番外編

おかしな王様



 真っ直ぐに立ってみた。それも道の真ん中に。


 まあ、邪魔なことこの上ない。けれども通行人たちは彼の姿を見て、どうにも不自然なほどに、すいすいと避けて通り抜ける。そうしたあとで、おかしいな、と自分で気づいて、振り返って、邪魔な小僧だな、と舌を打つ。それから荷物を持ち直して進む頃には何があったか忘れていた。なんだか邪魔なものがあったような気がする。きっとその程度の記憶しかないんだろう。



 すいすいと、彼の隣を通り抜けて、誰しもが消えていく。




「あー、ああ、なるほど」




 こうなるのねー、と一人で腕を組んでごちた。


 彼は透明な少年だった。








 この国には13人の王子がいた。




 彼はその13番目の王子で、父親からしてみれば、最初こそ男児が生まれたと喜んだものの、それが13回繰り返されると、あらそう、まあまあ、よかったね、と言ったように、少年が生まれたときにはとりあえず片手を振って喜んでくれたそうだ。こう、ぺいぺいっと。



 はいはい、おめでとう、と軽い気持ちと態度で流されたものの、一応、彼の名付けには悩んでくれたらしい。この国では、色の名前にすると縁起がいいと言われていて、歴代の王族たちは、それはもう立派でカラフルな名前だった。ちなみにレッドだとかグリーンだとか、そこら辺の名前はすでに使用済みであったし、巷でも溢れすぎていたので、サックスブルーだとかサフランイエローだとか、様々な組み合わせを父王は考えた。考えすぎた。多分めんどくさくなった。13回は多かった。



 なので少年の名前はインビジブルになった。



 なんだよそれ、と言ってはいけない。色を考えるのが面倒だからインビジブル。透明で、目に見えなくって、13番目には丁度いい名前だったのだけれど、笑えない冗談となってしまったのはその数年後のことだった。



 この国では、誰しもがギフトという力を持つ。それはあまりにも多種多様で、王族となると誰よりも強い力を持ち、だいたいその力を自覚するのは個人差もあるが、生まれてから片手の年を越えないくらいだ。空を飛ぶ力だとか、炎を出す力だとか、日常生活に便利なものだとありがたかったのに、インビジブルのギフトは、“とてつもなく存在感が薄くなる”ものだった。



 物心ついたときにはそれが当たり前だったから、少年は今更それをどうこう言うつもりもないけれど、このギフトのおかげで彼は城の誰からも忘れられてぼんやりと生きてきた。まあ、誰からもと言えば言いすぎかもしれないけれど、少なくとも王族と呼ぶには鼻で笑いたくなる程度の生き方をしてきたつもりだ。なのに、まあ、なんでまた。



 少年は、ある日王様になってしまった。







「悲劇って、こういうことを言うんだろうなあ……」


「どっちかっていうと人災ですけどね」



 聞こえたツッコミに少年は耳の穴をほじくった。彼の年は十代に差し掛かった程度ということはわかるが、どうにも顔が分かりづらい。あまりにも特徴がなさすぎる顔、というのは周囲の評価で、時間が経てばそんな評価すらも消えて、思い出すこともできない。それがインビジブルという人間だ。ちなみにインビジブル、と言う名前も呼ばれたことは数えるくらいで、呼ばれたとしても王子様、という呼び名がせいぜいで、今は王様と呼ばれている。ふかふかの椅子はどうにも性に合わなくて出てくるのはため息ばかりだ。



 彼の隣には銀髪の少年がいた。王様よりも年は1つ、2つばかり上で、ひょろりと長い背丈の少年だった。いつもどこか眠たげな目をしていて、周囲にはボー、と呼ばれている。もちろん本名ではない。姿すらも見えない王子様の付き人で、いつもぼんやりしていたから、そう呼ばれていた。彼だけは王様のことを知っていて、王様がどこぞに消える度に、必死になって探すのに、顔も名前もすぐに忘れてしまうから、いつも困って、「王子様、いいえ今は王様、どこにいるんですか!」と叫んで走ってぐるぐるしていた。



