第12話 使い魔と仲良く同衾の朝


 朝。ぼんやりとした目をこすって身を起こすと、寝間着の裾をきゅっと掴まれる。


「マスタァ……まだ行かないで……」


 むにゃむにゃと夢うつつのままダダをこねるのは同じく寝間着姿のシルキィだ。


(ああ、昨晩は優先的に回復させたいから添い寝してあげたんだっけ……?)


 シルキィは触れることで魔力を受け渡しできる妖魔。基本的に戦闘を行わない家事専門の妖精なので魔力コストが低く回復につきっきりになることもないのだが、昨日はかなりの無茶をさせてしまったから特別だ。俺はシルキィに求められるままにベッドに再び身をうずめた。


「シルキィ具合は?お腹いっぱいになったか?」


「ふふっ。おかげさまで元気いっぱいですわ!」


「そっか。よかった」


 姉さんの生き写しの姿をしているシルキィと寝ていると、なんだか昔を思い出す。


(昔はこうして、姉さんによく本を読んで貰ったっけ……)


 頬を緩ませつつ思い出に浸っていると、窓の向こうがやたら明るくなった。


「うわ眩しっ……!」


「おはようございまーす!」


 ばーん!と窓を開け放ち、翼をバタつかせて入ってきたのは天使のセラフィ。四枚羽をパタつかせる度に部屋中に羽根が舞って、朝の陽ざしに照らされる。きらきらとしたウェーブの金髪にその笑顔、朝型テンション……


「相変わらず鬱陶しいな、セラフィは」


「ほんと、シルキィとマスタァの大事な時間を邪魔しないで欲しいですわ……!」


 降りそそぐ羽毛を見て『また掃除しなきゃ……』とシルキィがげんなりした表情を浮かべる。


「えぇ?昨日セラフィめちゃくちゃイイ仕事しましたよね!?去り際のマスターとその演出がそりゃもう良かったって、世界中のチャペルから仕事の依頼が届いてますよ?」


「ありがと。それは感謝してるけどそんな仕事はしないから」


「何故ですか!?人の幸せを祝福するなんて、これ以上に素晴らしいお仕事は無いのに!」


 俺の上に跨ったままふんすと意気込むセラフィをぐいと遠のける。

 天使というのは懐っこくて扱いやすいのが美点だが、いかんせんいい子ちゃんなのでビジネスの話には疎い。

 どうせその仕事も『天使の祝福をモロに授ける』ということの魔術的な価値と重要性をガン無視した報酬設定なのだろう。天使の維持費もバカにならないし、アレはマヤだから特別なんだ。俺の魔術はエンターテインメントじゃないんだぞ?まぁ、イタズラとかには使うけどさ。それになにより――


「だって俺、彼女いないし。他人の幸せの手伝いなんてしてる余裕あるわけないだろ?絶対やらないから」


「どうして~!?」


 他人の結婚式なんて、見てるだけでメンタル削れていきそう。昨日はマヤの晴れ舞台だったから歯ぁ食いしばってカッコつけてみたが、内心結構キてたんだぞ?


「さっきも言っただろ?俺は今新しい恋を探してるところで、そんな余裕は無いんだ。シルキィから貰った生命力もそろそろ切れるから数日はまた病人に逆戻りだし。そんなことより、元気なうちにセラフィにも魔力をあげるからこっちにおいで?」


