわ~」

上手くやりこまれてしまった。しかしまぁ、何だか嬉しそうなので、良しとしよう。

約束を取り付けられた頃には、すでに高校の正門前に立っていた。

「じゃ、放課後よろしくね~」

 中等部の日奈は隣の校舎へと走って行った。

「転ぶなよぉ?」

 妹というものは、いつまで経ってもどこか危なっかしいものであるな、なんてことを思う。そう言えば、今日の天気は夕方から下り模様だったような。妹との予定を案じながら、生徒はまだ誰一人として来ていない校舎へと踏み出した。


 我が国立天津第一高等学校は、中央帝都天津市内に校舎を構えるマンモス学校である。最難関国立高校と言われている割には、かなり多くの生徒を迎え入れている。校舎もかなり広く、三年生になる今日でさえまだ知らない場所がたくさんある。日奈が通う中学校は、ここの付属校である。彼女は今年中学三年生なので、俺とは来年入れ違いになる。

広すぎるグラウンドを突っ切り、自分の教室を目指す。一階の職員室を横目に階段を登る。メガネのフレームに軽く触れ、デバイスを起動する。もうクラス分け表がメールで届いてるはずだ。空間に映し出されたスクリーンに触れ、スライドさせていく。どうやら二階の一番奥の教室が、新クラスのようだ。良かった、ギリギリ選抜クラスに入れたみたいだ。

「さぁて、本日も一番乗りさせていただきますかぁ!」

教室の前に立ち、勢いよく扉を開く。ガラガラッという音の後、眼前に広がるは誰もいない教室の景色――――のはずだったのだが。

「え、嘘、二番目?」

 なんということだろうか、先客がいるじゃないか。高校生活三年目、その大事な初日で我が記録は潰えた。一番前の一番廊下側、出席番号一番の席に彼女は座っていた。

「おはよう、鶴城灯司君」

 少し冷たく挨拶をしてきた彼女こそ、最難関高校で成績トップを維持し続けている才女、相原千晶だ。学校内でその名前を知らない者はない。文武両道を体現するかの如く、勉強もスポーツも完璧、おまけに美人という完璧人間。あまり誰かと馴れ合うようなことは進んでしないが、それでも彼女の席の周りにはいつも人が集まる。選抜クラスに入れたおかげで、晴れてクラスメイトになったというわけだ。……しかし、何故フルネームで呼ばれたのだろうか。

「あ、おはよう、相原さん……すごく、早く来たんだね」

 内心の悲しみを抑えながら挨拶を返す。

「そうね、今日は特別用事があったから……」

「あ、そうなんだ、へぇ……」

「……」

「……」

会話が続かない。昔から、家族以外の女性と話すのが得意ではない。どうか許してほしい。

とりあえず、自分の席を探して座ろうとその場を離れようとした。

「ねぇ、鶴城君」

 急に声を掛けられた。少し驚きながらも返事をする。

「え、どうしたの?」

 ほんの少しの間が置かれる。

「……鶴城君、何か今日、変なことなかった?」

「え」

 重ねて驚いた。登校前のことが、頭をよぎる。

「……そういえば、変なカード拾ったよ。どっか行っちゃったけど」

「そう……」

彼女が立ち上がる。

「なるほどね……それじゃあ……」

 こちらにゆっくりと近づいて来る。冷たく、真っ直ぐな瞳が、どんどんこちらに近づいて来る。茶髪のポニーテールが、ゆらゆらと揺れる。その美しさに息を飲む。日奈に負けないくらい、綺麗な髪だ。顔が、拳ひとつ分ほどにまで近づく。思わず頬を赤らめ、再び息を飲む。そして彼女が口を開き、囁くように告げる。


「――――ココデシンデ、ツ ル ギ ト ウ ジ」


 頭から突っ込んだ。扉付きの鉄製ロッカーはひしゃげ、バゴンッ!と大きな音を立てた。突き飛ばされたのか、いや、それでもこんなに飛んでいくはずはない。いくら彼女でもこんな……などと、朦朧とした意識の中では考えがまとまるはずもない。立ち上がることすらままならない。狭まりつつある視界の中で捉えた彼女の姿は、いつもの制服に身を包んでいない。漆黒のボディースーツとでも言おうか、まさに戦闘に特化した衣装なのであろう。腕や足、胸などにアーマーのようなものも見える。背中にはマントがたなびいており、彼女の強さを誇示しているようだった。蛍光の水色で装飾されたその姿は、やはり美しいものであった。玄関先で拾った、あのカードのように。

