第3話 俺はみぞ知らない
「あれって何?」
肩の上におとなしく座っているコムギは、スーパーの中の様子が気になっているらしい。俺が買い物カゴを手に取った瞬間、好奇心に駆られたのか中に入るし、陳列棚の野菜や肉を眺めているし、全然落ち着いてくれない。そもそもスーパーに入るなよ。
「こんなところ猫が入ってきていい場所なのか?」
「そんな所があるのか?」
コムギは人間の言葉は話せるのに、人間の常識を知らない。元々備わっている知能があって、すぐに慣れるだろうが時々疲れてしまう。
フッ―――
心なしか、周囲の客の視線が刺さっているような気がする。
「あるんだよ、今のご時世なら」
「へえー」
コムギは興味があるのかないのかわからない返答をした。確かに猫からしてみれば、つまらない立ち位置に収まっているのかもしれない。俺自身、猫になったことがないのでそんなことを考えたこともなかったが。
中を歩いていると、目的の物を見つける。とりあえず手に取った。
「なんだそれ」
「キャットフードって言って、お前のご飯だよ」
「ほー」
コムギは真剣な目でキャットフードをみつめた。
後ろを買い物客が通る。視界の外で、俺たちの方を見ているのが分かった。そりゃあ気になるよな。というかここで、人間の言葉を話すことに抵抗を感じないのか?
「そういえばしゃべっていいのか。こんな所で」
猫はお任せあれとでも言うように、晴れ晴れとしながら胸を張ってこたえた。
「そこは心配しなくても大丈夫!、手は打ってあるのさ!」
肩の上でくるりと一回転する。危ないからやめとけ。
「ボクの姿は周りには見えないし、声だって同じさ」
「周りには聞こえないと」
「その通り!」
コムギは声のボリュームを上げ、右手でグッジョブした。猫なのに器用なんだな。
「その説明は帰ったらするぜ」
コムギはニヤッと微笑み、怪しい表情で頷いた。なんか胡散臭いことこの上ないぞ。
背後を買い物客が通り過ぎる。俺はそれをチラ見し、コムギを睨んだ。
「ってことは、今まで客が俺らを見てたのはお前じゃなくて俺だったってことか?」
「そういうことになるねー、うんうん」
コムギは意地悪な笑みを見せる。こいつは俺にでも喧嘩を売ってるのか?その喧嘩、買ってやってもいいんだぞ? 多少だが怖い表情をしてみた。
「ヒッ」
反応が良いから、もう一回試してみたいな。
「バカみたいな説明だったら、家から追い出すからな」
「ごめんなさい」
尻尾が元気なく垂れる。
コムギの謎な機能に首を傾げながらも、スーパーを後にしホームセンターへと向かった。
「ほほう、これはまた興味深いですな」
肩に乗っかる猫は、左右に伸びたヒゲを器用に撫でている。当然、俺はこいつがどんなことをしようがしまいが無視することにした。
「うーん」
「歩。どうかしたの?」
コムギの声に反応しない。
ホームセンターに向かっている途中、コムギが名前を聞いてきたので、その時は無視せずにこたえた。
―――俺の名前は
―――だったら歩かな!―――
いつもの呼ばれかたが相沢なので、歩といわれると新鮮な気持ちになる。
コムギの声を意識的に遮断しながら、トイレセットを購入した。
「これで良しと」
大きな袋に一式を入れて、ホームセンターを出る。
「家に帰ったら、やること話すこと盛りだくさんだ」
「ぬー」
一方で、コムギは少し拗ねていた。機嫌悪くなるくらいなら、最初から話しかけてくるなよ。
「俺には無視すると言う選択しか選べないんだ」
「つまんないのー」
コムギは腕を組ながら、折れた尻尾を左右に振っていた。
特に買いたいものがなくなったので、ひとまず家に帰ることにする。
「で?」
現在机を挟んで、コムギと向かい合っている。コムギは呑気なのか、冷蔵庫に冷やしてったオレンジジュースをストローを使って飲んでいた。こいつは本当に器用だな。
「で?とは?」
「まず、聞きたいことは幾つかあるが」
そう前置きし、指を3本立てた。
「その中でも、3つ聞きたいことがある」
「全部聞いちゃえばいいのに」
「取り敢えず知りたいのが、それだけなんだ。あとお前のことだ。一般常識からかけ離れたことを言いそうでな。つまるところ、未知数なんだよ。頭がパンクしないようにだ」
頭を指で小突きながら言った。
「ボクが常識はずれなのは、ボク自身認めるし仕方のないことだと思うんだ」
コムギは苦笑いする。
「まあ、実際に、ボクがこの世に在るべき存在ではないことは確かだよ」
「どういうことか分かりかねるが?」
「うーん、どこから説明するべきかなー」
コムギは困った顔で、天井を見上げる。
「よし」
茶色の中に宿る黒い瞳が、俺に標準を定めた。
さて、こいつが何を話すのか。厄介者であって不安要素が多く、奴のおこない全てに嫌な予感がつきまとう。
「ボクはこう見えて、結構すごいヤツなんですよ」
そんな面倒極まりない存在であるのに何故か、俺はその瞳に少しだけ期待していた。
なんで俺は、こんな厄介者に期待しているんだろう。この猫がなにか恩返ししてくれるからか?いや、違う。はたまたこの猫が、例のネコ型ロボットのごとく俺に尽くしてくれるからか?いや、それも違う。じゃあ、この面倒事に付き合わされていることが楽しいからか?全然違う。
なら、俺の中で渦巻くこの感情は、いったい何者なんだろう。
「この世界ではこう呼ばれているね」
白と黄金色の体毛が、穏やかな波のように輝いている。
俺にとって、コムギは一体なんだ?コムギに初めて会った時から、不思議そのものだったような気がする。どこか知らない場所まで連れて行ってくれるような。冒険へと赴く旅立ちの日、そんな雰囲気を感じる。
コムギは俺にとって、
始まりの朝―――
「神と」
コムギは俺に、何を見せてくれるのだろうか―――
「つまりボクは、神様だ」
楽しみにしていいのだろうか。きっと、今では考えられないような面倒なことを起こすだろう。それでも、少しだけ日常が面白くなるなら、それも悪くないかもしれない。
「これからもよろしく、歩」
目の前の猫は、ニコッと微笑んだ。
「いや意味わからんて」
やはりこの猫が言う言葉は、予想の斜め上をいっていた。
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