第5話 聖女の結婚が決まった。もうヤダ家から出たくない。


 俺が聖女のマヤにフラれてパーティを抜けてから一か月を過ぎた頃。俺の耳にある噂が届いた。それは俺へのスカウトの嵐が落ち着きを見せてきて久しぶりに街へ買い物に繰り出したときのことだった。


(先日マッチングした子、見た目は地味だったが引っ込み思案ぽくて今までにはないタイプだったな。穏やかな子が好きな俺にはあの垢抜けない感じは逆に好感触。向こうもそう思ってくれていたらまたデートすることになるかな?)


 そう思い俺がデートのための服を上から下までマネキン通りに購入しようとしていたところ、店員がにこやかな笑顔で問いかけてきたのだ。


「おや、ジェラス様。いつもありがとうございます。本日はこちらの礼服スーツでなくてよろしいのですか?」


「スーツですか?」


「はい。てっきり勇者様の祝勝会兼ご結婚披露宴に出席なさるものだとばかり……」


「祝勝会……披露宴??」


 聞き返すと、店員はそれはもう晴れやかな笑顔で告げる。


「はい!かつてジェラス様もパーティメンバーであらせられた東の勇者ハル様が見事、東大陸を苦しめていた魔王の討伐に成功したと!それを機に勇者様は聖女様とのご結婚を発表なさって、東の大国はお祝いムード一色……まさに『神と悪魔と異界の勇者』のおとぎ話そのままのようなおめでたいお話ですね!」


「……!?」


 俺は全身の身の毛がよだつ感覚を久方ぶりに味わっていた。背筋が寒くなり、身体が冷えていくのに汗が止まらない。息切れ、動揺で瞳が細かく震えてくる。


「マヤが、結婚……」


 あの日。マヤにフラれた夜。心のどこかで覚悟していた出来事が現実となった。マヤが勇者のハルを愛していたことは誰の目から見ても明らかだ。だからあの夜、マヤは俺ではなくハルのところへ行ったんだと思う。あの、天然で女を侍らせる能力がアホみたいに高い異界のチート勇者が自分の想いに応えてくれるかどうかもわからないのに。精一杯の勇気を振り絞って。


 その報せは、マヤの想いが勇者に通じて願いが叶ったということを意味する。マヤを愛した人間としては、彼女を想えばこそ心から祝福するべきなのだろう。だが、同時にそれは勇者一行が俺なしで魔王を打倒したという事実も示していた。


(最近スカウトが大人しくなったのはそのせいだったのか……)


 なんか、さみしい。


 それにしても。そんな大事な話を何故俺が知らない?いくら魔王の討伐を直前でドタキャンするようにパーティを抜けたからって、無事に倒せたのなら一報をくれてもいいじゃないか。仮にも数年パーティを組んで一緒に神にだって挑んだ仲なんだぞ?

 それに、ふたりが結婚するなんていう大切な話を俺に知らせてくれないなんて……


「うっ……」


「あの、ジェラス様……?」


「これください。上から下まで、一式」


 俺は結局『披露宴に呼ばれていない』ということがバレるのがこわくて悲しくて、礼服一式とデート用の服をマネキン通りに揃えて購入した。


      ◇


 屋敷に帰ると、庭先を掃除していた家事妖精の使い魔シルキィが箒を置いてぱたぱたと駆け寄ってきた。


「おかえりなさいませ、マスタァ!」


 長い丈の清楚なメイド服を着た、俺とよく似た銀糸の髪の女の子。妖精と言っても背丈は人間とさして変わらない十六歳くらいの少女の姿をしている。薄っすらと湖の蒼を湛えたような瞳がにこりとこちらを覗き込む。


