第33話
金髪のツインテールが演習場に飛び込んだ光景は、いっそ異様だった。誰しもが呆然として、構えていた剣がすっぽ抜けそうになったとき慌てて握り直した。「お嬢ちゃん、どうかした?」 彼女のことをそう呼ぶやつは、一人暮らしに困っていない人間だ。違うんだなあ、と失笑の渦が起きたとき、彼女は鬼のような顔つきで周囲を見回し、こちらと目が合った途端、大股で近づいてくる。
「リオ様!」
「は、はい」
思わず敬語で引き気味になった。けれども息も絶え絶えなその様子に、すぐ気がついた。「シャルロッテ殿?」 視線を合わせて問いかけた。彼女はからの咳を繰り返して、勢いよく言葉を吐き出す。
「リオ様、エヴァ様が……!!!」
そこから先のことは一瞬だった。意識を失ったエヴァさんを抱きかかえて、そのあんまりにも軽い彼女の体に驚いた。息はしている。首のあざがあまりにも痛々しかった。あとから出遅れたマルロが、アイクの容態を確認している。
「こりゃ悲惨にやられたな。でもまだやられてから、そう時間は経ってない。王宮の治癒師の元に運べばなんとかなる。いや、ここに呼んだ方が早いかな」
「そうだな。アイク、意識はあるか?」
ぴくりと彼の指先が反応したのでホッとした。ふがふがと何やら言いたげに口元を動かしていたが、お人好しのこいつのことだ。言いたいことはなんとなくわかる。「お前の方が重傷なんだ。まずは怪我を治してからにしろ」 にまりと、ゆっくりと口の端が動いていた。
この場所が分かった理由は簡単だ。ソルが、彼女にこびりついた塩を追ってここまで来た。本人はと言えば、短い足では階段を上ることができず、きゃいきゃいと下で吠えている声が聞こえる。
「いやそれにしても、めちゃくちゃ来るのが速かったよね。僕が入るかどうか迷っている間に、さっさと辿り着くんだもの。そんなにエヴァ夫人のことが心配だったの?」
「当たり前だ、俺の妻だぞ!」
そうはっきりと叫ぶ自分に驚いた。それから腕の中では、すうすうと寝息をたてている彼女を見て安心した。マルロがニヤつきながらも手持ちの道具を混ぜ合わせて薬を作る。諜報員である彼は、特殊な液体を混ぜ合わせることで、いくつかの色合いの、のろしを作ることができる。アイクを運んで王宮につれて行くか、こちらが足で助けを呼びに行くよりも、ずっと早く治癒師の助けが来るだろう。演習場から飛び出した際に、空には注意をしておくようにと呼びかけておいた。落ち着いて腰を据えて作らなければ色の配合に失敗するという難点もあるため、先程は使えなかったのだろうが、便利なものだ。
部屋の端には猿ぐつわをもごつかせた男が芋虫のように飛び跳ねている。「もしかすると、これで俺の仕事も終わりかな。高い首輪を贈ってやってよかったろ?」 やっぱりある程度、金も重要だよな、としみじみと呟くマルロはさておき、ああそうだな、ととりあえず頷いた。
「……なんでお前、こんなことをしたんだ?」
問いかけたところで、濁った瞳がこちらを見上げているだけだ。「あのね、リオ。お前ほど真っ直ぐなギフトは、そうそういないもんなんだよ」 マルロの言葉の意味に首を傾げた。
「ギフトは、ギフトだ。それはただの個性だろう?」
***
奇妙な違和感があったのだ。殴られた顔に包帯を巻いてやって、被害者なはずのそいつの顔を見ていると、なぜだかひどくもやもやした。そいつの名前がリコスだと言うことをやっとの思いで聞き出したときにはただの気の所為かと思い直してたものの、けれどもやっぱり、喉の奥にひっかかった気持ちを無視することができなくて、騎士に巡回を任せることにしたのだが、まさかこんなことになるとは思わず、ひどく悔やまれる思いだった。
ソルの首輪は、マルロからの結婚祝いだ。小さな犬だから不安だろうとマルロのおせっかいからの、迷子防止のオーダーメイドの品で、ソルが“どこにいても”わかるようになっている。また馬鹿高いものをくれたものだ、とため息がでたが、せっかくの品だ。いつ使うことになるかもわからないしと若草色の首輪を白い毛の中に埋めさせて、似合う似合う、とエヴァさんと手のひらを叩いていたものの、まさかこんなに早く出番が来ることになるとは思わなかった。
リコスは騎士団に捕らえられ、今も拘束中だ。ただ様々なものの皮を剥いでみたかった、神様からもらったギフトだから、使わなければいけないと感じていた。様々な犯罪者が、いつも同じ言い訳を重ねる。これから彼には罪状が与えられ、その後適切なカウンセリングと更生のための処置が与えられるんだろう。
