第37話 使い魔とデートするのもたまにはいいだろう


 翌日、夕方になり外出の支度をしていた俺を遠慮がちなノックの音が呼ぶ。


「はぁい?」


「マスタァ?入ってもいいですか?」


「どうぞ――」


 ネクタイを片手にドアを開けると、蒼い膝丈のドレスに身を包んだシルキィが立っていた。肩下までの美しい銀糸の髪が、気持ち大胆に開いた背中の肩甲骨辺りをするりと撫で、肩紐は首のうしろでちょこんと結ばれて可愛らしい蝶々をとまらせていた。可憐さと優美さを兼ね備えたその姿に、思わず言葉を失う。


「シルキィ、その恰好――」


「変じゃ……ないですか?」


 照れ照れと上目遣いで見上げるシルキィ。


「ちょっといいお店だと聞いたので、おめかししてみたんですの」


 だが、ちらちらと俺に視線を寄越すシルキィが聞きたいのは『可愛いよ』とか、そんな当たり前のことではなかった。だって、その蒼いドレスは――


「姉さんの、お出かけ用の服……」


 それは、姉さんが俺の誕生日にちょっといいお店へ行くときに着ていたお気に入りのドレスだった。脳裏に一瞬であの頃の嬉しい気持ちが蘇る。


「マスタァってばお姉さまのお洋服をいつまで経っても取っておいているんですもの。せっかくなら、とクリーニングに出してみたのですけれど……どうですか?」


「すごく……似合ってる……」


 けど、その答えも正解ではない。


「シルキィ?どうしてまた、姉さんの恰好なんて……」


 その問いにシルキィはぽつりぽつりと語りだした。


「シルキィ考えたんですの。どうしたらマスタァにもっと幸せになっていただけるのか」


「え――?」


「今までは、シルキィにお姉さまを重ねられるのはちょっとイヤだったんですの。だってシルキィはマスタァが大好きで、それは家族というよりも恋人に抱く感情に近かったんですもの」


「…………」


「でも、マスタァは使い魔であるシルキィを家族のように愛してくれて、シルキィはそのことも嬉しくて。シルキィは、自分の想いがどうとかよりも、マスタァに幸せになって欲しいと思ったんですの」


「シルキィ……」


「人は儚い生き物です。どれだけ忘れたくなくても、いつかは愛しい人の顔や声を思い出せなくなってしまう。それは仕方のないことなんです。でもマスタァは違う。シルキィがいる限り、マスタァはいつだってお姉さまとの思い出を鮮明に思い出すことができる。だってシルキィは声もお顔も、お姉さまにそっくりなんですもの」


「でも、それはシルキィをシルキィとして見ていないようで寂しいって……」


「以前はそう思っていました。でも、シルキィ考えなおしたんですの。『お姉さまを思い出させることでマスタァを幸せな心地にできる』のは、シルキィにしかできないことなんじゃないかって……」


 そう語るシルキィの表情には寂しさなんてどこにもなかった。俺は思う。これはシルキィなりにきちんと考えて出した答えなのだと。


「シルキィ、お姉さまになりきるとかそういうことがしたいのではなくて。ただ、たまにでいいからマスタァにお姉さまとの楽しい記憶を思い出して欲しいんですの。笑顔になって欲しいんですの。きっと、お姉さまもそれを望んでいると思うから……」


 俺は、思わずシルキィを抱き締めた。


「シルキィはやさしいね……」


「……マスタァ?」


「でも、それは違う」


「え――?」


 俺はまっすぐにシルキィを見つめ返した。姉さんを見る目ではなく、シルキィを見据えて。


「前に『アーク』へ行ったとき、俺は姉さんに会ったんだ。姉さんは言っていた。『ジェラスに家族ができて嬉しいよ』って」


「マスタァ……お姉さまの魂を見つけたんですの!?どうして!どうして連れ戻さなかったんですの!?」


「だって、シルキィがいたから」


「……!?だって、シルキィはそのために生まれた器で――!マスタァは長年そのために!」


 腕の中で混乱するシルキィを諭すように俺はそっと力を込める。そうしてはっきりと口にした。


「シルキィ……俺はね?姉さんじゃなくてシルキィを選んだんだよ?」


「……!?」


「シルキィは俺にとって大切な家族だ。そして、俺はもう二度と家族を失いたくない。悲しいけれど、姉さんはもう亡くなってしまった人。それくらいわかってた。でも、なまじっか力を有していた俺は諦めきれずに禁忌の術に手を出した。それは、本当は願ってはいけない我儘だったんだ」