 それが、彼らの日常だったのだ。



 王様とボーは、揃ってため息をついた。

 立派な部屋の中に、立派な服を着て居座っている。王様は、あまりにも周囲から見えなくなっていたものだから、現状に気持ちが悪くてむずむずする。重たいマントを羽織って、似合いもしないその姿に、周囲の視線が痛々しく感じた。とは言っても、彼が注目を集めることなど、以前も、これからもありはしないので、多分ただの自意識過剰なのだが。




 もともと、彼は王様になんてなるわけがなかった。なんていったって、13番目の生まれだし、その上ギフトが役立たず。名で体を表しすぎたこの力を知ったとき、すでに死んでしまった父王はさすがに目を見開いて仰天したのだときく。でも結局、すぐに少年のことはどうでもよくて忘れてしまった。



 前国王である彼の父が死んだのは、一ヶ月ほど前のことだ。以前から病を患い、近々と噂されていたものだから、第一王子の戴冠は何の問題もなく行われる、と、思われていた。だというのに、戴冠式の前日、兄は階段から足を滑らせて命を落とした。それはもう蜂の巣をつついたような騒ぎになって、それじゃあ次は二番目の兄かと思ったとき、十二番目の兄が反旗を翻した。跡継ぎであるその他すべての王子に、毒を仕込んだのだ。欲が出てしまったのだろう。彼自身は毒がきかないギフトだったから、扱いはお手の物だったのだろう。



 そうして、次の王も決まったと思ったのも一瞬で、十二番目の王子は階段から滑って転んだ。これは第一王子の呪いである、とまことしやかにささやかれたが、もしかすると、間違いではないのかもしれない。なんて言ったって、第一王子のギフトは因果応報。彼に傷をつけたものが、すべて等しく怪我が伝染るというものだったから。まさか死んだあとにまで発揮するとは思わなかったし、一番上の兄の死因は間違いなく不運な事故だったので、十二番目の王子も、まさかそんなことになるとも思わなかったのだろう。国を騒がせた悪漢として王子の呪いが成就したかどうかは今となってはわかりもしない。





 ちなみにそんな中、インビジブルはただ一人、存在感が薄すぎて忘れられていた。戴冠式にさえ出席する予定もなかった。ばたばたと倒れていく兄弟の姿を目をまんまるにして見つめて、それじゃあ次は自分に違いない、と両手を合わせたものの、特に問題もなく今日まで生き延びた。



 そうして気づけば頭の上には重たい王冠が乗っていた。何がどうしてこうなった。








 王様になるなんて、興味もなければ能力もない。なんて言ったって、そんな教育すらも受けていない。誰も彼もが彼のことを忘れていたのだ。今でさえ、ボーを通してでないと、人との会話もままならない。王様の前にやって来たはいいものの、誰に何を話そうとしていたのか、みんなそろいも揃って忘れてしまうからだ。自分ほど、王に似つかわしくないものはいない、とインビジブルは思っている。



「最後まで、忘れてくれりゃよかったのにな……」



 呟いた言葉は心の底から漏れたものだ。


 跡継ぎが誰もいなくなったと、城中の人間が気が狂うように叫んでいたとき、そりゃまあ大変だと彼はぺとぺと城の中を歩いていた。これからどうなるのかな、とぼんやり考えていたら、隣に立っていたボーが、じっと自身の手を見ていた。どうしたんだと首を傾げたのもつかの間、ボーは彼にしては珍しく、ひどく素早く動きで、王様の手首を掴んだ。おいおい不敬だぞ、とつっこむ間もなく、ボーは叫んで王様の腕ごと振り上げた。つまりは挙手した。「ここに!!」 どでかい声だ。「ここに、王子がおります!!!」 嘘じゃん、と思ったのは王様だけではない。周囲の視線が一気に集まり、あっ! と叫んだ声が幾重にも重なった。そう言えば、誰かいた。目にも見えない王子が。ここに一人。



