第7話 ジェネレーション


 今となって気が付いたのだが、今年の俺は摩訶まか不思議に遭遇しやすいらしい。こんな調子じゃ、来年も同じ目に合うかもしれない。気を付けなければ。


 さて、現在俺は深雪を助手席に乗せ、目的地へと自分の車を走らせている。会社へはいつも徒歩で向かっているが、それは自宅アパートから距離が近いためである。


 街の真ん中から車を走らせ、早十分。まもなく街から外れ、緑の多い山林へと入っていく。


 車が通った後に、砂ぼこりが宙を舞う。今週に入ってからこのところ天気に恵まれ、雨が降ることは少なかった。降っても小雨程度でしかなく、つい最近雨が降ったのは先週のことだった。


「本当にこんな道で合ってるのか」


 深雪は眼を見開きながら、山道の奥を見ている。


「あってるわよ」


 俺は深雪をカーナビ代わりにしつつ、全く知らない道を突き進んでいる。周囲は森林となっていて、人の影もまばらだった。まばらであるという事は、一応何か用事があってこの山の中、森の中の先に向かっているという事になるのだが。山に上っていった先に、彼らのマイホームがあるのかもしれない。


「あとどれぐらいで着くんだ?」


「たぶん、もうすぐ」


 しばらく森の中を運転していると、駐車場の標識が目についた。駐車場の矢印が右を向いていて、その先を進むと右と左の分かれ道に当たった。


「そこを左よ」


 突き当りをよく見ると、小さな標識がぽつんと起立している。深雪の指示に従ってハンドルを左に切り、俺らは小高い丘へと向かうために駐車場を目指した。





「綺麗だなー。今の時間帯に来てよかったんじゃねえの?」


「私も今でよかったと思うわ」


 深雪と俺は小高い丘のてっぺんまで来ていた。そこから展望できる景色と相まって、太陽が向こう側の山に沈んでいく様子は、とても美しく思わず見入ってしまうものであった。


 深雪も俺と同じく、その景色に魅了されている。街を眺める横顔は充足感に満ち溢れているようだった。


 空一帯がオレンジ色のコントラストを描き、宙に浮かぶ大小さまざまな雲に陰を落としていく。ほんの一秒が、立派な一枚の絵画となって俺の視界を埋め尽くす。この夢のような時間が、切なさが、俺はたまらなく幸せだ。


「———」


 夕焼けの端に深雪の顔が映る。その瞳は、こちらをしっかりと捉えていた。深雪の話って何だろうか。これほどの景色を尻目にして、話し合うこととは一体何だろうか?


「ねえ」


 俺は彼女の目をしっかりと見つめる。


「まず聞きたいことがあるんだけど」


「なんだ?」


「私のこと、峰ヶ崎深雪だと?」


 彼女の質問の意味を把握することは難しいのかもしれない。あくまでも、神様から助言をもらっていなければの話だが。


 このときの深雪と思わしき人物の表情は、悲しそうというのか憂いているというのか、何とも言葉にしにくいもどかしさがあった。丘へと吹き抜ける風が、彼女の黒髪をふんわりと揺らす。顔にかかった髪を指で払いのける姿が、妙に色気を感じる。


「思ってない、て言ったら驚くか?」


「特に驚いたりしません」


 本当に彼女は驚いたり狼狽ろうばいしたりしていなかった。


「私はあの人になろうとは思ってはいませんから」


「なろうとはってことは、なることが可能だってことか?」


「可能かもね」


 彼女の物悲しそうな表情が、フッと軽くなった。口元に笑みが浮かんでいる。


 彼女の疑問に思う箇所はいくつかある。彼女は何者なのか。何のために俺と関わるのか。どうして深雪の名前を偽ってまでして、俺に関わりを持とうとするのか。


「あんたは一体何者だ?」


「うーん」


 彼女は俺に誤解されぬようにか、考えて言葉を選んでいる。


「私は怪しい人間じゃないよ」


「じゃあ、何者なんだよ?」


 彼女は少しの間、眉を寄せて考えを巡らせていた。スッと顔を上げると、彼女の口は動き始めていた。


「まず、私は名前は峰ヶ崎深雪ではない。だけど、峰ヶ崎深雪と私には切っても切れない関係がある。それは、」


 彼女は俺の方向に指をさす。


「あなたも同じ」


 すると茜の口からとんでもない発言が飛び出す。


「私はあなたと峰ヶ崎深雪の間にできた子どもなの」


 ―――はっ?一瞬、ふざけているのかと思ったがこの雰囲気でそれはあり得ないし、あってほしくはない。


「俺と深雪の子ども?まだ俺たち結婚もしてないし、子供を作ったりもしてないぞ」


 俺はこんな大人びた子どもを産んだ覚えがなかった。


「もちろん、私はまだ生まれてく来ていないわ。だって、私が生まれるのは今から5年後の話だもの」


 5年後?5年後に俺は子供が生んでいるのか?いや、今重要な話はそこじゃない。そもそも、なぜ未来の話をしている?そして彼女はまだ生まれていないのに、どうしてここにいる?なぜ彼女は自分の生まれた年を知っている?


