第30話
マルロとシャルロッテは犬猿の仲である。どちらかと言うと、マルロはめんどくさいやつが来たと苦い顔をしたくらいだが、シャルロッテからすれば、会いたくも見たくもないやつが、目当ての家に来てみれば鎮座していた。ああ、苦い苦い、と口元をペチペチ叩いて間違えたかしらと方向転換をしてみたあとに、そんなわけがないとため息をついた。
手の中には、本日エヴァと楽しむための材料がたんまり入っているし、逆に彼女からはリオ達騎士団特製の野菜を持ち帰る気満々だ。
それと同じく、また絡まれるんだろうな、とマルロもシャルロッテと似たような重いため息をついたが、元の発端は彼なのだ。配達屋として騎士団と専属の契約を行っているシャルロッテの噂を聞き、食に興味はないものの、見かけと年齢が一致しない料理人という噂をきいた。ならば一度くらいと面白半分で頼んでみたところ、うまいはうまいに違いないが、やはり想像通りの結果だった。
「これなら僕でも作ることができそうだな」
めんどくさいからしないけど、なんて思わず呟いた声がしっかりとシャルロッテの耳に入っていたというわけである。振り返った先に、鬼のような彼女の顔があったときには、さすがに少し反省した。それから紆余曲折があり、なんだかんだと顔を合わせるうちに――――さらに仲が悪くなっていったという救いようのない話である。
「なんであなたがこんなところにいらっしゃいますの? 確かにリオ様のご友人とは伺ってはおりましたが……今はまだ勤務中の時間でしょう。さてはサボりですわね!?」
「いや違うって……」
まあそうなんだけど。なんて肯定してしまえば、面倒になることは目に見えているので口をつぐんだ。
「エヴァ夫人の忘れ物を届けに来たんだ。ただの親切心なんだから勘弁してくれ」
「エヴァ様の? 屋敷にいらっしゃらないのですか?」
それはおかしい、とシャルロッテは首を傾げた。
なんて言ったって、彼女とエヴァは一緒に料理を作る約束をしていたのだから。初めはおずおずとしていたものの、だんだんエヴァも楽しげにシャルロッテを待つようになった。つい先日、今日の日付と時間を合わせて訪ねる旨を伝えておいたのに。
「いつから待っていらっしゃいますの?」
少しばかり外出しているのだろうか、と思いつつも、先程マルロはエヴァの忘れ物を届けに来た、と言っていた。つまりはその帰りが遅いのか。「……かれこれ、30分と少しくらいは。真っ直ぐ帰るって言ってたんだけどな?」 マルロがぷらぷらと忘れ物の可愛らしいカゴを揺らしている。
「しないとは言っていたけど、途中で買い物でもしてるのかな」
「……商店街ならここから10分とかかりませんわ。それにわたくしと約束をしておりましたのよ?」
「だから忘れてるんだろ?」
「そんな方では……」
どうだろうか、とシャルロッテは口元に手を寄せた。確かに、彼女はシャルロッテと出会って間もない。まだまだ数ヶ月かばかりの友人だ。けれどもどうだろう。彼女より、随分と年の離れた少女で、ときおり不思議にびくびくしたり、固まっていたりと変わった少女ではあるけれど、シャルロッテを出迎える笑顔に嘘はない。それどころか、最近は時間になると扉の前で待っているほどだ。それからとっても嬉しげに笑う。
「やっぱり何か事情があるに違いありませんわ」
そうだよな、と頷くマルロも、シャルロッテと同じ考えのようだ。リオのことをまるで犬のような人だとシャルロッテは考えていたけれど、エヴァだって負けず劣らずで、似たもの夫婦のようにも見えた。そんなエヴァが約束を反故にするのは考えにくいし、もしそうではなく、ただの自分たちの勘違いなら何もなくてよかったと笑えばいい話だ。
「マルロ様! あなた、先程までエヴァ様と一緒にいらっしゃったのでしょう? なぜ屋敷まで送らなかったんですか!」
「それは僕も後悔してるところなんだよ。耳が痛いところをつかないでくれ」
「……いったいどこで会ったんですか?」
「どこでって、マーチで集まる王様の広場さ。それから夫人は犬と一緒に散歩をしていて」
「犬?」
「そう犬、真っ白くて、小さくて……ほら、あそこに丁度いるような」
つい、と指をさしてみる。小さな綿毛が、くるくると転がるように大きくなって、気づけばマルロに飛びついた。プレゼントした若草色の首輪がよく似合っている。「……こいつだ!」「確かに、見覚えがあります!」 同時に叫んだ。
なぜ犬だけ帰ってきたのか。確かこいつはソルと言う名前だった。首輪からは紐がたれて、地面にこすれたのかすっかり土だらけだ。なのにどこを見てもその飼主はいない。ひどく嫌な予感がした。なぜ、犬だけ戻ってきたのか。マルロとシャルロッテはぞっと二人で視線を合わせた。それからマルロは、ふわふわなソルのほっぺを両手で掴んで、顔を寄せた。確かリオからきいていたことだ。
「お前、鼻がいいんだってな。どうだ、ご主人さまの場所がわかるか?」
