第23話 愛されマスターの朝


 『愛しい人を蘇らせたい』との一言を聞いて、俺は思わず妖狐に声をかけた。


「少し話を聞くだけだ」


 その言葉に目を見開いたのは、妖狐ではなくメルティだった。


「マスター、ダメだって!この狐は絶対に良くないことを企んでる!身に纏う血の匂いが憎悪と腐臭に歪んでて、メルティ鼻が曲がりそうだよ!?」


「けど、こいつの話が本当なら――」


「本当なわけない!そうやってマスターはいつも親切心につけこんだ魔族に騙されて、マスターは優しすぎるの!そんなんだからメルティもお兄様も心配でそわそわしちゃうのよっ!?いいからメルティの勘を信じて!」


 メルティはそう言うとコウモリ羽をバサっと大きく広げ、俺を抱えて飛び立った。か細い腕をぷるぷるとさせながら、施設の天井に向かって手をかざす。


「ちょ――メルティ何を!?」


「ここから出るよ!」


「――【鮮血の鋭槍クリムゾン・ランス】!」


 メルティが唱えると、周囲の空間から幾つもの紅い槍が顕現した。メルティはそれらを操るようにして天井を穿ち、風穴を開けると眼下のリリカに言い放つ。


「あとよろしくね、リリカちゃん!メルティたちはバイバイしま~す!」


「おい、メルティ!」


「探し物は見つかったんでしょう?寄り道し過ぎはダメだってお兄様に怒られるわよ、マスター?」


「まぁ、深入りは良くないが……」


 俺は一瞬リリカに目を向ける。


(あいつなら、まぁ……平気か。仮にも勇者パーティに所属して、魔王を倒したんだからな)


「あっ、ちょっと待ちなさいよぉ!?ここまで来たなら手伝ってくれてもいいでしょお!?昔のよしみで!」


「こっちにも色々あるんだよ。連絡先なら前に教えた魔術回路パスが繋がるはずだから、情報交換なら後日それで。妖狐討伐がんばれよ、伝説の呪術師リリカ様!じゃ、そういうことで」


 俺はそう言ってひらりと手を振った。俺もメルティも勇者との戦闘で魔力を消耗しているし、メルティの言う通り本気で戦うなら今日は撤退するべきだろう。


 リリカの狙いが妖狐の毛皮であるというのなら、研究施設を破壊するのも完了の報告を受けた後でいい。爆破に必要な魔術の刻印なら探索する道中いたるところに仕掛けてきたからな。同時に培養槽にも防御結界が作動するようにしておいたので人命的にも問題は無い。


 俺が立ち去ればあの妖狐は『俺から助力を得る』という目的を失う。なればこそ撤退するというのは悪くない提案だった。リリカはそれに気が付いていないのか。

 俺とメルティに『あんた、そういうとこよ!!』と叫ぶリリカにヒラヒラと手を振り、俺達はその場から退散したのだった。


「メルティよくがんばったな。危うく妖狐の演技に騙されるところだったよ、ありがとう?」


「うふふ。メルティ今日のMVPね!」


 どや!と胸を張るメルティが今日も一日可愛かった。

 復讐だなんだと抜かしたところでメルティ達には絶対に被害が及ばないようにしようと、俺は固く胸に誓ったのだった。


      ◇


 屋敷に戻って軽くシャワーを浴びた俺は、バスローブを軽く纏ったままベッドに倒れ込むようにして眠りに落ちた。『紺牢庵』での初お座敷遊びから妖狐の研究施設まで、なんだかんだで疲労は限界だったようだ。とはいえそれなりの成果はあったのでまぁ良しとしよう。


(なんか疲れた。三日くらい眠りたいな……)


 と思った翌朝。あたたかさに包まれるような心地に目を覚ますとベッドにシルキィが潜り込んでいた。俺を抱き締めるようにして胸元にしがみつき、むにゃむにゃと頬をすり寄せている。


(シルキィ、またか……)


 基本的に無断で杖から出るようなことはしないイイ子のシルキィだが、いかんせん甘えん坊なのでたまにこういうことがある。

 本人的には夜這いでもしているつもりなのか身に着けている寝間着がフリフリとやたら愛らしいものに見えるが、寝顔は十六歳の少女のものなのでセクシーというにはややあどけない。それに、顔つきがどう見ても姉さんそのものなので俺にはそんな気になれるわけがなかった。


