第三章 星の数ほど存在しない
第8話 至福のひと時
後日コムギにはあの正体が、俺と深雪の娘であることを言った。だが俺が思っていたよりも、大きい反応はなかった。『へぇー』『そうなんだ』などの適当な相槌しか出てこない。例えるとすればロボットである。もっとご主人様を敬いたまえ。
そしてあの日を境に相川茜、もとより俺の娘が現れることはなかった。現れたら現れたで困るのだがもう少しこちらにいても良かったのに。
「ところで今日はデートだったかい?」
考えていると一人用ソファーに乗っかっているコムギが、本日の深雪とのデートについて聞いてきた。
「そうだよ。まあ、喫茶店いってから映画館に行くだけだが」
俺は深雪と喫茶店や映画館へ行く想像をするだけで、けっこうわくわくしてしまう。
コムギは自分がいないところで、主人が楽しんでいることが不満なのか、尻尾をブンブン振り回している。感情の9割が、尻尾に集中しているのかと疑ってしまうくらいには。
「楽しんでくればー」
だんだんと尻尾の触れ幅は広くなっていた。機嫌が悪くなっているのは、俺のせいだな。湧いて出た責任感から、ねこの寂しさを埋めてやりたいと思い、コムギの頭に手を伸ばした。
―――ガブッ
がっつり噛まれる。
「いってえええええぇぇぇ!!」
痛みでソファーの前に倒れこむと、コムギから冷たい視線を感じた。そちらに振り向くと、コムギは俺を見下げている。
「●ね」
へ?
さすがに猫が●ね、という暴言を吐くとは思わなかったので、口を開き唖然とする。
まさに二の句が継げないとはこの事である。
俺が呆然としている間に、コムギはソファーを離れた。
最近になって、休日でも外出することが多くなった。さらに時間の使い方と、モノの優先順位がバラバラになっている。コムギとの信頼関係が揺らいでしまったら後々面倒なので、しっかり整理いておくべきだろう。
痛々しい手を押さえながら、コムギに機嫌を直してもらうために提案する。
「何か買ってきてほしいものはある?」
「ならボクのおやつ買ってきて」
よし、なら何でも買ってこようという意気込みを胸に刻み込んだ。
「何がいい?」
「何でもいいから買ってこい」
近頃のコムギは突発的な煽りが多い。それを笑顔で聞いている俺の身にもなってほしいものだ。
「わかった」
これ以上、コムギと真っ向から話すとイライラが止まらないので、すぐに玄関へと向かう。
「行ってきます」
扉をガチャンと閉めた。
茜と合流したところと変わらない喫茶店についた。ところでどうして茜は、この喫茶店を待ち合わせ場所に選んだのだろうか。気になるがその思考は止めた。俺は今、最も現実と向かい合わなければならない時間なのだ。
「いらっしゃいませ」
店員さんに峰ヶ崎深雪さんと待ち合わせしているという旨を話すと、場所を教えてくれた。
そこへ行くと峰ヶ崎深雪がいた。正真正銘の深雪であるのか、頭から足の先までくまなく調べる。
―――よし。
本物なのは間違いないだろう。俺は安堵する。
「ねえ」
視線を彼女の身体から瞳へと移す。
「そんなにジロジロ見られると恥ずかしいんだけど」
「あ、ごめん!」
俺は自分の不埒な行いを反省した。あんなに体を見つめられたら、誰だって警戒するだろう。俯いた顔を上げると、深雪の顔が少し紅く火照っていた。深雪は俺の視線に気づき目を細める。
「なに?そんなに私の、、私に興味あるの?」
深雪は自身の身体をかばうようにして両手で包んだ。
「見ないでよ」
俺はまたしても彼女の身体に注目していたらしい。深雪が本気で嫌がっている訳ではない。俺は深雪の顔の火照りからして恥ずかしいだけであると推測する。
深雪の服装は秋のシーズンに合わせた綺麗目なファッションだ。オシャレとは全く縁がない俺にとって、まさに高嶺の花であり分不相応極まりなかった。
「わるいわるい」
顔の前に掌を立て謝る。というか、さっきから謝ってばっかだな俺は。
二人でとりあえず飲み物を頼み、喫茶店を満喫すると深雪と合わせて俺も席から立ち上がる。次は二人で映画館だ。
「はあーーー」
「ふうううう」
ラブコメの映画を見るのは久しぶりだった。普段俺はそのジャンルを見ることは無いので分からないが、恋愛映画オタクの深雪にとってはどうしても見逃しきれない映画だったらしい。
大変満足です。深雪の顔はそう物語っている。たしかにあの終盤に入ってからの切なさには、どうも胸が締め付けられた。
たしか監督がかなり変わった人らしいのだが、作品作りに情熱を注ぐ姿に尊敬の念を抱く者もいるらしい。深雪もその中に含まれている。
映画は時が止まった人間というのを題材にしていた。世間が時間通り滞りなく動く中、自分の身体だけ時間が止まってしまう特殊な体質持つ主人公たち男女二人が、お互いの共通点に共感し恋愛関係にまで発展していく話である。
まあ終わり方がバッドエンドに近いから、賛否両論が飛び交う内容だとは思うが。
「今日はありがと」
深雪がこちらに振り向き、俺に真っすぐな笑顔を向けている。なんだか深く考え込むのが馬鹿らしくなるくらい素敵な笑顔だった。笑ってくれるならどれだけ時間を使ってもいい。そんな笑顔が彼女の持ち味であり、これを独り占めできて俺は選ばれし人間だと思う。
「帰り送るよ」
「ありがと」
深雪と肩を並べつつ駅まで送る。次のデートの約束をし、電車に向かう深雪の背中に手を振り続けた。深雪もこちらに振り向き手を振る。
また会おうね―――
扉を挟んでそう言っていたような気がするが、音が聞こえなかったため実際は分からない。俺はデートを無事に終えた疲れか、小さく溜息をこぼした。だがその溜息は今までの溜息よりも全然重くなく、むしろ幸せなぐらい溢れかえっている。
満足感に満ちた俺はそのまま帰宅することにした。
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