 それから先は大変だった。あれよあれよとまつりあげられ、追い立てられ、引っ張られた。王様、いかがいたしましょう。王様、これはどうしましょう。王様、王様。



「しるかっつーの!!!」



 叫んでクッキーを噛みちぎった。ぜえはあ息を繰り返して地団駄を踏む。行き交う人々は、何があったと一瞬彼に目を向けたくせに、まあいいか、とすぐさま興味を失せて消えてしまう。こうして気づけば、いつものごとく城を抜け出して、逃げ出してしまう。自身の額を押さえて、噴水の縁に座り込んだ。それから今度は青い空を見上げながら、長い溜息をついた。



 ――――王になることができるのは、王の直系の子孫のみである。



 むかし、むかしに作られた法律だ。


 ギフトとは神から彼の先祖に贈られた力だ。神様からもらったその力を、当時の王は彼の子どもたちへ、人々へと分け与えた。とは言っても、枝葉になるにつれて力は細く、薄くなり、それが現在の市民階級、貴族、そして王族となったのだ。王は強いギフトを残す義務がある。連々と、過去からそれを続けてきた。これは誰しもが知る、当たり前の法律なわけだが、それがまさかこんな、バカなことになってしまうだなんて。



「強いギフトだからって、役に立つとは限らないよな……」



 ついこの間、王様はこの道の真ん中で突っ立ってみた。透明になった気分で、それはひどく情けなかった。昔からこうだった。ボーを通して王様に意見を聞く家臣達も、しだいに彼に興味をなくした。だからこうして城を抜け出してもなんの問題もなく、一人クッキーを食べることができるというわけである。


 だいたい、わかりづらすぎるのだ。どこどこの土地の税金がとか言われても、その土地の場所もわからない。川を挟んで山の隣にある地域と説明をされても、向こうがわかっていたとしても、こっちは右から左である。わかっている前提で話されたとしても、どうしろと言うんだ。



 つまり彼は、つなぎの王様である。


 力のあるギフトは次に期待をして、お前は一人体育座りしていろというわけだ。「はっはっは」 まあいいですけど。そんなもんですので。もともとこっちだって興味はない。




 うららかな風が吹いていた。目の前では様々な人間が、自身のギフトを主張して、仕事を探している。ギフト市場だ。さあさあ、俺のギフトは手のひらからまあるい炎を生み出せるよ。持って帰って、風呂に淹れたら温かいぞ。待ちなよ待ちなよ、こっちのギフトは、ほらごらん。俺が持っているだけで、種がぐんぐん成長する。この野菜はうまいよ、甘いよ。おいしいよ。



 昔から、城の外にいる方が多かった。どうせ誰も俺を見ていないのだ。だったら少しぐらい賑やかな方がいい。街の子供達に、遊ぼうと声をかけて、いいよと言われたのに、始めたかくれんぼでは誰も探しに来てくれなくて、悔しくて、悲しくて声をあげて一人で泣いた。そうしていると、ボーが探しに来てくれた。彼の名前も、顔も覚えることができないから、王子様、と叫んで、走って、バカみたいに目の前を通り過ぎていく手を捕まえて、二人で声を上げて泣きながら城に戻った。



『なんでボー、お前しか俺のことがわからないんだよ。なんでお前も俺の名前がわからないんだよ』



 誰も自分の名を呼んでくれないから、忘れてしまいそうだった。悲しかったのだ。ボーはひどく困った顔をしていた。『すみません、王子様』 でもやっぱり、彼の名前は言えなかった。だから二人でぼろぼろ涙をこぼして歩いた。



『僕はきっと、人よりぼんやりしているから、考えることが少ないから、王子様のことを覚えているんです。王妃様も、王様も、とってもお忙しい方だから。だから仕方がないんですよ』



