第8話 吸血鬼に学ぶモテ講座 ②


 黄昏。それは昼と夜の狭間。逢魔が時とも呼ばれるこの時間帯は、仕事帰りの男女が待ち合わせをし、これからの時を共に過ごす待ち合わせの時間でもある。


 俺は打ち合わせどおり【隠れ身ハイド】の魔術で姿を消して路地裏に身を潜めていた。視線の先には銀髪を肩までモサつかせた色の白い男性。紫の刺繍が入った黒のローブに身を包み、街の中央にある噴水広場で何をするわけでもなく佇んでいる。


 ――俺だ。



(ブラッディ、相変わらず器用な奴だな)


 その完璧な変わり身に思わず感嘆の息が零れる。


 そう。今俺の視線の先には、俺に変身したブラッディがいるのだ。戦闘はもちろん、ときには影武者だってしてくれる頼りになる使い魔ブラッディ。これまでも、俺を囮にした陽動などを行う際には期待以上の働きを見せてくれた。伊達にコストの高い使い魔ではない。


 そもそも吸血鬼はプライドの高い魔族で、自身も魔術を使えるような賢く強い種だ。本来であれば使い魔や眷属を従える側の存在。人と契約して使い魔になるなんていうことはよほどの物好きでなければありえないという。

 そんな中、ブラッディは俺がポンコツメルティを育て、養うことを条件に契約してくれた『究極の兄バカ』というわけだ。なんでもできるが、使い方が偏っているスーパーブラザー。その技量やいかに。


(さぁ、お手並み拝見といこうか……)


 物陰からその様子を伺う。キィキィとコウモリに化けて俺の周りをうろついているのは、兄の鮮やかなる手際を自慢しについてきたメルティだ。


「あ。お相手の子が来たわ!」


 少しして待ち合わせ場所に金髪の美女があらわれた。マッチング掲示板からチョイスしたエルフの女性。性格は温厚、趣味は月光浴で治癒の魔術に心得がある大アタリ。何故こんな優良物件が売れ残っているのかは甚だ謎だが、初対面で良い印象を持たせておきたい人のひとりだ。


「グッドな第一印象は二度目のデートのハードルを低くする。頼むぞ、ブラッディ」


 我ながらなんともこすい手だとは思うが、これもひとえに俺が天才魔術師であるが故に取れる手法。ブラッディも俺の実力のうち。


「さぁ、どうする?」


 俺とメルティが見守る中、俺の姿をしたブラッディが口を開く。


「お待ちしていましたよ。さぁ、参りましょうか?本日はどのようなお仕事を?」


 それとなく話題をふりながら女性と食事に向かい、小一時間後――


「少し冷えてきましたね。春過ぎとはいえ、陽が沈むとどうにも。この後はどうしましょう?もう一軒行きますか?」


 レストランから出てきたブラッディの問いかけに、それとなく腕を組みだすエルフさん。


「では、あちらに♡」


 ブラッディは全てを察して女性と共にホテルへ消えた。

 俺はメルティと顔を見合わせる。


「うそ。本当について行ったんだけど。姿形は俺のままなのに」


「さっすがお兄様!モテを極めし吸血鬼!鮮やかだわ~♡」


「なぁ、メルティ?吸血鬼っていうのはどいつもこいつもモテるのか?」


「吸血鬼は人から血液を求める種である。眷属を増やし、吸血するのに必要な魅了適正を有するのは至極当然――」


「そういうのいいから。もっとわかりやすく」


「むっ」


 ドヤ顔の講義を中断されたメルティは不満げに俺の肩で羽休めする。耳たぶにかぷかぷと噛みついて『マスターきらぁい!』と好きなのか嫌いなのかわからない有様だ。俺はコウモリ姿のメルティを手の甲に乗せるとその顎下をこちょこちょとくすぐった。


「メルティ?ほら、ここがいいのか?ほらほら」


「きゃはは……!くすぐったい!ふわぁ♡気持ちいい♡」


「チョロっ」


 メルティは色んな意味でポンコツである。


「吸血鬼が種としてモテやすい体質なのはわかった。でも、それだけでああも簡単にお持ち帰りが可能なものなのか?」


 待ち合わせの様子、最初の声かけ、会話している姿。これといって変わった点は特になかった。ボディタッチが多いわけでもないし、相手に尽くしているわけでもない。どれも自然で、まるで本当に俺が会話を楽しんでいるような――


「いったい、俺とブラッディの何が違うんだ?」


「それは帰ってからお兄様に聞きましょう?ねぇマスター?それより、メルティあのお店のケーキが気になるのだけど……」


 翼の先でちょいちょいと示された先には、きらきらとした艶を放ついちごのショートケーキが。


「わかったよ。ホールで買ってみんなで分けようか」


「わぁい!マスター大好き!メルティ、一番大きいやつね!」


「ほんっと、どいつもこいつも現金だよなぁ」


 だが、そうやって遠慮なくわがままを言ってくるところが、使い魔たちの可愛いところでもある。そうやって言うことを聞いてやったりケンカしたりしていると俺も一緒に楽しい心地になるのだから、家族というのは――


「さ、ケーキ買ったら帰るぞ?」


「はーい!」


 こうして、特にこれといった成果もなく俺は帰還したが、その胸の内はなんだかお腹いっぱいに満たされていたのだった。


      ◇


 翌日。朝帰りのブラッディを捕まえて昨夜の出来事を問いただす。メルティからの『お兄様の分!』という置き手紙に目を通したブラッディはひとり、リビングで切り分けられたショートケーキに舌鼓を打っていた。


「ふむ。人間のパティシエは探求心が強く素晴らしい……」


「随分ご機嫌じゃないかブラッディ?エルフの子、そんなに良かったか?」


 ニヤつきながら向かいの席に腰を下ろすと、ブラッディは紅茶を片手にため息を吐く。


「何か勘違いしていないか?我は昨夜、エルフの女とは寝ていないぞ?」


「えっ。あの流れで?うそだろ?」


「確かに宿に連れ込んだが、あれは『お前にもできる』ということを示すためにそうしただけで、部屋に入った後は適当に術をかけて眠らせた」


「そうなの?」


「もし仮に我が寝たとして。二度目のデートで契約者が同じように彼女を抱こうとした際に違いがあっては困るだろう?」


「それは確かに……」


(前のが良かったなんて言われたら立ち直れない。だが――)


 ブラッディは俺が思っていたよりも遥かに親切なお手本だった。その思いやりに俺はちょっぴり反省する。


「なんかごめんな?しょうもないことに付き合わせて……」


「しょうもなくは無い。契約者が恋に悩んでいるというのなら、協力するのが使い魔というもの。契約者の精神や健康が安定していないと魔力の質が低下し、我らも損害をこうむるからな。気にするな」


「ブラッディ……」


 密かに感動しているとブラッディは口に含んだ紅茶を飲み下す。そして、机の上で組んだ両手に顎を乗せ、俺に向き直った。


「さぁ、答え合わせをしようか?我があの女に何をしたかわかるか?」


 にやりと細められた目に、俺は言葉が浮かばない。


「答えは『心地の良いほうに促した』だ」


「心地の良いほう……?」


「そうだ。我は話術を以てそれを促した。手始めに当日の仕事について話題を振り、体調と疲労度を確認。余力があるのを確かめてから、労わるのではなく楽しむ方向に話を切り替えたのだ。好ましい食べ物、望ましい将来の展望、今なにが欲しくて何が不満なのか。相手に合わせるだけでなく、あくまで自然にこちらも楽しみたいという姿勢を貫いた」


(言われてみれば、開口一番『今日の仕事は?』って聞いてたっけ?)


「それが功を奏したようだ。結果として女は我についてきた。共にいると楽しくなれる、と。姿は契約者のものであったのに、だ」


「え。話術で促すって……すごくない?」


 コミュ障には無理。


 だが、『無理だってば!』と叫びだしたくなる俺をよそにブラッディは淡々と語る。


「別に、何も。肩ひじを張らずに自然にしておればよい。何を恐れることもなく、ただジェラスとしてそこに在ればいい。失敗してもその時はその時だ。一度の逢瀬デートで困憊するような相手に将来性は無いのだから」


「……?」


「何故首をかしげる?昨夜の我の行動は単に彼女の『良き友人』として振る舞っただけのこと。契約者が、ときに我らにそう接するように」


「俺が……?」


「そうだ。昨日の手本は他の誰でもない、お前自身の振る舞いを模したものだ」


 いまいち趣旨のわかっていない俺を察したのか、ブラッディは短くため息を吐いてこう言った。


「――自信を持て、マスター」


「……!」


「お前には、十分に人を惹きつける魅力があるはずだ。今回の件でそれははっきりと証明された。普段は緊張や恐怖、焦りがそれらを覆い隠してしまっているだけのこと。忘れるな。魔術師ジェラスは天才で、我らの自慢のマスターなのだから。いつまでもそんな顔をされてはメルティも我も気を揉んでしまうだろう?」


 ブラッディはフッと笑うと『馳走になった』と言って俺の影に溶けて姿を消す。一人残されたリビングで、俺は大きなため息を吐いた。


「あ~あ、メルティのこと言えないなぁ……」


ブラッディあいつ……人を甘やかす天才かよ……)


 いつも、いつも。俺は使い魔みんなに助けられていた。決して忘れていたわけではないが、そのことが今一度俺の背を押してくれたのだ。


「俺もこのままじゃいけないよなぁ……」


 決意を胸に俺は席を立つ。


「結婚式、行こう……」


 もう一度、俺が俺の足で立ち上がるために。

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