 未来にいるはずの人間がここにいて、その人間は最低5年後以降の未来を知っている。


 この条件にあてはめられる身近な人間が、俺の周りにはいないし、いるわけがない。


 ―――未来人。


 ふと、いつの日か読んだSFフィクションをモチーフにした書籍の登場人物を思い出した。未来人とは、簡単に言うと未来から現代へとやってきた未来の世界に生きる人間のこと言う、らしい。SFフィクションの書籍だから、実際はそんなものではないのかもしれない。


 というか、


「意味が分からない」


「でしょうね」


「未来から来たってことは、タイムマシーンに乗ってきましたとでも言うのか?」


 彼女は当然のように頷く。


「もちろんタイムマシーンで来たわよ。どうしてわかったの?」


 俺の頭の片隅に、フッと例のネコ型ロボットが顔を出した。


「そんなの知らないし、興味がないからどうでもいいよ」


 そんなことより、とまだ気になることを聞いた。


「なまえは?」


相沢茜あいさわあかね


「本当に俺の娘なのか?」


 彼女の顔を見ると、俺と似ているところは少ないものの深雪と似ている部分が多くある。だから雰囲気が少し似ていたのか。


「じゃないと誰の子どもなの私は?」


「俺に聞かれても」


 目の前にいるのがあなたの子どもですなんて言われるのは、隠し子がいるというシチュエーションだけだ。もちろん、真面目に生きてきた俺には縁のない話である。


「まあ、顔も何となく似てるからな」


「そうでしょ?わたしは母さんに似たから」


 目、鼻、口元、眉毛、顔のパーツすべてが深雪と似ている。もはや峰ヶ崎深雪がこの世に二人いるみたいなもんだな。実際カミングアウトされるまでは、彼女が峰ヶ崎深雪だと勘違いしていた訳だし。


「そうだなー、仮に本当の娘だとして、なんでこんな場所に来たのか気になるところだが」


 俺が気にかかっているところを問うと、茜は沈みかかった夕焼けに目を向けた。少し間をあけた後、彼女の表情は一瞬元気をなくし、だがそれを取り繕ったような笑顔でかき消す。そして話を始めた。


「わたし、未来で大学に通ってて、そこである研究をしてるの」


「ある研究って?」


 彼女の瞳が俺を見つめ、両手の人差し指を立てて感覚を広げたり縮めたりした。


「現在と未来、現在と過去への移動」


 つまり、タイムマシーンみたいなものを研究してるってことか?


「今回はそれを特殊な機械にプログラミングして、過去に戻ってみたってわけ」


「それが成功したから、今ここにいるってことなのか?」


 茜は笑顔で答える。


「そういうこと」


 さらに彼女は付け加えた。


「ついでだから、もし成功したら父さん母さんに会おうと思ってここへ来たの」


「てことは、深雪にも会ってくるのか?」


「うんうん」


 茜は首を横に振る。


「今回は時間がないから、またの機会にする」


「深雪が見たら、俺よりもっと驚いてくれるだろうに」


「たしかにお母さんの方が面白そうだけど、同じ名前の人にメールされるのは怖いでしょ?」


 突然同姓同名の人間にメールされてきたら、少しは警戒するだろうな。


「怖いな、それは」


「ね。だから母さんには言わないでね。私が来たこと」


「言わねえよ。」


「約束ね」


 茜は小指を目の前に出した。それにこたえるように俺も小指を差し出す。二つが絡まり合わさった時、彼女が先導して小指を揺らした。


「指切りげんまん嘘ついたらハリセンボンのーます、指切った」


「未来でも変わらないんだな、そのおまじないは」


「フフッ」


 彼女は幸せそうに顔を赤らめながら笑った。


「じゃあ、私は元の所に戻るね」


 茜は未練がなくなったような笑顔を浮かべ、指を切り離し背中を向ける。


「楽しかった」


 太陽が沈んだ後も、彼女は晴れやかな雰囲気をまとっていた。


「もう帰るんだな」


「うん」


 ふと、こういう時の俺の父さんはどう声をかけてくれたか。忘れてしまいわからない。


 しかし、茜のことが心配な気持ちはあった。唯一願うとしたら、元気に暮らしていってほしい、それだけだ。


「またな」


「うん」


「体調には気をつけろよ」


「うん」


 茜はポケットからスイッチを取り出し、俺の方に顔を振り向いた。横顔は寂しそうだった。


「じゃあ」


「茜、」


 彼女の表情にいてもたってもいられず、元気づけようと声を張り上げる。


「いつでも待ってるからな!茜のしてることが俺にはあまり理解できないけど、それはたぶん大変な事なんだろうさ!だから、挫けそうになった時は、何時でも会いに来ていいからな!」


 茜は自然と零れ落ちてくる涙を指で優しく拭った。


「ありがとう、父さん」


 茜は笑顔を浮かべたまま、タイムマシーンと思われるそのスイッチを押した。すると彼女の全身は青色の丸い球体に包まれ、数秒で小さくなり始める。サッカーボールサイズまでに小さくなった途端に、丸い球体はブンッと暗い空の方へと昇る。





「—————————これで、終わったのか?」


 小高い丘は穏やかな静寂さを取り戻し、俺にも穏やかな平和が訪れたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る