 そのときは、ボーの言葉に納得することもできないで、ただただこんなギフトを持つことが、悔しかった。





 ――――こうして王様業にはまったくなんの興味もない、やくたたずの男が出来上がった。



 城から消えてしまっても、探しに来るのはボーくらいで、もともと誰にも期待されず、居場所なんてどこにもない。城を抜け出して市場を回って、甘いものを食べて面白くもないのに一人で笑った。そうするしかなかった。



 そんな情けない一日を繰り返して、いつものように飴玉を口に頬張ってふらつくと、奇妙に薄汚れた子供が目に入った。路地裏から、ちょいと顔を覗かせて、王様を見ていた。でもすぐにひっこんで、それからまた顔を出した。と、思えば先程の子供ではなく、別の子供だ。ひょい、ひょい、と二人で一緒に顔を出して、小さな声で問いかける。「しごとはありますか?」 ないけど、と困って答えたあとには、二人の姿は消えていた。



 なんだったんだ、と首を傾げて相変わらず王様の顔を覚えることができないボーが、汗だくで走り抜けていく。

 毎度の光景である。




「なあ、この国じゃ子供が仕事を探しているのか?」



 もしかすると、孤児なのだろうか、と思ってボーに問いかけてみた。立派な椅子は尻に悪いので、とうとう誰からも忘れたボロボロの自室にひっこんでしまったのは最近だ。掃除をする人間もこの場所を忘れてしまうのだが、下手にぴかぴかとした目に痛い場所よりも、ずっと落ち着くから仕方がない。


 ボーはなんのことだろう、と王様の問いに首を傾げて、数秒ののち、ああ、両手をぱちりと打った。



「悪魔の子ですか?」


「悪魔の子?」



 ボーが言うには、悪魔の子とは、ギフトを持たずに生まれてきた子供なのだという。そんな子供がいるのかと驚いた。それから彼は言葉を続けた。



「王様が知らないのは無理がないかもしれません。ここ最近のことですよ。ギフトはすべての民が持っているはずのものですから城に知らせも届きません。俺だって、王様を探して街を走っていないと知りもしませんでしたから」



 僅かばかりの衝撃があった。なので、もう一度同じ場所に言ってみた。相変わらず子供達は薄汚れた顔と服でひっそりと街を覗いていて、二人いると思った子供は三人、四人と増えていく。「お仕事はありますか?」 舌っ足らずな声で、大人の言葉のマネをする。



「ギフトはありません。けれども僕たち、とっても上手に靴を磨きます」


「ギフトがなくても、お役に立ちます」


「上手にお歌をうたいますよ」




 何か、奇妙に、ぞっとした。


 悲しくなったのかもしれない。




 王様はギフトを持って生まれて、嘆いて、彼らはギフトを持たずに生まれて、親に捨てられた。恐る恐ると僅かばかりの飴玉をやって、考えた。自分は、何かできないのだろうか。彼らに、何かをすることができないのだろうか。


 持っている金銭をやっても、彼らが自由になるのはそれはほんの一瞬で、きっとなんの解決にもならない。彼らは街から見えないものとされている。それは王様と同じで、ひどく似ていた。胸が締め付けられる思いだった。持っていても、持っていなくても苦しみがある。それじゃあギフトとは、一体なんなのだろう。



(そもそも、こんな力は必要なのか?)



 そう考えたとき、ふと、踏み込んではいけない何かに踏み込んだような気がした。誰しもが疑わない、神からの力だ。ギフトとはギフトであり、それを説明する言葉などない。


 王様が、誰からも忘れられてしまうのは、それは神がそうあれと望んだからなのだ。






 何もできない、と気づけばいつも悔いていた。子どもたちのもとに通って、菓子をやって、一瞬ばかりの愉悦に浸って、しょぼくれて道を歩いて帰っていく。名前も、顔すらも覚えてもらえないくせに。気づけば涙ばかりがこぼれていた。足元にぽたぽたと丸いあとをつくって、うずくまって、しゃくりあげた。王様なのに、何もできない。ただのつなぎの王様なのだ。