 手招きすると、胸元にしがみついたままのシルキィが声をあげる。


「今日はシルキィがマスタァを独り占めしていいんじゃありませんの!?」


「昨晩は独り占めだっただろ?」


「シルキィ、まだマスタァ成分が足りませんわ!もっと独り占めしたいんですの!」


「さっきの『元気いっぱいですわ!』って台詞、忘れてないからな?」


「そんなぁ……!ねぇ、マスタァ?せめてちゅーしてくださいませんの?」


 その言葉に、セラフィの頭上の光輪が淡いピンクに光る。


「ま、マスターとちゅーなんて!破廉恥ですよシルキィ!」


「えぇ?メアリィもメルティも許されてるのに、どうしてシルキィはダメなんですの?不公平ですわ?」


「前にも言っただろ?シルキィは姉さんの生き写しだから抵抗が――」


「でも!シルキィはシルキィなんですのよ!?」


「うっ……」


 そう言われるとぐぅの音も出ない。でも、仕方ないだろ?シルキィが相手だと姉さんにキスしてるみたいで、ものすっごく悪いことしてる気分になって数日ヘコむんだから。


「シルキィ、こういうのは理屈じゃないんだよ」


「理屈でモノを考えない魔術師がどこの世界にいまして!?」


「ぐ……!」


 シルキィの正論と猛攻にたじたじの俺を救ったのは顔を真っ赤にした天使だった。


「ちょっと!さっきから黙って聞いていればなんなんですか!?マスターは朝からシルキィと同衾しているし、シルキィは破廉恥なおねだりばかり!いくらマスターと使い魔だからって、不純主従交遊は禁止ですよ!!」


「そんな腐った貞操観念カチコチの決まり、天使界隈だけですわ!?」


「てゆーか、同衾とか言うな!魔力あげてるだけ!セラフィこそ言い方がハレンチなんじゃないか!?いいからブラシ持ってこい!ブラッシングしてやるから!」


 そう言うと、セラフィはぴこーん!と光輪を輝かせてブラシを取りに飛んでいった。パタパタと喜び勇んで帰ってきたその手には先端が少し丸くなったセラフィのお気に入りのブラシが握られている。


「えへへ。マスターのブラッシング久しぶりです……!」


 さっきまで破廉恥だなんだのと文句をたれていたはずなのに、その不機嫌はどこに行ったんだ?ほんと、天使はいい子ちゃんすぎて不安になる。


「ほら、今日はどのトリートメントにする?」


 引き出しを開けてベッドの上でわくわくしているセラフィに問いかけるとこれまたいい返事が。


「セラフィ、あの紫の瓶のやつがいいです!」


「ああ、イランイランの香りのやつか」


 セラフィは天使なので触れたり同じ空間に居ることで俺から魔力を摂取できる。ただ触れるのではなく、羽根をブラッシングしながらコミュニケーションを取ることはセラフィにとって一番心地のいい魔力供給なのだとか。俺はその際に羽艶が良くなるように洗い流さないトリートメントを使用していた。同じパーティにいた女魔術師に聞いたその方法は、効果てきめんなようだ。

 瓶から少量の液体を手に取って両手で馴染ませてから、羽を生えている向きに沿って撫でていく。


「ほら、羽根を広げて?」


「ちょっと恥ずかしいですけど……マスターだから特別ですよ?」


 照れ照れと根元を見せるように羽を広げるセラフィ。

 悪いがどこが恥ずかしポイントなのか俺にはまったくわからない。


「昨日はたくさん祝福をして貰ったから、今日はサービスだ。一時間コース」


「いいなぁ。シルキィにも羽が生えていたらよかったですのに……」


 ぶぅたれるシルキィが隣で見守る中、感謝の気持ちを込めながら丁寧にブラッシングしていると部屋の扉がばぁん!と開かれる。


「マスター!マッチング打診が今日はこんなに!!」


 突撃してきたメアリィの両手には沢山の手紙が。たしかに、落ち着いてきた最近にしては珍しいかなりの量だ。


「これもセラフィのおかげか?」


 天使の祝福、恐るべし。


 そこに居るだけで運気が上がるのだから天使のマスターはやめられない。ブラッディほどではないが、天使を従えるのにはそれなりに魔力コストがかかる。だが、それを加味しても運を味方につけるというパッシブスキルは利点アドだった。だって、どんな魔術を用いても幸運値なんて意図的に上げられないから。