「シルキィ、そんな恰好じゃ風邪ひくぞ?ほら、布団にちゃんと入って」


 そっと包み込むように布団をかけ直す。

 すると、銀の睫毛の奥からぼんやりとした蒼の瞳がのぞいた。


「んん……マスタァ?」


「おはようシルキィ?俺が湯冷めしないように湯たんぽの代わりをしてくれたのか?」


「そうではありませんけれど……マスタァがあったかいのならそれでいいですわ?」


 シルキィはぽそっと呟くと再び胸元に顔をうずめる。


「おかえりなさい。帰りが遅いから心配したんですのよ?」


「それはごめんな?待っててくれてありがとう」


「もう……わかればいいんですのよ、わかれば。朝ご飯はどうしますの?」


「いや、いいよ。それより、もう少しこうしていてくれるか?」


「うふふ……もちろんですわ♪」


 そっと抱きしめると、シルキィは心地よさそうに微笑んだ。それがとても柔らかくてあたたかくて。この生活に果たして彼女が必要なのかと、一瞬そんな考えがよぎる。それをどこかから察知したのか、杖からふわりとメアリィが姿をあらわした。


「マスターご機嫌だね?シルキィってそんなにあったかいの?」


「おはようメアリィ。シルキィはなんていうか……安心感がヤバイな」


「マスターシスコンだもんね?けど、元気そうでよかったよ。メルティは思ったよりも頑張ってくれたみたいだし」


「そういえば、メルティを寄越してくれたのはメアリィなんだって?助かったよ。ありがとう」


 身を起こして頭を撫でるとメアリィは心地よさそうに目を細める。

 そして、呟くように問いかけてきた。


「ねぇ……マスターはまだ彼女が欲しいと思う?前にシルキィに言ったんでしょう?『皆は家族だから、彼女の代わりにはできない』って」


「え――」


「メアリィ思うの。マスターを元気づけようと思ってマッチング掲示板に登録するようにオススメしたけど、それももう必要ないのかなって。メアリィは、このままだとマスターが知らない女に取られちゃうんじゃないかって心配だよ?シルキィも、多分メルティも。本当はマスターに彼女なんてできて欲しくない……」


 ぎゅうっと心細そうに握られるバスローブの裾。どうやらメルティの言っていたことは本当だったようだ。その切なそうな表情に思わず心がぐらつく。


(俺は……このままでもいいのか?)


 確かに、マヤにフラれて失恋した痛みは当初に比べれば格段によくなってきていた。結婚式に参加してふたりを祝福し心にケリをつけたのもあるし、マッチングを重ねていくうちに気になる子ができたというのもある。だが、それもこれも使い魔のみんなが終始俺に寄り添ってくれたからだ。


 マッチングするうえで使い魔や魔族に対する理解は絶対条件だったし、みんなのことを良く扱ってくれないようなら結婚はできないとの考えの元に理想の彼女を探してはいるが、もういっそ諦めてこのままでも――


 俺に寄り添うシルキィとメアリィの姿を見てそんなことを考えていると、不意に影からブラッディが姿をあらわした。ブラッディは俺に『無事でなによりだ』と挨拶すると、何故か毅然とした態度でメアリィに向き直る。


「そこまでだ、メアリィ。シルキィも」


「「……ブラッディ」」


「いい加減にしろ。契約者を甘き沼に沈めて何をするつもりだ。我らはあくまで使い魔であり、主に仕える者である。その思考を阻害し私欲のままに幸福へ導くことを怠るというのであれば、我が容赦せん」


「何よ。男のあんたにメアリィたちの気持ちがわかるわけないでしょう?余計な横槍を入れないでくれる?」


「そうですわ!シルキィたちは絶対に認めませんからね!マスタァが他の女のものになるなんて!」


「結婚したとて契約者が伴侶のものとなるわけではないと言ったであろう?たとえ誰と契約を交わそうと、契約者は契約者のものだ。」


「うるさいわね!黙って聞いてれば、老人みたいな説教をいつまでも!」


(え……)


 何? この険悪な雰囲気……?


「ちょっと待てよ!皆、どうしてそんな喧嘩して――」


 俺が居ない間に何があったんだ!?


 わけがわからない。

 だが、どうやらメアリィとシルキィはブラッディと考えを異にし、それ故に言い争いをしているらしい。それも、俺の恋人がどうとかいう話で。


 頭上に???ハテナを浮かべるしかない俺に、ブラッディは静かに告げる。


「マスター、ここらが潮時だ。我らの考えを聞いてはくれないか?もう我では、彼女たちの計略を抑えることができん」


「計略……?」


「ああ。彼女らはマスターを……一生結婚させないつもりだ」


「!?」

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