マルロの言葉に、まさか、そんなとシャルロッテは首を振る。「無理ですわ。そんなのわかりっこありませんもの」 その通りだと思う。けれどもリオはこうも言っていた。犬を飼うことにしたが、それがひどく頭がいい犬なのだと。それから、まるでギフトを持っているような鼻のよさだと。無茶苦茶だとは分かってはいたが、とにかく早く彼女のもとにたどり着かねばと、胸の底がぞわぞわした。当たって欲しくもない予感だが、時折マルロはとにかく勘が冴えるときがある。父親が彼のギフトを暴こうと鑑定人を雇おうとしていたときも、同じようなざわつきが止まらなかった。
そんなマルロの不安をよそに、ソルはふんすと小さな鼻から大きく息を吐き出した。まかせろ、と言っているような仕草だ。こっちだ、とソルはぷりっとお尻をむけてふりふりする。マルロとシャルロッテはそれに続いた。ソルはくるりと反転した。それから自分の尻尾に気づいてくるくると回り続けた。いつまで経っても進まない。
「ほら無理でしたわ!」
「正直僕も無理だと思ってた!」
愕然と崩れ落ちた。さてどうしたものかと苛立たしく顎をひっかいていたとき、ふと、暴れるソルの体にきらきらと光るものがくっついていることに気づいたのだ。見覚えがある、けれどももしかすると違うかも。確認すればいい、ということは分かっている。ただ、こういったことに使ったことはないので、不安だった。それと、人前で見せるには抵抗があった。背後にはシャルロッテがいる。妙なギフトだと思われないわけではない。それでも。
――――あなたのギフトは、素敵ですよ
ふと、エヴァの声が聞こえた気がした。
「シャルロッテ、ただの確認のためだから。ひかないでくれよ?」
「はい?」
何をおっしゃっていますの? と金髪のツインテールを彼女が揺らしたときに、マルロがソルの体にくっついているそれを、ちょいと人差し指で掴む。それから、ぽいと口に入れた。「何を食べますの!?」 多分ばっちいですわ! とずざっと距離を置く彼女に、「だからひかないでくれって言ったろ」 もごもごとマルロは口を動かす。ちなみにばっちいと言われたからか、ソルはしょぼりと頭を下げた。彼の毛についていたものである。
「うん、うん……間違いない。これは僕が彼女にあげた塩だ」
「塩ですか? そりゃなめればわかるものですけど……けれども、ご自身があげたものとの断言は」
「できるよ。買って送ったものだもの。原産地くらい把握しているし、ついでにこれは花の味もする」
彼女は塩の中に花を漬け込んでいたと言っていたから。と言葉を続けた。訝しげな顔をするシャルロッテに、「僕のギフトだ」と端的に答えた。人に自身のギフトをまともに伝えることは、もしかすると初めてかもしれない。誰にも知られなくはなかった。恥ずかしいという気持ちもあったのかもしれない。マルロは楽しんで食べるという誰しもがしている当たり前のことさえもできやしないから。
けれどもそのとき、不思議と自虐的な思考もなく、もしこれが何かに役立つことができるのなら、と前向きな気持ちになった。彼女は知りもしないで『素敵なギフト』だと言っていたが、本当にそうなったのなら、まるで夢のような気持ちだ。
「マルロ様のギフトでしたら疑いようもありませんけれど……だとして、それがどうなるのです?」
シャルロッテの言葉に、慌てて首を振った。そんなことを考えている場合ではない。「彼女は花の塩漬けを作っていたから、匂い袋として持ち歩いていたんじゃないかな。それがどうにか破れて、この子の上に降り掛かった」 ひょいとソルを持ち上げると、ぱらぱらと砂のように塩がこぼれていく。「それから思い出したぞ。ソル、君はただ鼻がいいわけじゃないよな」
リオからの言葉を、丁寧に思い出していく。これでも騎士団の中でも諜報役だ。ただの世間話も、なるべく忘れないようにと心がけている。
「ご主人のもとに行けと言うからだめなんだな。ソル、きみはこの塩を道中に落としながらきたんだろう。塩をたどっていくことはできるか?」
言葉の意味が通じたかどうかはわからないが、落ちた塩の粒を拾って鼻先でくすぐらせると、わふっとソルは飛び上がった。短い手足をばたばたさせて真っ直ぐに目的地に向かっていく。「ど、どどど、どうしましょう!?」「僕はこの子を追いかけるよ! きみは騎士団に向かってくれ! リオのとこだよ!」 マルロは長い足でひょいっと地面を蹴り飛ばす。
「で、でも! リオ様のところに行ったところで、あなた方がどこにいるかわかりませんわ!」
シャルロッテは小さな拳を握って叫んだ。当たり前だ。そんな彼女に、大丈夫、と振り返った。「ソルのところにいる! そうリオに言えばいいから。あの子にはちゃんと、首輪がついてるよ!」
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