「いつもご苦労さん」


 俺がブラシを置いて手紙を受け取ると、メアリィは俺の背中に張り付いて手紙を覗き込む。その様子にセラフィがまた声を荒げた。


「メアリィ!?あなたはまたそんなに胸を押し付けて、破廉恥ですよっ!」


 その声にいかにも鬱陶しそうなメアリィ。天使とサキュバスは貞操観念の違いからどうにも価値観が合わず、仲がよろしくないのだ。


「ハレンチって言う方がハレンチなんですぅ~!メアリィは手紙届けに来ただけだしぃ?ね、マスター。この子二回目希望だよ!すごくない!?」


 肩越しに乗り出すようにして胸をたぷたぷと押し付けるメアリィ。だが、そのうきうきした顔を見れば、これが意図的でないのは自明の理だ。だが、負けじと胸元にふにゅんとくっついてくるシルキィには明らかに意図がある。


「ちょっと皆落ち着けって。手紙が読めないだろ……」


 かくいう俺も初の二度目のお誘いに手元がそわついて仕方がなかった。

 いそいそと封を開ける俺をよそに、ケンカしだすメアリィとセラフィ。


「何コレいい匂い!って、この瓶か。イランイラン……へぇ?」


「ちょっと、勝手に触らないでください!?それはセラフィのブラッシングに使うトリートメントで――」


「えっ?これセラフィの“お気に”なの?ウケる~!!」


 背中越しにパタパタと羽ばたくメアリィはきょとん顔のセラフィにしたり顔で言ってのける。


「天使のくせに催淫効果のある香りが好きとか、ムッツリだったんだ?セラフィ?」


「なっ、違!甘くていい香りだから好きなだけで、そんな効果知らない――!」


「羽ばたく度にエッチな香りを撒き散らしてたんでしょう?お清楚な顔してさぁ?」


「ちがっ、違います!ほんとに知らなくて!どうしてそんなの持ってるんですか!?マスタぁ!!」


「えっ」


 なんか飛び火したんだけど?


 俺はけらけらと楽しそうなメアリィにジト目を向けると、ため息を吐く。


「そんなこと言われても、コレは知り合いの魔術師に貰ったやつだから。効果なんて聞いてないし。ただ『使い魔ちゃんに使ってあげたら?』って言われて――」


「魔術師からの貰い物をどうして怪しいモノだと疑わないんですか!?」


「だってパーティの仲間だったから俺を陥れる理由が無いし、さすがに疑わないよ。それに、甘ったるくていい匂いだったからメアリィが好きそうだなって」


 圧に押されながらそう答えると、メアリィはそれまでの雰囲気から一変して大人しくなった。


 ――『マスター、そういうとこだよ……』


「結局セラフィがいたく気に入ったからこうしてブラッシングに使っているわけだけど。あいつ、そういう効果があるなら早く言ってくれよ……」


 トリートメントをくれた女魔術師を思い出して再びため息を吐くと、メアリィが寝間着の裾をきゅっと握る。


「大丈夫。ソレ、催淫効果は人間以外に影響ないレベルだから……ねぇ、今度メアリィもソレでブラッシングしてよ?」


 甘えるようなメアリィの瞳。誘惑しているわけではない、純粋に甘えているだけの珍しい表情だった。その顔に、俺は――


「……メアリィの羽、羽毛ないじゃん?皮膜だし。なに?髪をブラッシングすればいいの?」


「そ、それならシルキィもして欲しいですわ!!」


「マスターのにぶちんッ……!」


「ちょ!待てメアリィ!明日からまた風邪ひくからお前にも魔力――」


「今日は要らない!とにかく、二回目のデートの誘いがふたりから来てるから、返事するなら早く教えてよ!」


 メアリィはそれだけ言うとばたん!と部屋を出て行ってしまった。


「ええ~……俺、何か悪いことした?」


 ベッドの上のふたりに問いかけるも、きょとんな表情。俺は叩きつけられた手紙の封を開けて目を通す。二回目のデートの誘いは、エルフのカレンさんと魔女のアーニャさんからだった。ちなみに、こないだブラッディが引っ掛けたのとは別のエルフさん。


「おお……!巨乳エルフなカレンさんとコアな会話ができるアーニャさんか!」


 正直、どちらも捨てがたい。が、残念なことに日程が被っていた。


 カレンさんは見目麗しいエルフの女性で、多少バリキャリ気質なところがあるが面倒見がよく、甘えられるのが好きそうなところが魅力的な方だ。俺に姉がいたことに一目で気がついた洞察力も中々のもので、理知的な女性。曰く『また会ってお話がしたい』と。見た目通りと言うべきか、きっと年下で若干ナヨついた男が好きなんだろう。


