第二章 俺の〇〇〇
第5話 惑い
あの猫が俺の家のペットになってから、約3週間が過ぎた。特にその間に何かあったという事はない。たまに喧嘩をすることはあったが、猫と同居生活をするためなら甘んじて受け入れるべきなのだろう。
アパートに帰宅すると、居間の電気が点いていて猫が俺の帰りを待っている。心なしか、あったかく感じるような日常生活。
誰もが得られるわけではない幸せを、ささやかながらも当たり前のように目の前にあるのはコムギのおかげだと思う。
ふと、柄にもないことを考えていると目の前のパソコンがピコンと鳴った。
「なんだ?」
一人用のソファから、ゆっくり体を起こす。正面にあるスマートフォンの通知に俺宛てのメールが表示されていた。
「誰だろ?」
「仕事関係じゃないー?」
窓際の景色を眺めているコムギが言う。今日は日曜日で11月の頭である。
「こんな休日にだれが?」
仕事仲間で思い浮かぶのは色黒スポーツマン長谷川と上司ぐらいだ。今日ぐらい、ゆっくり休みを満喫させてくれ。その恨めしい嘆きは声に出さず、マウスに手を伸ばす。
メールのアイコンにポインタを合わす。
はあ―――
思わず溜息が出る。
休日増えてくんないかなー。という現実逃避を頭の中で再生していると、あることを思い浮かんだ。
横に振り向き、コムギの背中に向かって話してみた。
「コムギの力を使えば、いくらでも休日を作れるのかもしれないな」
「ボクは、もっと有意義なものに使いたいな」
「そんなこと言うなよー」
「言っただろ、ボクの能力にも不便なところがあるって」
確かそんなこと言ってたような。いつだったかは覚えていないが。
「力の調整ができないところとか?」
「それはもはや不便以前の問題じゃないかなー」
コムギは振り向いた。
「ボクは力を使えば使うほど、体がだるくなるんだ」
「もっと頑張れよ」
「頑張れたらそうしたいところなんだけどねー」
猫は残念そうに首を横に振る。
「気合で乗り切れ」
「そんな無茶なー」
「ガッツだぜ」
上に立てた親指を、真っすぐコムギに向けた。
「君ってあれかい、感情論でモノを語る人?」
コムギはしかめっ面で足や腕を組み、俺のことが不愉快だという事を前面に表していた。
「時には理論、時には感情スタイルだ」
「なんだその適当なスタイルは」
「男には必要な時があるんだ」
「ボクはそう思わないけど」
自分のやり方を否定されるのは、気持ちの良いものじゃない。多少苛立ちを含んだ視線を送る。
「あ、そうだ忘れてた」
いつの間にかパソコンから意識が逸れていたのを感じ、すぐに正面のスマートフォンを見る。
とっくにアイコンが消えていたため、メールを開き、中の内容を見る。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【
来週末時間できたから映画館行かない?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
分かった。俺も時間空いてるし一緒に行こう。そう返信した。
「誰からなのー?」
窓際から声が聞こえた。その声の主は不満そうな口ぶりだった。口元が微妙にニヤニヤしていたかもしれない。
意気揚々として、画面内が見えるようにコムギの方へとかざした。
そして自慢げに言う。
「俺の彼女だ」
コムギはさらに不満げな態度で口を曲げた。
「いいだろう?」
「何がイイのかさっぱりわからないけど」
不満げな猫は腕を組む。拗ねてるのか?珍しいものが見れた気がする。
「コムギにしては可愛いところもあるんだな」
「にしてはってなんだよ!」
コムギはさらに腕を強く組みそっぽを向いた。
「もう構ってあげないよ」
「それは困る」
「あっそ」
お前に呆れたとでもいうように、コムギに睨まれた。そんなに怒るなよ。
「すまんすまん」
両手を合わせて謝った。
「ふん」
心を込めた謝罪はコムギにはうまく伝わらなかったが。まあ、時間がたったら自然と忘れてくれるだろ。それが甘い幻想とは知りながらも、現実的な問題に付き合いたくはなかった。なんか面倒だし。
ピコン―――
またもやスマートフォンから着信音が届いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【峰ヶ崎深雪】
おっけー
じゃあ土曜日の13:00にいつもの場所で待ち合わせね