 もっと役に立つギフトを持って生まれたかった。誰かに覚えてもらいたかった。名前を呼んでほしかった。そう叫んで、祈って、繰り返した。そんなときだ。



「泣き虫のお兄ちゃん、いつもありがとう」



 礼を言われた。言った子供も、自分の言葉に不思議そうに首を傾げて、両手の飴玉を見つめて慌ててそれを口の中にふくんで消えていった。(今、いつもって言ったか?) ただの偶然なのかもしれなかった。けれども、願わずにはいられなかった。誰しもが彼のことがわからなくても、飴玉を見ると誰かが自分にくれたと、思い出してくれるのではないかと。




 それから王様は変わった。わからないと逃げることをやめた。そうして、わからないことには、わからないと声を出した。つまりは法律がおかしいのだ。彼はずっと透明で、どこにでもいて、誰の言葉でもきくことができた。だから、様々な不平等をこの目で見てきた。



「この国は、ギフトに頼りすぎているんだ」



 だから力任せの法律が根深く残り続けている。それはおかしいことだ。なのに今まで、誰もそのことに目を向けることもなかった。



「そもそも、地名も分かりづらい! 家族をひとまとまりにする名前をつけろ! このままじゃ税金の管理もままならないよ!」


「ギフトありきの仕事は廃止する! もちろん、ギフトを持っているものは優遇するけど、持っていないものにも機会が必要だ」


「っていうか、悪魔の子ってなんだ! 名前も悪いし、あの子達も悪くない! 国で全面的に保護すべきだ!」



 考えることをやめなければ、言葉はどんどん溢れてくる。そうしているうちに、気づけば彼は姿を表していた。“彼のことを覚えること”ができなくても、“彼が成したこと”は人々の記憶に残った。いつしか年月が経ち、ボーという青年が王様を探して街中を走ることも減ったとき、王様は青年に、そっと自身の考えを告げた。



「なあ、ボー」


「はい、王様?」



 まあ、相変わらず彼は王様の名前を覚えることができないのだが。



「俺はいつしか、これからずっと先の長い年月が経ったとき、人々からギフトは消えてしまうと思っているんだ」



 ボーは眉をひそめた。ギフトとは、過去の王が神から享受した神秘である。それを彼が否定することは、本来ならば許されない。けれどもボーとしてみれば、それを誰に言うつもりもないし、面倒なので口にせずに、はあそうですか、と返事をする程度にとどめた。


 そんなボーの反応を見て、王様は苦笑した。



「貴族ではまだ聞かないが、市井からは本当に少しずつだけど、ギフトを持たない人間が増えてきてるだろう? 人が混じれば血が薄くなるのは当たり前だし、そもそも俺だって、つなぎの王としてこの場にいるけど、子供を残すことができるかすらも怪しい」



 なんて言ったって、彼自身のことは、誰もかれもが忘れてしまうからだ。つまり、彼がいなくなれば、血筋は途絶えてしまうわけで。王様の直系しか、王様になることができない。そんな無理な法律は、きっといつかなし崩しに消えてしまう。


 そうですね、というにもはばかられて、ボーはとりあえず頭をひっかいた。「いや、王様のことがわかるギフトを持つ人間もいるかもしれませんし」 おざなりな言葉だな、ということはボー自身も分かっていたので、それ以上は言わなかったが、王様は少しだけ笑った。



「どうだかな。万一そんな相手がいるとして、俺と結婚してくれるってんなら、婚姻届を山のような量にするかもしれない。嫌ってほど俺の名前を書いて忘れないようにしてもらわないと。あとはそうだな、不安だから離婚できない期間を作って、ついでに離婚届も分厚くしてみるってのはどうだ」



