第3話
何と、25日のクリスマスから中東へ出張することになっていた如月さんから「コロを見に実家に行かないか」と電話があったのは、その前日の24日の朝だった。
如月さんの実家に招待された!?
しかもクリスマスイブに!
「え。っと・・・」
「やっぱ用事あるよな」
「いえ!用事とかはないです。でも、私・・・」
「コロに会いたくないのか?」
「会いたい!・・です。写真だけじゃなくて、ちゃんと会いたい・・・」
「じゃあ行こうよ」
私は、如月さんの低く安定した声が聞こえた自分のスマホを、思わずギュッと握った。
如月さんは純粋に、コロちゃんに会わせてくれる、そのためだけに私を誘ってくれたんだ。
何も深く考える必要はないじゃない。
どっちにしろ、気持ちはすでに決まっていたものの、私は「はい。行きます」と返事をした。
それから如月さんが迎えに来てくれるまでの1時間の間に、私はできる限り、精一杯のオシャレを自分に施した。
元々あまり持っていない服の中から、赤いタートルネックセーターにカーディガンのアンサンブルと、タータンチェック柄で膝丈のプリーツスカートを選んだ。
メイクも、いつもどおりの「薄め・ナチュラル」に、チークを少しだけ濃くしたり、口紅とグロスの重ね塗りをして、ちょっとだけ冒険をしてみた。
それでも、私の見た目は、派手にも華美にもならなかったけど・・。
深くは考えていない。だけど行き先が如月さんの実家、ということは、彼のご両親にも当然会うことになる。
だから私は緊張した。
何より、ご両親にはいい印象を与えたい。不快な思いをさせたくない―――。
5ヶ月ぶりに会ったコロちゃんは、一目見ただけで「わぁ!大きくなってる!」と分かるくらい成長していた。
初めて会ったあの日は、「白米の一粒」のように小さく、やせ細って、怯えていたのに、今では好奇心に目を輝かせて、元気いっぱい、健康にすくすく育っているのがよくわかる。
如月さんのご両親が、目一杯の愛情をコロちゃんに注いで育ててくれていることが、十分伝わってきた。
私があげたおもちゃで遊び過ぎて疲れたのか、私の膝の上で気持ちよさそうに喉を鳴らして眠るコロちゃんのおなかをそっと撫でながら、お父様とお母様への感謝の気持ちが湧いてきて、私は泣きそうになっていた。
如月邸で、私は、クリスマスディナーをごちそうになった。
シンプルに塩・コショウで味をつけただけの和牛ひれステーキは、ナイフがスッと入るくらい柔らかく、ポテトサラダは、ゆで卵や玉ねぎ、キュウリやニンジンといった具だくさん。
そしてマッシュルームのポタージュスープも、まるでレストランに出てくるような美しさ。
どれも「いつもより、ちょっと豪華だけど家庭的な味」で、とても美味しかった。
聞けば、如月さんのお母様は、昔家庭科の先生をしていたそうで、お料理だけではなく、おもてなしもとても上手で、緊張していた私の心を、あっという間に解きほぐしてくれた。
如月さんのお父様は、去年まで商社の役員だった。営業だった頃は、ドイツに海外赴任をしたことがあるそうだ。
もう仕事から完全に離れた今は、コロちゃんのお世話と、奥様(お母様)から家事を教わること、そして旅行が趣味だとか。
如月さんに男らしい包容力があって、優しさに満ちた人なのは、お父様の影響を強く受けていると思った。
掃除が行き届いた如月邸は、元々広いのに、もっと広々として見えたし、清々しい空気に満ちている。
お母様には、家事の極意とか、もっと色々なことを教えてほしいと、心から思った。
何より、仲の良いご両親は、お互い愛し合っているだけではなく、お互いのことを労わり合い、助け合い、尊重し合って暮らしているのがよく分かる。
私もそういう人と一緒に結婚生活が送れれば・・・ううん、それは高望みというものだ。
こういう環境で育った如月さんだからこそ、男らしくて実直で、心がとても優しい人に育ったんだなと思った。
