第6話 残像を追う



 現在、喫茶店「パレード」の前に立っている。


 俺ではなく、透明になったコムギだが。いや、実際には立っているわけではない。ガラス張りに両手を当てて、倒れないように体を支えながら立っている。それを陰に隠れながらこっそり見ながら、峰ヶ崎深雪という人物が誰なのか教えている。


 大通りに面した場所から中を見ているので、傍から見たらかなり不審者であることは間違いない。


 どうか110番だけはしないでください―――


 頭の中で10回唱えた。


 これでどうにかなるなんて思っているほど、俺はバカじゃない。だが、目の前の神様に唱えたのだから、少しぐらいは情けをかけてくれてもよろしくてよ?


「うーん」


「で?なにか分かったか?」


「特にわからないねー」


「どうしてよ?コムギなら何だってできるだろう?一応、神なんだし」


じゃない。正真正銘の神様だよボクは」


「そうだったそうだった」


 俺はわざとらしく肩をすくめる。


「本当にそう思ってるのか疑わしいけど、よし」


 コムギはガラス張りから離れ、先に動き始めた。


「行くよ」


「中にか?」


「もちろん」


「気が早いなー」


「ボクたちよりも先に早く着いてる人が居るのに?」


 コムギは背が高いガラス張りの奥を顎で示した。おそらく、というか絶対に彼女のことを言っている。


 改めてメールの内容を確認しておこう―――


 上着のポケットからスマートフォンを取り出した。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【峰ヶ崎深雪】


 今時間ある?

 差し迫って話がしたいの


 近くの喫茶店待ち合わせでいい?

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 差し迫ってする話って何だろう?うーん、変な事じゃなければいいけど。


 その心配をよそにコムギは喫茶店の中へと入っていく。半透明になりながら。こういう姿を見てしまうと、この猫が俺のいる世界の住人ではないことを否が応でも実感させられる。


 そういえば、深雪にまだコムギのことを伝えてなかったなー。この際だから報告しておくのも悪くないが、どういう反応になるのか予想がつかない。伝えるときは場所を選んでしよう。


 喫茶店「パレード」の中へと足を踏み入れる。


「いらっしゃいませー」


「あのー」


 峰ヶ崎深雪という女性と待ち合わせをしてまして的なことを言うと、店員が場所を教えてくれた。


 場所は喫茶店の隅にある小さなスペースだった。ちょうど二人か三人程度しか座れない位置だった。


 店員さんにお礼を言った後、微妙に警戒しながら半透明なコムギと向かった。


 奥まで歩いていくと彼女の姿が見えてくる。黒髪を肩までおろし、白のシャツとは対照的な黒のスカートが彼女をより大人っぽい印象にしていた。


「やあ、久しぶり」


 俺は深雪の背中に声をかけた。すると小さな肩がスッと上がり、声がかかった方向へと振り向く。


「えああ、うん、久しぶり」


 彼女の返事はたどたどしかった。どうしたんだろうか。一瞬の怪訝を表情には出さず、隣の席に座った。同時に深雪は、俺が座った方向とは別の方向に顔を振り向ける。


 うん?


 首を横に傾ける。どこか落ち着かない様子だったので、緊張を和らげられるようにいつもと変わらず接した。


「最近仕事、何とか落ち着いたか?」


 俺の質問に深雪は一度、こちらを振り向き笑顔で頷く。が、すぐに元通りになる。本当にどうしたんだろう。


 後ろに待機しているコムギに助けを求める。コムギの顔を見ると、眉を寄せながら深雪を観察していた。


 おそらくだが、コムギは自分の視覚を利用して、対象物の心を読み取っている。そういう能力があるというのを以前聞いた。


 コムギは俺の助けに気が付く暇もないらしい。


 もう一度彼女を見る。手を机の上や膝の上に置いたり、軽く唇をかんだり、様子は慌ただしいものだった。これじゃ一種の尋問をしている感覚に近い。


 こんな調子だと、長々と続きそうなので本題へと入ろう。


「それよりどうしたんだ?今日のあのメール」


「う、ああ」


 深雪は苦笑いし、振り向いた。


「それは後でじっくり話せないかな、ここだと話しにくい事なんだよ」


 瞳がやけに真剣だった。今までの隠し事か?まさか好きな男ができたとか・・・。そんなことは考えないようにしよう。


「ああ、分かった。どこならいいんだ?」


 深雪はこたえる。


「だれも人がいない場所であればどこでも、」


 そう言って彼女の口が止まる。


「いや、あそこに行きたい」


「あそこってどこだよ?」


 深雪の表情は、なぜか期待していた。たしかに深雪と行きたいところなら幾つかあるが。それとは関係ない気がする。というよりも、俺が今話している人物は恋人・峰ヶ崎深雪なのだろうか?この人はまるで、他人・峰ヶ崎深雪という感じがする。


「あのー」


 深雪は場所の名前までは分からないらしく、ジェスチャーで俺に伝えてくる。


 それじゃあわからんて―――


 軽く突っ込みをしたい気分だったが、深雪の表情は本気だった。


「この街の景色を展望できる所!」


 この街は基本的に山に囲まれた位置にある。だが、この街全容を一望できる場所など限られている。


 俺は頭の中に、山の中にある小高い丘をイメージした。


「あそこか」


 深雪と行ったことは無かった気がするが、楽しみらしいので連れていくことにする。どうせ外は晴れているのだし。


「じゃあ、そこで話をしよう」


「うん」


 深雪は子供のような笑顔を見せ、立ち上がった。


 さて、そこに行ってから本題か。俺も、深雪に続くようにして立ち上がる。


 コムギを見る。


 するとこちらに視線を送り、眼の色を変えた。


 眼の色を変えたというのは、慣用句ではなく本当に目の色が変化したという事だ。いつも茶色の中に黒い瞳があるのだが、今は黄色の中に白い瞳がある。これは、コムギが対象物に対して情報の送受信を行う時の合図である。


 ―――もう一人の峰ヶ崎深雪を見ていないから断言はできないけど、おそらく彼女の方だと思う。歩の言う怪しいやつに近い存在は。


 ―――完全に怪しくないのか?


 ―――まだわからないけど、彼女がウソをついている気配は全く感じないから、安心して良いんじゃない?


 ―――分かった。特に心配しなくていいなら大丈夫だ。ありがとうなコムギ。お疲れさん。


 心の中でそう言って、半透明のコムギに軽く手を振った。


 ―――ボクも疲れてたから、そうするつもりだったけどね。


 コムギは少し不満そうに言って帰って行く。


「さて、行くか」


 俺は軽く伸びをして、彼女とともに喫茶店を出て行った。


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