 彼自身としては失笑するしかない冗談だが、まあとりあえずだ、と王様はチョコレートを頬張って言葉を続けた。




「俺は、ギフトがなくても幸せである国になってほしい」



 つい先月のことだ。相変わらず悪魔の子という名前を払拭することができず、新しく捨てられたと噂をきいた子供の姿を見に行くと、その少年はギフトがないとは勘違いで、発明のギフトを持っていた。直接的に彼自身が何をできるわけではなかったからこその悲劇だったのだが、子供は小さなあばら家で赤い石を持っていた。王様は、彼にこれはなんだと聞いてみた。すると子供は燃える石だと答えた。それがあれば炎のギフトを持たずとも、家中を温かくできるのだと。両親にはそんなもの、ギフトを持つ人間から火を買えば、ずっと長く、安く使うことができるから意味がないと笑われたと言っていたが、王様はあんまりにも嬉しくて小躍りした。これさえあれば、誰もが平等に冬でも温かく過ごすことができる。



 発明のギフトを持つ少年は、城から援助をすることを約束し、王様に比べて彼はまだまだ小さな男児だったが、意思の強い瞳をして頷いた。彼のギフトは、今はまだ受け入れられることはないかもしれないが、きっと後世で役立つものに違いない。




「まあ、立派な夢ですねぇ」



 幸せである国、という言葉をきいて、ぱちぱち、とボーは両手を叩いた。ぼんやりしているから、と自分で言う通りにぼんやりした反応で、王様は気が抜けてしまった。とはいえ、それが彼の常だから、別にいいことなのだが。「それはともかく」 けれども一世一代の告白をさらりと流されてしまったことには、さすがに転んでしまいそうになった。



「なんだか街の人がですね、王様の像を作りたいと言っていて」


「は?」


「王様の像を」


「きいた。知った。違う、別のところをききたかった」



 言葉がうまく頭の中に入らない。どういうことだ、と眉をひそめたとき、あのですね、とボーは続ける。「王様の名前を覚えることができなくても、どうにか姿を覚えておきたいのだと。そう言う話がもう、そこいらからあがってまして」


「いやいやいや」


「あとあれだ、王様が甘いものを好きだと知って、子供の名前をお菓子の名前にする民も増えているみたいです。色の名前縛りもそろそろ厳しくなってきたんじゃないですか? あとほら、最近、貴族に……えっと、名字? でしたっけ。あれをつくったときもそうなんですけど」


「う、うん?」


「名字も似たような、菓子の名前を希望する貴族も多くて。だから例えば家名をフィナンシェにしたい貴族が3件ほど、オランジェットが5件でしたかね」


「ややこしいわ!!」



 わかりやすくするためなのに、意味ないじゃん! と地団駄を踏んだ。「禁止だ禁止! 家名に菓子の名前をつけるのは禁止! あと名前もできるだけやめとけ!?」 確かに俺は菓子が好きだけどさあ! と頭を抱えてのけぞった。そうして天井を見上げたとき、ふと視界が滲んでいることに気がついた。気づいたときにはもう遅い。



「ああ、だめだ、ほんとだめ。俺、見えないことが基本だからさ、我慢するってことがなかったんだよこういうの。ああ、だめだ。ごめん、泣く」


「鼻水出てますよ」



 うるさいな、とボーからハンカチを取り上げた。「なんだろ、像って、なんだよ。意味わかんねえよ。なんなんだよ。なんだよ許可すりゃいいの? 出来上がりを見たら爆泣きする自信があるぞ」「大丈夫です。もう許可は出しときました。ちなみに形はがっつり僕が指導します。イケメンにしときますから」「それもう他人じゃん……俺じゃないじゃん……」