「でも……!あと少しでマスタァはお姉さまを手に――!」


「シルキィ?何回言わせるの?俺はもうシルキィに姉さんを重ねない。姉さんへの想いは『アーク』で完全に昇華したんだ。シルキィはシルキィ。これからもシルキィは俺の大切な家族だよ?」


 腕を離して微笑むと、シルキィは瞳いっぱいに涙をためていた。


「シルキィは、シルキィは……!ふえぇええん……!」


「結局泣くのか。困ったな……」


 俺はシルキィを抱っこしてベッドに座らせると、背中をよしよしとさする。しばらくして落ち着きを取り戻したシルキィはぽそりと一言呟いた。


「マスタァ……」


「なに?」


「……しゅき」


「はいはい」


「シルキィ……ずっと傍にいます。マスタァが二度と、家族と離れ離れにならないように」


「ありがとう」


「ねぇマスタァ?」


「なに?」


「このお洋服……似合ってますか?シルキィ、可愛いですか?」


 その問いに、俺はこっくりと頷いた。


「うん、可愛いよ。、とってもよく似合ってる」


      ◇


 なんだかんだで家を出るのが遅くなった俺達は『マスタァと手を繋いで街まで行くんですの!』というシルキィの意向を無視してレストラン前に転移した。


「趣きもへったくれもないですわぁ……」


「仕方ないだろう?遅刻したらレストランに迷惑がかかる。いくら上客な最強魔術師でもマナーがなってなければ気持ちのいいサービスは受けられないんだから。ほら行くよ?」


 ごねるシルキィの手を引いて、案内されるがままに席につく。煌びやかで綺麗な店内に上品な照明。真っ白なテーブルクロスの上には美しく揃えられた銀のカラトリーが並んでいた。


「お伺いいたします」


「シェフのおまかせコースで。飲み物はそれに合ったお勧めのものを」


「苦手なものやアレルギーなどは?」


 視線を向けるとシルキィは大丈夫という意味の首肯をする。


「彼女の分は特になし。私はニンニクが苦手なので、それでお願いします」


「かしこまりました」


 給仕がさがったのを見て、シルキィはうずうずと店内を見回した。その様子に俺はそっと声をかける。


「別に高級店だからってそんなにかしこまらなくていいって。シルキィ外食あんまりしないからな、物珍しいんだろ?好きに眺めなよ?」


「でも、あんまりそわそわしたらはしたないですわ?」


「シルキィくらいの年若い子なら逆に可愛げがあると思われるんじゃない?何?メニューが気になるの?今日はコースだから、前菜、スープ、魚に肉……色々出てくると思うけど」


 その言葉に、シルキィの目が爛々と輝く。


「雑誌で見ましたけれど、このお店のものはどれも綺麗で美味しそうで楽しみですわ!味と盛りつけを勉強して、おウチのお料理に活かすんですの!ふふ……!」


「それは楽しみだ。そうか、メアリィじゃなくてシルキィと来ればそういうメリットが……」


「まぁ、メアリィの舌は感度が確かですからデートで来るお店を探すならメアリィでも間違いないとは思いますけれど、シルキィはマスタァと来れて嬉しいですわ?それにしてもマスタァ、いつの間にニンニクがダメになったんですの?」


「うーん、ここ最近?やっぱブラッディと眷属契約してからかな?なんかダメなんだよ。匂いもダメ、味もダメ。胃がむかむかして、息苦しくなる」


「ほんとうに吸血鬼みたいですわね……」


「まぁ、貰った血はそんなに多くないから半分も吸血鬼ではないと思うけど。ブラッディは高位の吸血鬼だから、影響が大きいのかも」


「へぇ……不思議ですわね?でも、味の好みに変化があったのならシルキィにも言ってくださいな?お料理を作る際は一層気を付けますので」


「ありがとう。今のところ他にはないよ」


「失礼いたします。本日のアミューズ、水牛モツァレラチーズのカプレーゼでございます」


「わぁ……!」


 差し出された料理の美しさに目を見張るシルキィ。メインの料理も食べ終え後はデザートを待つのみとなった頃、シルキィが不意に口を開く。


「はぁ……!どれもこれも素敵で、味はもちろん目にも楽しくって!デートっていいですわねマスタァ!このお店ならどんな女の子も喜びますわ!」


「喜んでくれたなら、よかっ――」


(そうだった。忘れてた……!アーニャさんとのデートにどうかと思って今日はここに来たんだった!)