「先手必勝ね。貴方も早く準備なさい」

 冷たく言い放つ。その瞳には明確な殺意、加えて左眼には水色に光る「Q」の文字が表れていた。

 準備、と彼女は言った。準備、か。一体何の準備だろうか。今しがた、体中を駆け巡る恐怖を受け入れることだろうか。それとも、その先に待っているであろう、生きることへのの諦めであろうか。

「あら、動けないのかしら。なら、さようなら、ね?」

じりじりと近づいて来る彼女の手には、漆黒の剣が握られていた。冷たく輝くその両刃もまた、水色の装飾が施されている。

 冷たい感触。喉に突き付けられ脳へと伝わるそれは、「死」を実感させるのに充分なものであった。

「……あっけないわね」

 刃が一度離れる。振りかぶられたそれが、再び喉へと向かってくる。今度は宛がうのではなく、切り裂こうとして。



 ――――状況がまったくわからない。


           なぜ俺は殺されようとしている――――?


――――まだ、何も成し得ていないのに。


            日奈との約束はどうなる――――?


――――ここで死ぬ、のか。


             それで、いいのか――――?


                  こんなところで、終われるのか――――?


           そんなもので、いいのか――――?



「――――まだ、死にたく、なああああああああああああああああい!!!!」



 それは、光だった。

 黒い閃光が、目の前でほとばしる。無我夢中でそれを握り、彼女の刃にぶつけた。


 ガァァキィィィィィィィィィィィィンッッッッッ!!


 重い、金属音。宙を舞う、剣。眼を見開く、顔。

 視線を下げる。両手に大きな何かが握られていた。

 古くから忍者と呼ばれし者が使う、短剣の如き代物。


――――「クナイ」


「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 震える足で立ち上がり、相原の方へと突進する。狼狽えながらも、彼女はしっかりと剣を持ち直していた。

 まさに、アニメ世界のようだった。剣とクナイとがぶつかり合い、幾度となく重い金属音が響き渡る。胴を切り裂かんと振り下ろされる剣を、クナイでいなす。その度に、また大きな金属音が響く。激しい武器と武器のぶつかり合い、火花を散らしながらも、その勢いが衰えることはない。時々、自分の制服が裂けるような音もした。それでも必死に、必死に、死んでやるもんかと、クナイを振り続ける。

 突然、視界が切り替わった。

まるでスローモーションのように、彼女の剣が、胸を貫かんとしていた。しかし、それは間違っている。まだ、剣は腰の後ろへと引かれているのだ。


 ――――視えた。


 そう確信した。突き出される刃を避けながら、一気に距離を詰める。

今度は、右回転の大振りで、首をはねられる。


 ――――やはり、視えた。


 向かってくる刃をクナイで受け止め、そのまま彼女の背後を取った。

「……っ!」

 言葉にならない声を上げ、彼女は武器を落とした。


 カランッ


 その音で、勝利を確信できた。クナイを彼女の喉元に構え、一度、深呼吸をする。

身体の、手の、震えが止まらない。

「……急に、どうしてこんな、一体何のつもりだ」

 彼女は少しうつむきながらも、口を開いた。

「ゲーム、よ」

「ゲーム?」

「貴女も参加者でしょ?」

「何のことだ」

「拾ったんでしょ、カード」

「あぁ」

「私たちは選ばれたのよ、『R.S.F』の最高管理者を決めるゲームに」

「……何だって?」

 「R.S.F」、それは我が光照帝国が創り上げた最新型人工知能。現在、世界中のインターネットを牛耳っているシステムだ。俺のメガネに搭載されているデバイスも、「R.S.F」あってのものだ。

「……何でそんな、そんなものに」

どういうことだ、世界の全てを握っているとも言える人工知能の、管理者だと?

「……どうやら貴方、何も分かってないのね」

溜息をつきながら、彼女は続ける。

「休戦を申し出るわ。一度、貴方にはしっかり把握してもらわないと困るわね」

 そう言って彼女は、クナイを持つ俺の手を取り、ゆっくりと降ろさせる。そして振り返り、真っ直ぐこちらを見て、微笑んだ。



「なんにも知らない、おばかさんっ?」



そう言った時の、千晶のあの顔は、酷く憎たらしかったのだ。

しかし、その顔を見た時、これまでに経験したことのないほど、鼓動が速まったことを。

その笑顔が、どうしようもないほど、愛おしいものであったことを。




               ――――俺の眼は、まだ、覚えてくれていた。

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R.S.F ~ロイヤル・ストレート・フラッシュ~ 桐生オクト @kiryu_okkt

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