「……あの、リオ様」
そんな中で、ベッドで横たわるエヴァさんの手のひらを握りしめて、じっと彼女を見つめていた。
「……ん?」
「お、お仕事があるかと思うのですが」
「問題ない。今回は事情が事情だと、団長もすぐさま許可をくれた。それにやるべきことはやって来たさ」
団長はいかつい顔に反して、家庭想いの方でもある。今回巻き込まれた被害者が俺の妻であると知ると、いつの間にやら勝手に休暇の書類を代筆しているほどだった。さすがに今すぐというわけにはいかなかったが、リコスにはある程度の尋問を行い、丁度同じくエヴァさんの診察も終わる頃合いを見計らって、屋敷に戻ってきたのだ。最近は庭で飛び回っていることも多いソルも、さすがに心配しているのか、今は彼女に寄り添うように丸まってすぴすぴ寝息をたてている。
俺の手のひらが平均よりも大きなせいもあるだろうが、握りしめた彼女の手が、ひどく小さく感じた。指先一本一本が小さい。それに柔らかい。にぎにぎ、と感触を確かめていると、「ひいっ」と彼女が悲鳴を上げた。慌てて驚いて手のひらを離して、それでもやっぱり、と握りしめる。
「あ、あの、リオ様!」
「うん」
「お医者様には、いつもどおりしていいと言われましたが!」
「念には念をと言うだろう。あれだけ怖い思いをしたんだ。今日ぐらいはゆっくりしてくれ」
「そ、それなら、せめて手を離してください……!」
「そうだよな。そうなんだよな」
分かってはいる。なのにひどく耐え難かった。あのとき、血相を変えて飛び込んできたシャルロッテ殿が、エヴァさんの名前を出した瞬間、頭の中が吹っ飛ぶかと思った。何もなければいいと祈って、辿り着いた先が郊外にある、古びた屋敷であるとわかったとき、マルロの声も聞かずに飛び込んでいた。自身が剣のギフトを持っているからと、そんな自信があったわけでもなく、ただ、耐えきれなかった。
エヴァさんに、もしものことがあったらと思うと、そのもしすらも考えることが恐ろしくて、響いた彼女の悲鳴に、目の前が真っ白になった。
(……なんて、情けない)
自身はこの感情の名前を知っている。ただ、伝えることなんてできやしない。あまりにも横暴だ。彼女の幸せを、きっとぶち壊すことになる。俺は彼女には似合わない。金もなく、彼女には地位も及ばず、類まれなる賢さがあるわけでもなく、苦労ばかりをかけることになってしまう。だからぐっと飲み込んだ。本当は、手のひらではなく、彼女本人を抱きしめたいのだ。必死の自制だ。
そんなこんなとぐるぐる思考を回しているうちに、手のひらを握りしめすぎたのか、エヴァさんが真っ赤な顔でうつむいていた。
「わ、悪い!」
「いえ……」
そもそも、伝えたところで信用してくれるはずもないだろう。今でこそは彼女と顔を見合わせてまともに会話をしているものの、出会った当初はきっとひどいものだった。
(そ、そういえば浮気疑惑もかけていたな!)
いや違うんだ、と今更否定したところで仕方がない。
そっと彼女から距離を置いた。そうすると、エヴァさんがどこか名残惜しいような、残念なような瞳でこちらを見上げているのは、きっと自身がそうであってほしいと願っているからだ。彼女が身動ぎすることで、こすれるしシーツの音に心臓が飛び跳ねそうになった。
それを必死で押さえつけた。それから、重たい沈黙が流れた。エヴァさんが、何かを言い出そうとときおり息を吸い込んで、それから吐き出した。出ていってくれ、と言おうとしているのか。「違います!」 いきなりの声にびっくりして瞬いていると、「い、いえ、あの……」 彼女がひどく気まずい顔をして視線をそらす。困った。
(ああ、そう言えば)
一つ、彼女に確認をしなければいけないことがあった。ただの念の為の確認だ。
「エヴァさん、一つ尋ねたいことがあるんだが……」
「はい?」
こくん、と首を傾げた彼女もかわいいと思うのは、きっと自分でもどうにかしてしまっている。表情を変えぬようにと、ぐっと必死で唇を噛み締めた。
「事件の犯人が、供述していたことなんだが……自分の名前も住所も、捕まえた女性に全て言い当てられたと。もしよければ、そのことについて説明してもらっても構わないかな」
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