ねこのみぞ、知る

田村サヤ

プロローグ


 仕事帰りの出来事だった。


 いつも通り俺はコンビニに寄って、晩飯用の弁当を買って、ポテトチップスを買って、おまけ程度に魚肉ソーセージを買って、レジで会計を済ませて、コンビニを後にして、少し歩いてから大通りを外れた道に入って、それから——―


 本来ならば、まっすぐ進むと自宅アパートに5分掛からず着く。その中間地点に、不自然なほど白く輝いている自動販売機が一台ある。そのとなりに、今朝は無かった段ボールが置いてあった。側面には『拾ってください』という文字が書かれた紙が貼ってある。


「犬か、猫かな?」


 開いた隙間から泣き声は聞こえない。物陰も見えない。


「うーん?」


 そっと静かに開いてみた。だが中身は空っぽだった。生き物の毛は見つけたものの、一匹も動物らしきものは見当たらなかった。もし居たとしても、きっと飼うことはできなかっただろうが、残念。手を膝に置き立ち上がった。


「誰かが拾ってくれたのかな」


 安堵しつつも、やはり心配してしまう。


 今朝捨てられた動物は、帰宅する前にだれかが拾った。今頃、屋根の下でゆっくり休息をとっているところなのかもしれない。そう思うと自然と肩の力が抜けた。だが、溜まりに溜まっていた疲労感も体全体に押し寄せた。


 瞼が少し重い。早く寝てしまいたい。襲い来る睡魔に抗いつつ、自宅アパートに向かおうとしたその時、微かな鳴き声が鼓膜を揺らした。


「…ャー・・・・・・・・・・・ニャー」


「ん?猫か?」


 鳴き声は遠くない。その声があまりにも弱々しいため、休憩していた神経はクリアになり、霧がかかった視界には徐々にくっきりとした輪郭が浮かんだ。


 聞こえてきたのは左側からだった。今まで向かっていた自宅アパート方面だ。


 慌てた足取りで進んでみると、電柱のかげに隠れて何かがもぞもぞ動いていた。


 目を凝らすとだんだんその特徴が掴めてきた。ピンと立ち上がっている耳、横にアーチを描きながら伸びている白いひげ、ゆっくり上下する小さな鼻。


「猫だ」


 見たところ、体格は小柄なほうであった。


 さっきの段ボール箱に入ってた動物だろうか?中に抜け落ちた毛を見つけたとき、たしか色は黒だった。目の前の物体にもう一度注目してみると、体毛は白と黄金色だけで横腹のちょうど真ん中あたりで境界線を作っている。


 おそらく箱の中身の正体ではないだろう。


 ではなぜ、一体こんな場所にいるのだろうか?


 先程と同様の理由で、道端に捨てられてしまった猫か?それとも飼い主、または家から離れてしまって挙句の果てに迷子になったのか?それらではない場合は、必然的に野良猫となってしまうが、電柱の裏でゆっくりしている隙だらけな野良猫を俺は見たことがない。


 結論、捨てられたか迷ったかどちらかであるという事実に至る。


 多少物音が聞こえたのか、正面にいる猫がゆっくりと身じろぐ仕草をした。


 同時に、横に伸びていたひげもピンと跳ねた。こちらに鼻先を向け瞼がゆっくり開くと、その瞳はこちらを静かに見据えていた。


 黒い線一本が焦げ茶色の光彩を縦断していた。そのまわりを、白目が覆い尽くしている。真っすぐな眼差し。まるで俺の存在には気付かずに、真後ろ遠くの夜空を眺めているようだった。


 困惑顔でその場に立ち尽くしていると、やがて猫の視線はコンビニ袋の方へと向かった。


「お腹空いてるのかな」


 コンビニ袋から魚肉ソーセージを手に取り、中の身を丁寧にちぎりながら猫に与えた。みるみるうちに半分無くなり、あっという間に全部食べ終えた。


「かなりお腹が減ってたんだなー。よし」


 さらには晩飯になる予定だった弁当も取り出し、ふたを開けてそのまま地面に置いた。


「水もあったほうがいいよなー」


 猫が弁当に夢中になっている最中、コンビニへ急いで戻った。





「水持ってきたよ」


 戻った時には、コンビニ弁当の半分がなくなっていた。その隣に一緒に買った紙皿を置き、水を満杯に注ぎ入れた。


「これで良しと」


 かなり空腹だった猫の腹を満たし、さらに水も用意した。俺の役目は終了。


 軽く背筋を伸ばすと、自然とあくびが出た。体の疲労もたまっているから、早く帰ろう。


 いまだ水をちょびちょび飲んでいる猫を背にして、自宅アパートへ歩いた。


 途中、狭い十字路の『止まれ』の標識に目が行き、さらには右奥のカーブミラーへと視線が向かった。背の高いそれは、左側の道を奥のほうまで映している。薄暗いせいで鮮明には見えなかったが、灯りが道を照らしているのは見て取れた。


 鏡に映る灯りを寝ぼけ目でジッと見つめていると、あの猫の白と黄金色の体毛が頭に浮かんだ。後ろに背中を向けたまま、首だけを動かし眼で確認した。


 今通ってきた道に灯りといえるものは一切無い。見えたとしてもそれは手前だけで、奥の猫がいた場所までは見ることができない。


「まあ、明日にでも見に行くか・・・くわぁ」


 あくびをこぼし、ポテトチップスだけが入ったコンビニ袋を提げて歩き出した。



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