「ただいまシルキィ。いつも掃除ありがとう?」


「滅相もございませんわ!シルキィにとっては、マスタァのお役に立つことが全ての喜びですもの!今日はたくさんお買い物なさったのですね?急いで中に運びましょう?」


「重いから無理はしなくてもいいよ」


「お気になさらずに!シルキィはマスタァご自慢の優秀な家事妖精。見かけによらず力持ちなのですから心配ありませんわ?」


 ふふふ!と嬉しそうなその様子に胸がほわほわとあたたかくなる。


「そうだシルキィ。最近、勇者たちから手紙が届いていなかった?」



 ピタリ。



「噂によると、あいつら無事に魔王を倒せたらしいんだけどさ。パーティを抜けたからって一報もくれないような冷たい奴らじゃなかったと思うんだけど?」


 実際抜けてからの数週間、数日おきに連絡を寄越しては俺の体調を案じるようなお人好しだった。そのあたたかすぎる気遣いがまた苦しくて、俺は一層失恋をこじらせていたわけだけど。その問いかけにシルキィの挙動がおかしくなる。


「……なんにもありませんわ?」


「ほんとに?」


「シルキィ、見てませんわ?」


「結婚式の連絡も来てない?」


「シルキィ、捨ててませんわ?」


「……シルキィ?」


 俺はそそくさと荷を持って上がろうとするシルキィの肩を掴んだ。


「ぴゃっ……!?」


「嘘をつくと瞳の虹彩が赤くなる。すぐにわかるぞ、シルキィ?」


「…………」


「どうしてそんなバレバレの嘘をつく?そもそも、メアリィの話だとマッチング打診の案内も一部抜き取って捨てているそうじゃないか?マスター宛の手紙を勝手に捨てるなんて、使い魔としてはポンコツ以下だけど?」


「…………」


「マナーがなってないんじゃない?」


 そこまで言うと、シルキィは床にへたり込んでわんわんと泣き出した。


「ふえ~ん!だって、だってぇ……!シルキィはぁ……!」


「ちょ、泣くなよ……!」


「シルキィはぁ!マスタァが悲しいお顔をするのには耐えられませんもの!マスタァはお家に帰ってきてからずーっと泣いてらっしゃって、それはあの聖女のせいで!あんな奴からの手紙を読んだら、マスタァはきっとまた泣いてしまいますもの!」


「……!シルキィ、まさかそれで手紙を捨てていたのか?」


「捨てましたわ!ごめんなさい!でも、シルキィはマスタァが大好きだから、もう泣いて欲しくないんですの!」


「じゃあ、どうしてマッチングに関する報せも捨てている?」



 ピタリ。



「それ、メアリィに聞いたんですの?」


「そうだけど」


 ――『あンの色情魔……!』


「シルキィ?何か言った?」


「なんでもありませんわ♡」


 さっきまでの涙はどこへいったのか、シルキィは『よよよ……』と胸元にすがりついて上目遣いで俺に訴える。


「ねぇマスタァ?どうしてマスタァは恋人が欲しいんですの?マスタァには使い魔シルキィたちがいますわ?ずっとお傍にいますわ?それなのにどうして?」


 その問いに、思考が一瞬停止する。


 確かに、俺は傍にいて心をあたためてくれるような彼女が欲しい。しかし、それは使い魔である彼女たちにもできることではある。だとしたら、何故俺は彼女が欲しいのか。


 答えは、簡単だ。


「シルキィたち使い魔は俺にとって家族同然。なんていうか……庇護対象であって、そういう目では見れないんだよ?」


「メアリィとはスるのに?」


「あれはご飯を食べさせてるようなものだから。実際俺は動かないし」


「でも、シルキィはメアリィが羨ましいですわ?」


「ちょ。そういうこと、その顔で言わないでくれよ……」


「でも、シルキィをそういう風に造ったのはマスタァですわよ?」


 その言葉に俺は視線を逸らす。


 シルキィは、俺の昔の過ち。幼い俺が図書館の奥で見つけた禁忌の魔導書を見よう見まねで造った、老いを知らない人造ハンドメイドの妖精。中身である性格は後天的に備わったものだが、そのモデルは――


「……お姉さま、でしたかしら?」


「…………」


「生き写しなんでしょう?亡くなったお姉さまに……」


「そうだよ……だから、そういう目で俺を見ないでくれ」


「でしたら、マスタァもそういう目でシルキィを見るのはお止めになって?」


「見てないよ。見るわけないだろ……」



 俺はただ、もう一度姉さんに会いたかっただけなんだから……



 その眼差しを否定するようにシルキィは首を横に振る。


「いいえ、見ていますわ?マスタァは、シルキィのことたまにお姉さまを見るような眼差しで見つめています」


「……!」


「シルキィはお姉さまではありません。シルキィですもの。ですから、マスタァがシルキィを『お姉さまを見るような目』で見つめる限り、シルキィはマスタァの言うことを聞きません。言われる筋合いがありませんもの。マスタァに恋慕の情を抱き続けますわ?」