そして、こういう環境で育てられているコロちゃんに、良かったねと心の中で言った。
「如月さん、今日は誘ってくださって本当にありがとうございました。コロちゃんにも会えたし、楽しかったぁ・・あ、そうだ。お母様からポタージュスープの作り方を教えてもらったから、近いうちに作ってみますね。如月さん、ぜひ毒見してください」
「ああいいとも。望むところだ。それより霧野さんは料理上手じゃないか。俺んちに置いてくれてるきんぴらとか、自分で作ってるんだろ?」
「はい。得意じゃないんですけどね、家事は昔からやってるから、身についたようです」
「あぁそっか」
「・・私、イブとかクリスマスとか、お祝いした記憶がなくて。おうちにツリー飾ったこともなかったし。だから今日は、とても嬉しかったです。まるで自分の両親と一緒にお祝い事をしたみたいに」
「両親も君のことをとても気に入ってたよ。もちろんコロも。また遊びに行けばいい。俺が段取りつけるから」
「はい。ありがとうございます」
「なあ、霧野さん」
「はい?」
「今から俺んちに来ないか」
「・・・え?」
「渡したいものがあるんだ。イブだけど、クリスマスプレゼント。家に置いてきたままだった」
「え。そ、そんな・・私、如月さんの分、用意してない・・・」
「いいんだよ。俺が勝手に用意したんだから。それに前々から思っていたが、君は受け取る事が下手だ」と言われて、私はショックのあまり、隣の如月さんを凝視するしかなかった。
「・・・そ、それは・・・自分でもわかってます。何でも遠慮しちゃって、すぐ譲っちゃうって・・・」
「でも俺からの土産は拒否せず素直に受け取ってるだろ?その要領だよ。それにプレゼントって言っても、高価な物じゃないから安心して。遠慮せずに受け取ってほしい」とまで言われて、断るのは罪だと思った私は、「はい」と返事をした。
確かに、大きな板チョコは、チョコにしては高価だけれど、総合的に見ると高い物じゃなかった。
でも私はとても嬉しくて、チョコを握りしめながら、思わず涙ぐんでしまった。
「ごめん!泣かすつもりはなかった。・・・やっぱり止めときゃ良かった」
「違うんです!これ・・・・・お父さんが、いつもこういう、大きなチョコをクリスマスイブの晩に、枕元に置いたクリスマスの靴下に入れておいてくれてて。お父さん、いつも仕事で忙しかったから、せめてこれくらいはしてあげたいって・・・そのこと、思い出しちゃって・・・ごめんなさい、泣いちゃったりして。如月さん、どうもありがとう、ございます。すごく、嬉し・・」
必死に泣き止もうとしている私を、如月さんがそっと抱きしめてくれた。
「・・・ずっと抑えてたんだけど・・・もう限界だ」
「え」と思う間もなく、如月さんが私の顎に指を添えて、顔を上げさせた。
そして私にキスをしてくれた。
最初は唇に。
その次も、唇に。
それから、涙で濡れた私の頬を伝うように。
「・・・かすみ・・今夜はうちに泊まれよ」
「ぇ・・ぁの・・・明日、は・・しごとが・・・」
それは・・・。
「寝坊しても俺が起こしてやるから」と如月さんが、私の頬を手のひらで挟むように、そっと触れた。
「今夜は俺と一緒に過ごそう」
今日はイブの魔法にでもかかっているのかもしれない。
私だけじゃなくて、如月さんも、きっと・・・。
だったら、あと一晩だけロマンチックな夢を見続けてもいいじゃない。
如月さんとは、あの日の夜だけ愛し合った。
如月さんの方に「愛」があったのかどうかも正直分からない。私にとっては初めての経験だったし。
でも、如月さんは優しかった。
そして情熱的だった。
つたない私の愛し方に呆れることもなく、「むしろそそられる」と言ってくれたっけ・・・。
その如月さんが結婚するという噂を私が聞いたのは、今から1ヶ月程前、1月半ばのお昼休み中のことだった。
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