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
俺は了解と返信した。
「よし」
スマートフォンを机の上に投げ出す。
「あああああ」
ソファの中に体を沈め、ブランケットを足に掛けた。
「君は本当に、無駄な休日を過ごすのが得意だよねー」
コムギは残念そうに肩をすくめ、窓際の景色に意識を向けた。
ぼんやりとした休日を過ごしているが、それに対して外の天気は雲一つ無い快晴だ。
少し寒くなってきてはいるが、十分にお出掛けできる環境である。来週も晴れてくれよ。蛍と俺のためにも。それと、コムギもどこかに連れて行ってやんねえとなー。
ピコン―――
そう思っていた矢先、またスマートフォンの着信音が響いた。
次はどなた?これが仕事仲間だったら面倒だなあ。なんとなく心の中で独り言ちながら、スマートフォンを眺める。
「はあ」
思わず溜息がこぼれた。
現実に引き戻される不愉快さを覚えながら、乱暴にスマートフォンを取る。そして画面の電源を入れると、そのメールの送り主を見た俺は違和感を抱いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【峰ヶ崎深雪】
今時間ある?
差し迫って話がしたいの
近くの喫茶店待ち合わせでいい?
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
どうしたんだ急に?さっきデートの約束をしたばかりじゃないか。来週末まで時間がなかったんじゃないのか?
まあ、いつでも時間は空いているのだが。壁に立てかけてある時計を見る。時刻は午前の11時を過ぎているぐらい。もう少しでランチタイムだから12時半までには集まろう。そうメールで伝えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
【峰ヶ崎深雪】
わかった
その時間ね
遅れたらゆるさないからね
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
仕方ないと溜息をこぼしつつ、そんなことはしないと返信する。
景色に夢中のコムギの背中を見る。尻尾は途中から曲がってはいけない方向に曲がっている。声をかけようと口を開いたが途中でやめた。少し申し訳なく感じたからだ。
「コムギ」
「———」
背中は無言のままだった。
「ちょっと出掛けてくる」
「———————ふーん」
「申し訳ない」
「———」
背中はまたもや無言になった。
コムギがこのアパートには居るものの、俺自身は仕事で家に入れる時間は少なくない。多少寂しい思いをさせているのだろう。
コムギはやろうと思えばドアを開けて外に出ることはできるのだが、外を探検するのは疲れてしまうらしい。肉体的に疲れるというよりも、心労的な意味で。中の生活に慣れてしまった今では、外なんかよりもよほど楽チンなんだろうな。
まあ、直ぐに何とか出来ることではないし、一旦棚に上げておこう。
ちょうど良いタイミングなので、一緒に行くのも悪くない。
「神様ならだれにも見えなくする能力があるんだよな?」
「一応、あるけど」
「それ使って一緒に行こうぜ」
「歩がそういうなら、付き合ってあげるよ」
見下すような口調と態度だった。その様子に俺は腹が立って仕方がないが、今は気にしないようにしよう。するべきだ。
「じゃあ行くぞ」
「はいはい」
厚手の上着を着こんで玄関口に出る。コムギも後ろについてくる。
峰ヶ崎深雪という人物が立て続けにメールを送ってきた。ただのおふざけなら笑いごとで済むなら構うことは無いのだが、何となく違うような気がした。
まるで、
まるで、峰ヶ崎深雪という人物が二人いるような。
「ちょっと、そこで止まってないで早く玄関開けなよ」
「お、そうだった」
いや、考えすぎだな。そんな事があってたまるか。あいつがフザけてやってるに決まってる。じゃないとこんなの説明がつかない。
どちらかが本物で、どちらかが偽物なんて。
俺疲れてんのかなー。
「ねえ、早く行ってくれないかなー?」
「ごめんごめん」
開けた扉の隙間から秋半ばの乾いた風が吹き入る。それはアパート独特の匂いと混ざりながら、趣のある秋を感じさせていた。
「行くか」
そして、コムギと一緒に近所の喫茶店へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます