第7話 吸血鬼に学ぶモテ講座 ①


 朝、うつつと微睡みの狭間で心地のいい目覚めを迎えようとしていた俺を唐突に痛みが襲う。口の中に広がる錆のような生臭い香りとぬらりとした感触。まるで唇から血が出ているような……俺は一瞬にして覚醒した。


「むぐ……!!」


「はむぅ……はむはむ♡」


「――ッ!!へったくそ……!」


 俺は唇に噛みつき、ちゅうちゅうと血を啜る使い魔を叩き落とす。『ふわぁ!』とかいう情けない声と共に黒髪の巻き毛を揺らしたゴスロリ服の少女が俺の上からベッドに転がり落ちた。


「メルティ!痛くするなって何回言ったらわかるんだ!?はむはむしつこいんだよ!」


「契約者よ、メルティは脆弱なる吸血鬼。噛む力が足りないから何度も食むのはご愛敬。深淵のような広い心で許し給え」


「だからって執拗に噛み直すな!口の隙間から血がぽたぽた垂れるだろうが!シーツを汚したらシルキィに怒られ――」


 入り口から感じる殺気。俺ではない、おそらくメルティに向けられた――


 ――噂をすれば。


「はわ……シルキィ!」


「メルティ?またマスタァの唇からちゅうちゅう血を啜ったんですの?」


「だって、メルティの牙は柔いから、唇くらいしか噛み切れなくて……」


「だからってマスタァに許可も無くちゅーしていいとでも?それに、マスタァのことは『契約者』じゃなくてマスタァとお呼びなさいと言いましたわよね?いたずらに難しい言葉ばかりを使って。そんなのではなく、少しは常識の方をお勉強したらどうですの?」


「だって、お兄様はマスターを『契約者』と呼ぶから――」


 まねっこしたい年頃らしい。齢百越え(外見は十歳程度)なんだがな。


 シルキィに責められふるふると俺の腕にしがみつくメルティ。この、キスも吸血もへたくそなダメダメ吸血鬼は俺の血液からの魔力摂取を必要とする。兄であるブラッディに憧れて“大人っぽい”難しい言葉を好むのだが、そういうところで見栄を張る時点ですでに子ども。何故俺がそんな子どもの吸血鬼を使い魔にしているのかというと――


「やっぱりメルティではお兄様のような立派な吸血鬼にはなれないのかしら?ふぇぇ……」


「ああもう!すぐに泣くのはおやめなさい!何年経ってもぐずぐずと……そんな子にはいちごのシフォンケーキ作ってあげませんわよ!?」


「ふえっ……!いちごのシフォンケーキ……!」


 大好物をお預けされて、ぽろぽろと大粒の涙をこぼす。その顔はもうぐしゅぐしゅで、今にも溶けてしまいそうだ。


「おいシルキィ、そこまでにしてやれって。そうじゃないと――」


「――メルティ?泣いているのか?」


 足元の影が揺らいで、長身の青年が姿をあらわした。漆黒の外套に、腰まで伸びる艶やかな黒髪。深紅の瞳をゆらりと細め、鋭い爪の先で妹の涙をそっと拭う。その優しい仕草にメルティは嗚咽を漏らしながらも一生懸命涙をこらえた。一方で俺はふかーいため息を吐く。


「出てきちゃったじゃないかぁ……」


 その声に、眉をひそめる青年。


「まるで我が現れてはいけないような口ぶりだな?非礼極まるぞ、契約者」


「だって、ブラッディが出てくると疲れるんだよ。できれば影の中でおとなしくしていて欲しいんだが……」


 ブラッディは高位の吸血鬼で、非常に強力な使い魔だ。その分戦闘能力その他諸々多彩な才能を発揮してくれる優秀な使い魔なのだが、いかんせんコストがかかりすぎる。こうして姿をあらわして実体を保つだけでも、部屋中の魔素マナが根こそぎブラッディに流れていくし、俺の唇にできた傷口もズキズキと痛んで、まるで血液がに行きたがっているみたいだった。


「ブラッディ……妹を泣かしたことは謝るから、今日はもう魔界にお帰りなられては?」


「契約者はいつもそうだ。我を煙たがる」


「さっきも言っただろ?疲れるんだよ。世間話なら俺が元気いっぱいのときにしてくれ。最近はマッチングが忙しくて、思うように魔力の休息もできてないんだよ」


 だが、回数をこなしている割には『これ』と思った相手に限って二回目のデートを断られている現状。最強魔術師なのに、俺は何故かモテない。その事実が、疲労とため息を更に大きくさせる。


「自業自得ではないか。そう言われると、なおさら帰りたくなくなるな」


 ブラッディはふいっと不機嫌そうに顔を背けると、足元のメルティを抱き上げた。兄バカ丸出しで妹を溺愛するブラッディ。俺がポンコツ吸血鬼のメルティを従えているのは、この兄に頼まれているからだ。


「そう悲しそうな顔をするな、メルティ。シフォンケーキなら我が作ってやる」


「わぁあ、お兄様大好き!メルティもお手伝いします!」


「ふふ、今日はこの手を血ではなくホイップクリームに染めてやろう。厨房を借りるぞ、シルキィ?」


「あ、ちょっとブラッディ!?あなたお帰りになるのではなくて!?マスタァの言うことをお聞きなさい!」


「ああ、いいよシルキィ。ブラッディはあんまり言うこと聞かないから。帰らないって言ったなら、満足するまで居させてあげた方がいい」


「でも、それではマスタァがお疲れに……!」


「彼はそういう使い魔だ。それは承知で契約してる。だからいいんだよ」


 心配そうな瞳をなだめるように、俺はシルキィの頭を撫でた。うっとりと目を細めるシルキィは納得したようにこくりと頷く。


(使い魔にはモテるのに、どうして……)


「あ。そうだ」


 いいことを、思いついた。


      ◇


 俺は洗顔や歯磨きなどの身支度を済ませると、キッチンに並び立ち、お揃いのエプロン姿でシフォンケーキを作る兄妹に声をかける。


「なぁ、ふたりとも?ブラッディってモテるよな?」


 突拍子もない質問に調理の手が止まるふたり。だが、すぐにほっぺに生クリームをつけたままのメルティがどやーん!と胸を張った。ナイスバディが多い吸血鬼にしては少々物足りない、発育途上(兄+本人談)の胸を。


「何を言うかと思えば、マスターはまたそのような戯言を!『お兄様がモテるか』ですって?どんな人でも魔族でも、その手が触れれば必ず堕ちる!『深淵の誘い手』とはお兄様のことよ!」


「メルティ、それは言い過ぎだ。我はただ、心地のいい吸血を心がけているだけだぞ?」


「んまぁ♡さすがお兄様!無敵と素敵、ここに極まれり!」


 いつもの調子の兄妹バカっぷり。だが、ブラッディがモテるというのは事実のようだ。


「ブラッディ、どうやったら女にモテるんだ?吸血したいと思った女を見つけたとき、お前はどのようにしてアプローチしている?」


 そう。俺にはその経験値が圧倒的に不足しているのだ。これはチャンス。せっかく数百年もの間数多の女を引っかけてその血をいただいてきたブラッディが出てきているのだ。せいぜいマッチングの役に立ってもらおうじゃないか。


「なにも道端で美味そうなのを見つけて即がぶっ!じゃないんだろ?」


 その問いに、ふむふむと視線を宙に向けるブラッディ。


「契約者はモテたいのか?女に切望されて何を望む?」


「えっ。そりゃあ、楽しい交際と幸せな家庭……」


 あたたかくて美味しいご飯と、賢くて可愛い子ども。いってらっしゃいのちゅーに、疲れたときの膝枕……なんて、望みだしたらキリがないけど。


「ふむ。要は絆を深め、契りを交わしたいということか」


(なんか違うような、そうなような……?)


 ブラッディが俺の求める理想の彼女捜しマッチングをちゃんと理解しているかはわからないが、本人的には協力してくれるようだ。深紅の瞳が心なしかわくわくとした輝きを浮かべる。


「欲する女を手に入れる方法はいくつかあるが、最も効率的で後腐れがないのは声をかけて宿に連れ込むことだ」


「まぁ!お兄様大胆♡モテ吸血鬼の鏡ね!それでいて紳士!」


(会って声かけて即ホテルのどこが紳士なんだ?くそヤリチンじゃねーか)


 相変わらず吸血鬼――というか、魔族の尺度は人間とどこかズレている気がする。それに、随分あっさり言ってくれるけど……


「それができたら苦労しないって言ってるんだよ。どうしたら声かけるだけで女が宿までついてくる?」


「ついてこないのか?」


(え?何その『当たり前だろ?』みたいな顔)


 俺は、もう一度ゆっくり問い直した。


「初対面の女に“どういう風に”声をかければ好意を向けられる?」


「それはもう!お兄様の長年培った手練手管で――」


「メルティは黙って」


「はう!」


 ブラッディは蚊帳の外の放り出されたメルティをよしよしと撫でると一言――


「そこまで言うなら、試してみるか?」


 これまたあっさり、言い放った。

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