第一章 俺はまだ知らない

第1話 それは突然やってくる


 午前6:00


 目覚まし時計の短針がその時刻と合わさる直前に目が覚めた。あっと考える間もなく時計に手を伸ばし、目覚まし設定をONからOFFに切り替える。


 その後寝返りを打ち、ベッドの中でゆっくりくつろいだ。数分経ったのち、出勤の準備をするために仕方がなく起きる。


 もったりとした動作で洗面台へとむかい、顔を洗い歯を磨く。すっきりしたらキッチンでパパっと作れる簡単料理を完成させ、ゆっくり味わう時間をつくらずに完食した。


「ごちそうさまでした」


 右手と左手をぴたりと合わせたら、余った具材を弁当箱にそのまま入れる。特に飾り立てたりするわけではない。食べられれば良し。機能性重視弁当である。


 大半の朝支度を済ませたら、リモコンを手に取りTVの電源を入れた。適当なチャンネルで昨日から今日にかけての情報と天気予報を確認したら、すぐに電源を落とした。壁に掛けている時計に目を向ける。


 午前6:50


 いつもより10分ほど時間に余裕がある。


 昨日のあの猫がいた場所へ行こう。そのために早めに支度したのだから。そうと決めたら行動は早かった。速やかに仕事服に着替え、はぐれた靴を揃え玄関口に立った。


 ドアノブを回しゆっくりと押した。


 グッ―——


 「ん?」


 いつもなら難なく開けられる扉が、今日に限って重く感じた。重くと言うと語弊があるかもしれない。実際には何かが向こう側から押さえつけている感覚を覚えた。


 もう一度、先程よりも強めにドアノブをひねって押す。


 グググッ―――


「あれ?」


 扉の隙間が少し開いた。アパート特有の空気が玄関へと入り込み、鼻の奥をくすぐる。


 もっと力を込めて扉を押した。


 ザアァァァ―――


 向こう側から何かを引きずっているような音が聞こえた。とうとう人が一人通れるスペースが生まれ、ドアが塞がれていた原因を知るために身体を外に出し確認する。


「へ?」


 それは白と黄金色を宿した物体で、明らかに見覚えがあるものだった。


「昨日見た猫じゃん」


 驚きながらもまたどうしてこんな場所にいるのか。疑問に思いながらもその姿をじっくり眺める。ただ眠っているように見える。


「ついてきたのかなー」


 猫は夜行性と聞くし、実は俺が帰宅する背中を追ってここへたどり着いたのかもしれない。


 そういえばこのアパートはペット禁止だったような気がする。管理人さんに聞いてみないとわからない。


「とりあえず家に入れとくか?」


 誰かに聞くわけでもない口調で独り言をこぼしながら、家に入れるという選択肢を選ぶのはやめた。


「じゃあ、そのままここに放置しておくか?」


 多少気が引ける。こんな場合どうするべきなのか。俺は正しい答えを知らない。


 もし家に入れたとしても餌代とトイレの手間、あとは遊んでやったりしないといけない。放っておいたとして、ずっとここに居座られても迷惑だし近所の人たちに変なことをされても困る。


「どうするべきか」


 悩んでいると、朝の透き通った空気が肌を撫でながら通り抜けた。何の気なしに猫に出会った通りを眺める。朝日に照らされたあの道に答えが落ちているわけではないというのに、目がそちらの方向をむいてしまう。出勤時も帰宅時もこの道を必ず通っているなとふと思った。


 思案に更けていると、手がドアノブから離れ扉が閉まる。


 すると、一緒に猫も同じ動きをしながらひきずられる。尻尾が扉の下に引っ掛かっているかもしれない。


 ザザアァァ―――


 あと少しで扉が閉まりそうだ。このままだと扉に尻尾が挟まってしまう。考えている瞬間にも、玄関口が見える隙間が次第に小さくなっていく。


「やばっ」


 俺はそうならないように手を伸ばした。


 見事ドアの端っこを抑えることに成功し、猫のしっぽが挟まってしまう事態を防いだ。


「よし」


 これで安心と扉をつかむ力を緩めたとき、突然足元から声が聞こえた。声の質は子供のようである。


「お、君は昨日助けてくれた人じゃないですかー!」


 声のした方向に視線を向けると、ぱあっとキラキラした表情をしながら明るい雰囲気で俺を見上げていた。


「本当に先日はありがとうございます!」


 猫は自分のしっぽが引っかかっていることも知らずに、ニコニコしながらお礼の言葉を述べている。


「やっぱりここのお家だったんですね」


 言い終わった後も、笑顔でこちらを見つめている。


 ん?


 おかしいぞ?


 最初はただただ猫の勢いに押されていたが、ふと思おうと超常現象を目の当たりにしているのかもしれないと気が付く。


「猫がしゃべってる?」


「そうです!ボク、人の言葉しゃべれるんですよ」


 白と黄金色を持つその猫は、自身の衝撃的な発言に疑問を持たずに話しかける。だが俺はそんなことを無視できるほど、感情のコントロール能力が高いほうではない。


「といっても、やっぱり最初は驚きますよね。ヘヘッ」


 猫は苦笑いした。


「うんうん」


「でもこの能力はそれほど便利なものじゃなくて」


「うんうん」


 きっと俺の表情は固まっていただろう。どういう表情をしていいのかわからないのだ。おそらく困惑している。誰だってこんなシチュエーションに遭遇すれば戸惑うはずだ。


 俺はこの世ではあり得ない摩訶まか不思議と一般市民感覚によって得られる困惑を飲みほすことができずに、それでもどうにか反応するため喉に詰まった言葉を吐き出す。


「ハ?」


 見事なほど間抜けた声だった。


 それを拍子に、扉をおさえていたしまった。


「あっ」


 ガチンッ―――


 扉が閉まると同時に猫の尻尾も挟まり、嫌な音が聞こえる。

 思わず目をつぶったが耳を抑えなかったために、不快な音がそのまま聞こえてしまった。


「ニャアアアアアァァァァァーーーーーー!!」


 猫の笑っていた表情は消え失せ、苦悶の表情を浮かべる。


 これは痛いやつだ。ごめんよ。心の中で謝った。

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