 どうして今まで忘れていたんだ。

 だって、シルキィがあんまり楽しそうだから、つい……


 俺は目的を完全に失念していたという動揺を隠しつつ、料理について楽しそうに語るシルキィの言葉に耳を傾ける。


「量は多すぎず、提供されるスピードも丁度いい。ゆったりと時間を楽しめるものでしたわね。でもマスタァ?お言葉ですけれど、アーニャはきっとこういうお店よりも、もっとマスタァのよく知ったお店の方が喜ぶと思いますわ?」


「え?」


 その言葉は予想の斜め上をいくものだった。レストランのこともそうだが、なによりシルキィがデートの応援をするなんて――

 驚き見つめ直すと、シルキィはぷくっと頬を膨らませたまま話す。


「シルキィ、お姉さまのことと一緒にマスタァの彼女のことについても考えましたの。マスタァが本当に幸せになるために、シルキィはそっちも応援するべきなのかしらって」


「シルキィ……」


「正直に言えばシルキィは不本意ですわ?でも、ちょっとだけならいいのかなって。マスタァがそれで新しい喜びを得られるのなら、それに代わるものなんて無いとも思いましたのよ」


「うう、なんていい子なんだ、シルキィ……!」


 マスタァ、涙がでそうだよ。


「もしシルキィがデートに誘われるなら、その人のことをもっと知りたいと思いますの。美味しいお店に連れてきてくれる優しさとか気遣いもいいですけれど、それよりも、マスタァがどんなものを好きで、それを一緒に楽しめるかが重要だと思いますのよ。お相手にとっても、マスタァにとっても」


「俺に……とっても?」


「ええ。マスタァは、一緒にいてあったかい気持ちになれる人が理想なんですのよね?でしたら、『自分が好きなものを一緒に楽しめる』のが一番だと思いますわ。そういった人と巡り会うのは中々難しいことだとは思いますけれど、以前マスタァはアーニャのことを『詳しい魔術の話ができて楽しい』と仰いましたわよね?それに関してはシルキィ、アーニャは及第点だと思いますの」


(なぜ上から目線……?)


「それに、メアリィの調べによればアーニャのリクエストは『マスタァの好きなお店』。それを聞いてシルキィ、アーニャはそれなりに『わかっている』ようだと考えを改めましたのよ」


(何をどう改めたんだろう……?)


 シルキィの語り草から察するにツッコんだら長くなりそうなのでやめておくが、シルキィの『乙女論』は案外理にかなったものばかりだった。


「乙女が結婚を考えるとき、マスタァ同様に『一緒にいたいかどうか』が焦点になるとシルキィは思いますわ。でしたら、飾らない素の姿、好み、生活を共に体験することが肝要。そういう意味では同棲というのは悪くない選択肢だと思いますの」


「同棲……!」


「シルキィ、マスタァが幸せな結婚に憧れているというのは知っています。ですが、急にプロポーズして結婚は早いと思いますのよ。せめてお付き合いをして、沢山の時間を共有して、それから同棲して……最終的に納得したら結婚すればいいと思いますわ?」


(……ん?)


 もじもじとしたシルキィの様子にどこか違和感を覚える。


「シルキィ、まさか……この期に及んで最後の防衛ラインを敷こうってわけじゃあ――」


「シルキィ、そんなつもりありませんわ?」


 ぷいっ。


「同棲を勧めるのも、時間稼ぎが目的……?」


「シルキィ、微塵も思ってませんわ?」


「水際で食い止めようとか思ってないよな!?」


「そ、そんなことありませんわ!シルキィだってそこまで往生際悪くありませんのよ!?ただ、同棲までいってそれでマスタァが幸せなら、そのときは認めてやってもいいかななんて……マスタァの幸せなお顔は、シルキィにとっても眼福ですし」


「……ほんとに?」


 訝しげな視線を送ると、シルキィはこっくりと頷く。


「シルキィはそれがマスタァためになるのならマスタァの恋を応援することにしたんですの。その代わりと言ってはなんですが、シルキィからのお願いも聞いてくださいます?」


「え……なに?」


 問いかけると、シルキィは顔を赤くして俯きがちにお願いした。


「シルキィとも、また……こういう風にデートに来てくれますか?」


「わかったよ。彼女がやきもち妬かない程度にね。というか、そういうのに理解のある彼女が欲しいな」


「できるといいですわね、マスタァ!」


 にこっと微笑むシルキィは俺と同じく、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしていた。

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