「やめてくれって言ってるだろう。姉さんの顔で……」


「では、マスタァもお止めになることですね?いいですか?『やめろ』と【命令】したら絶交ですからね!マスタァ権限は禁止ですからね!」


「わかってるよ……」


 俺はため息を吐いて、シルキィにもう一度向き直る。姉さんを見る目ではなく、シルキィを見る目で。


「シルキィ?俺もできる限りシルキィに姉さんを重ねるのはやめる。だから約束だ。もう俺宛の手紙を捨てるのはやめなさい。マヤのことならもう、多分……大丈夫だし、手紙を捨てられたらマッチングできないだろう?」


「しなくていい!マスタァはマッチングなんてしなくていいんですの!ずーっとシルキィたちと一緒に暮らすんですの!」


「だからそれをやめろって言ってるんだ!!俺は彼女が欲しい!マヤが抜け落ちた心の空洞を埋めてくれる彼女が欲しいんだよ!!あいつ、結婚ちゃったしさぁ!ちゃんと手紙来てただろう!?結婚式の招待状!俺だけハブじゃないよなぁ!?」


「もう……マスタァは!どこまでも女々しい男ですわね!!」


「だったら邪魔するのをやめろ!!招待状を寄越せ!ちゃんと!おめでとうって言わなきゃダメなんだから!!」


「……!」


「はぁ……くそっ……!本当は結婚式なんて行きたくないに決まってるだろ。マヤが勇者と誓いのキス?ふざけんな。皆に祝福されて、幸せそうな笑顔を浮かべて。それを作ってやれるのは俺じゃなくて勇者なんだ。でも、呼ばれてるなら行かなきゃダメなんだよ!」


 この想いを、断ち切るために……


「マスタァ……」


「シルキィ?これからはいい子にしてくれるか?」


「……はい。マスタァがそう決意したのであれば、シルキィは、立ち上がろうとするその勇気を全力で応援いたしますわ?出席用の礼服にアイロンをかけておきますわね?」


 『うふふ!』と笑うその顔に、俺は安堵のため息を吐く。


「ありがとうシルキィ。ああそれから、ここ数日は家事が忙しくなると思うからよろしく」


「お安い御用ですけれど、どうかしたんですの?」


「俺、今日から屋敷に籠って不貞寝するから」


「…………」


「数年間好きだった初恋の子の結婚が決まったんだ。パーティ内恋愛で、俺以外の奴と!まともな感性の奴は碌に仕事できるはずもない。その上あいつら俺なしで魔王を倒したんだぞ?最強魔術師が聞いて呆れるよなぁ!?あ~あ!いっそ誰か笑ってくれよ!」


「マスタァ……」


「も~ヤダ~!生きていける気がしない!彼女が欲しい!俺のこの虚しさを慰めてくれるような彼女が欲しいぃい!」


「マスタァ……!」


 スパーンッ――!


 シルキィの平手は、思ったよりも痛かった。


「痛ぃ!何す――姉さんにも叩かれたことないのに!」


「ちょこっと見直したシルキィがおバカでしたわ!なんて女々しいのかしら!?マスタァはそうやって一生シルキィたちとお家に籠っていればいいのですわ!」


「やめろ!話を振り出しに戻すな」


「もう!先に戻したのはマスタァでしょう!?シルキィは知りませんっ!」


 ぷいっ!


「……俺のこと好きなくせに」


 ぼそりと呟くと、シルキィは顔を真っ赤にしてぽかぽかと胸板を殴る。


「バカぁ……!」


「うわ、やめろって。痛くない。ははは、くすぐったい……!」


「マスタァのいじわる……!ふぇえ……!」


「ちょ、待て!泣くなよ!?その顔で泣くのは卑怯だって!」


 その力のない拳が、俺の心の隙間をまた少しだけ埋めてくれるのだった。

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