 仕方ないけどさあ、とうずくまりながら鼻をすすった。ひどいな、なんだよ、ばかやろう、と言いながら、奇妙な気持ちばかりが胸の奥をしめつけた。


 忘れてしまうことは仕方のないことだった。なのに、忘れまいと声を出してくれることが嬉しかった。



「あとあれです。王様のお名前なんですが。今回こそは忘れずきちんと像に刻んでおきたいと思ってまして」


「なんだよもう、気にすんなよ。仕方ないって」


「こうしてみました」



 唐突に、ボーは腕をめくりあげた。青年にしては少しばかり細い腕だが、見ると黒のインクででかでかと王様の名前が書かれている。自分の名前を久しぶりに見た王様は閉口した。「書いてしまえば忘れないと気づいたんです!」 ちなみに、今まで紙に書いて持ち歩くだとか、そんな方法はすでに試したあとだったのだが、持っていることさえ忘れてしまっていたのだ。だからこその力業の方法で、無意味なほどに達筆に、インビジブル、と書かれたボーの腕を見て、王様は目を見開いた。そうして指をさした。「バカじゃね!?」 死ぬほど笑った。



「インクだろ! すぐに落ちるぞ! っていうか服につくぞ!?」


「…………おっしゃる通りで!」


「バカだな! バカだ! でも努力だけは認める!」



 目尻の涙を指ですくって、腹を抱えた。名前を呼んでくれない、とふくれっ面をしていた子供はもうどこにもいやしない。いつの間にか年を重ねた。ボーなりに、考え続けた結果なのだとわかったとき、ふと気づけば彼の名前を呼んでいた。「レイン、お前は面白いやつだよなあ」 そうして細い背中を引っ叩いた。そのときだ。ノックもなく部屋を開けたメイドが、王様とレイン、二人を見回して、瞬いて、アッと口元を押さえた。



「王様がいるとは知らず! 大変申し訳ありません!」



 新人なのか、ぺこぺこ頭を下げて逃げるように消えていく。いや気にするな、と言う暇もない。そもそもこんな埃だらけの部屋にいるとは誰も思いはしないだろう。相変わらず、玉座は尻がむず痒いのだ。



「……さっきの女の子、インビジブル様を見て、王様ってわかったんですか?」


「レインを見たからだろ。お前と一緒にいるのは俺くらいだ」


「ああなるほど」





 こうして時は過ぎていった。出来上がった像は、これまた立派なもので、台座には王様の名前が刻まれた。けれども奇妙なことにも、その部分はすぐに壊れて、風化した。それはまるで、何か不思議な力が働いたかのようだった。



 こうして虹の男と王様は、すぐに誰からも忘れ去られて、消えていった。彼が子供を残したのかどうかはわからない。なぜなら誰も知らないからだ。



 けれども立派な像を見る度に、忘れたあとで、人々は王様を思い出した。あんな王様がいたな、と考えたとき、誰かが祭りを開こう、と考えた。それはただ、小さなランプに明かりをともして、王様の像を見上げて、笑いながら年を越す程度のものだったのだけれど、ある年、その祭りを見ていた一人の老人が多くの石を彼らに渡した。それはほのかに温かく、まるで蛍のように、ほんのりと明るかった。これはいい、と道に石をばらまき、星空のような道の中を、人々は手のひらを握って、踊って、楽しんだ。そんな様子を見て、老人はふと一人の男を思い出した。



 今はもう、顔を思い出すことはできないけれど。けれども彼の発明を見て、心底喜んで小躍りする男がいたのだ。そう、たしかにいたのだ。そう思い出した時、老人は腹を抱えて笑った。そうして、姿を消したが、彼は終生、さまざまな発明品を生み出した。



 いつしか少しずつ、人々のギフトは薄まっていったのだが、悪魔と呼ばれる子供はどこにもいなかった。誰しもが石を家に置いて、温かく、おいしい料理を口にした。子供達は毎年、祭りのときにはどの瓶を外に置くか迷って悩んで、楽しんだ。




 それは王様が望んだ姿に近いものかはわからないが、きっとその姿を見ることがあるのならば、飴玉の一つでも与えようとするのだろう。


 彼らが幸せであることが、王様の望みだからだ。




 たくさんの彼らは、お菓子の名前を持って今日を生きている。それが元はどんな意味があったのか知るものはもういないけれど。けれどもきっと。



 どこかに何かは残っているに違いない。

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