 一方で、アーニャさんは見た目こそ地味だがおずおずとした物言いが庇護欲をくすぐる魔女だった。歳も二十代で若く、なにより魔術に精通しているところが魅力的だ。ある程度込み入った魔術理論の話にも興味津々でぐいぐい食いついてきてくれた。自分が好きなものの話を相手が楽しく思ってくれるというのは、オタク気質である俺にとっては気兼ねなく話せて嬉しい。

 彼女からの手紙には『お元気ですか?また会いたいです』と控えめなメッセージが添えられていた。そして、追伸でもう一筆――


 『最近は風邪が流行っているそうですね。ご自愛ください』と。


(やさしい……!魔術師なのに他人を気遣いできるなんて、なんていい子なんだ!)


「なぁ、甘えさせてくれるお姉さまと魔女っ子ちゃん、どっちがいいと思う?グラマラスセクシーか、純朴可愛い系」


 その問いに激昂する使い魔。


「マスター!あなたはまたそういう話を――」


「セラフィは黙って。口を開けば『破廉恥!』なお前に、この手の返事は期待してない」


「ぐうっ……!さみしいです!仲間外れにしないで!」


 俺が期待の眼差しでシルキィに視線を向けると――


 ペチーンッ……!


「痛っ!シルキィ、二度目だぞ……!」


「マスタァのおバカ!乙女心がなんにもわかっていないんですのね!?そういうこと、シルキィに聞きますの!?シルキィは元よりマッチングなんて反対ですと言いましたわよね!?」


 ぷいっ!


「ちょっと、シルキィ?これは俺の将来に関わる重要な――」


「知りません!知りませんったら知りませんわ!」


「マスター、あなたへの祝福もここまでのようですね。セラフィは呆れたのでバイトに戻ります。素材屋のおじさんに天使の羽を納品しないと」


「待てふたりとも!セラフィ、そんな身売りみたいな仕事はやめろって言っただろ!?出稼ぎに行くならもう少しまともな仕事に――そもそもウチはそんなに困窮してないから!」


「出稼ぎ好きなんです。人と関わるのがセラフィは好きなので。それでは」


「待てセラフィ!『人と関わるのが好き』!?信じられん。くそっ、あの陽キャ天使め……!」


「マスタァ?明日から風邪をひいたら、お姉さまかお嬢さんにせいぜい面倒を見てもらうことですね?シルキィはしばしお暇をいただきますわ?乙女心のわからないマスタァのお傍に仕えるのも大変なのですわよ?このシスコン!」


 ばたん。


「あ――」


 俺はひとり、取り残されたベッドの上で天井を見上げた。明日から具合が悪くなるとわかっているのに、俺の傍には誰もいない。自業自得なのだが。


 だって、乙女心なんてわからないよ。わかっていたら彼女のひとりくらい――


「彼女ほしいな……」


 どっちにしよう?


 俺は手紙を持ったまま呆然と想いを馳せる。


 ああ、こんなとき――


「帰ってきてくれ、メアリィ……」


 呟くと、窓の外からくねくねとした尻尾が覗く。


「……マスター?元気ないじゃん?」


 そわそわとした伺うような視線。どうやら去ったと見せかけて、窓の外で聞き耳を立てていたようだ。きっと俺を心配して。


「メアリィ……!」


 俺は『おいでおいで』をして、ふよふよと飛んできたメアリィを抱き締めた。


「わっ!マスターからぎゅってしてくれるなんて珍しいね?……嬉しいけど」


「俺、決めたよ」


「なにを?」


 やっぱり、女の子はやさしい子が一番だ。

 俺を心配してくれる使い魔たちみたいに。


「手紙を送ってくれ。きっとこの子ならうまくいくと思う」


 差し出された連絡先に目を見開くメアリィ。


「わかってきたじゃん、マスター?」


 メアリィはにやりと微笑むと、俺のしたためた返事を持って飛び去った。

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