ギフトのちから

第25話

 酒に酔っていた。



 俺は自身の行いを思い出して、一人頭を抱えて壁に額を打ち付けた。「アアアア」「リオ」 クッソが、と自分では珍しく言葉が荒れつつ、修練場にて額をえぐる。ボロボロとレンガの粉が崩れ落ちて、頭の上に降り注ぐ。「アアアアア」「おいリオ」



 あのとき、ヴァシュランマーチがあったとき、はっと酔いが覚めてみると、なぜだか自分のマントの中にエヴァさんがいて、こちらを見上げてくっついていた。手のひらがほかほかしていて、エヴァさんの手まで握りしめている。一体何があったんだ、と流れる冷や汗が止まらない。



 そのちょっと前までは、ああ今日は空が綺麗だ、星がよく見えてこりゃいい日だな、なんて思っていたはずなのに、それどころじゃない。どれだけ自分は、いやフェナンシェット家は酒に弱いのか。酔っているのなら、呂律が回らないだとか、ふらつくだとか、そんな仕草があればいいのに、まったくないところがまた、たちが悪い。



 明らかに酔っているとわかれば、それなりの対応をしてもらえると言うのに、素面な顔で頭がおかしくなるから、純粋に馬鹿になったと思われる。この悪行には父上も兄上も多大な苦労をされてきた。なので俺こそは。俺こそはそんなことがないようにと自制に自制を重ねて、弟や甥っ子達にいい聞かせてきたというのに。



 困惑気にこちらを見上げていたエヴァさんを思い出した。


 いや夜だったし、仮面をつけていたから、俺の思い込みかもしれないが。そうだったらどんなにいいか。彼女の柔らかい、小さな手を思い出した。もう一回握りたい、と自分のごつごつした拳を見つめた。あのとき、エヴァさんから離れた後も、エヴァさんの残り香がマントの中に漂っていて、ふわりとして幸せになって、彼女が俺の妻なんだ、と思い出して嬉しくなって、違うだろ、と。



(俺は! エヴァさんに! ふさわしくない!)



 金がない。圧倒的に足りない。彼女を幸せにする甲斐性がない。

 苦しくて唸った。「ウウウウウ!」「おいリオ、おい!」 そして思いっきり肩を揺さぶられた。




「お、わ、なんだいきなり。びっくりした」


「それはこっちのセリフだ。さっきから何度も呼んでいたのに。腹でも痛いのか?」



 団長が呼んでいるぞ、という言葉にハッとして、悪かったと頭を下げた。それからそうだと思い出した。「マーチのときはわざわざ伝言をありがとう。家族もいるのに、悪かったな」「ああ、気にするなよ。帰りの方向も同じだったし」 この気がいい男はあくせくしていた自身を気にかけ、エヴァさんへの伝言を買って出てくれたのだ。結局、待ちきれなかったエヴァさんは屋敷から飛び出していたけれど、もとは約束を守れなかった俺が悪い。



 俺という酔っぱらいも大概だが、あのときの男も面倒だった。乱闘騒ぎが起きたときいて駆けつけたが、見ればそいつは相手の男を一方的に叩きつけていた。知り合い同士で、もともと気に食わない相手だったらしく、薄暗くて気持ちが悪いやつだと暴言を吐いて、俺のギフトは『短気』だから、仕方がないんだと豪語していた。そんなギフトがあってたまるか。



 犯罪者の大半が、自身のギフトを言い訳にする。神からの思し召しだから仕方のないことだと叫び、開き直るのだ。バカバカしいと言うことは簡単だが、彼らは本当にそう思い込んでいる。今回の殴られた方も相手のあまりの勢いに萎縮して、互いに名すらも口にしないものだから苦労した。そこはなんとか気合と体の大きさでねじ伏せ、今後このようなことを行わないようにと書面を交わさせたものの、どうも気になる。



 不安であるだろうと、被害者側にはしばらくの間、定期的に周囲に騎士を巡回させることを告げたが、暗い顔は晴れなかった。殴られすぎたのか、鼻まで曲がっている様は悲惨だった。



「……おい、リオ、きいてたか? 団長が呼んでるんだってば」


「あ、ああ、悪い、そうだった」



 思考が行き来するのは、俺の悪いくせだ。この間、団長にはお前くらいの気がそぞろな小心者も必要だと言われたが、あれは本当に褒められたんだろうか。


 そうしてため息をつきながら、団長の元に向かった。内容としてみれば、本日はさっさと家に帰ること、という休暇のお達しだった。





 ***





 リオ様のことが好き。


 そう気づくと幸せなような、楽しいみたいな、でも残念な気持ちが一緒に来て、自分でもわけがわからなくなってくる。リオ様は、私のことはどう思っているんだろう。とかなんとか考えてみたところで、本当は知っている。よく、思ってくれている。可愛らしいと、好意を持ってくれているけど、それだけだ。



(俺は、エヴァさんにふさわしくない)



 彼はいつもそこで止まって、考えることをやめてしまう。





「ふさわしい、とか、ふさわしくない、とか。そんなの、どうだって……」



 お金がないことを彼はよく考えている。リオ様の稼ぎが悪いわけでは決して無く、持参金を使い込んでしまったことへの後悔だ。たとえご実家の問題だろうと、責任感の強いリオ様としてはあまりにも強烈な心配事らしい。



 えっちらおっちら、お買い物で必要なカゴを作った。おネギを抱えて奇異な目で見られることはもうたくさんだ。外に出るとやっぱりまだどもってしまって、心臓が飛び跳ねるけど、それでも最近は勇気を振り絞って、お買い物に行く。彼が、変えてくれた。リオ様からすれば、いつの間にか、知らない間のことだろうけど、それでも、リオ様がいなければ、ずっと私は家の中にすっこんで生きていた。



 だからふさわしいとか、ふさわしくないとか、本当に、そんなこと些細なことだ。確かに持参金がなければ結婚式も何もできないけど、私は今でも十分幸せで、このままおいていただけるなら、それに越したことは――――と、考えたところで、今朝方、父から届いたばかりの手紙にそっと目を向けた。封はすでに開けられて、テーブルの端にひっそり置かれている。



 後回しにした結婚式をそろそろ



 と言ったような文章から始まるそれから、視線をそらした。どうするべきか。あみあみとカゴを編んで、現実から逃げた。リオ様に見せるべきだろうか。いや、そうすることによって、彼の罪悪感がさらに膨れ上がってしまう可能性もあり、それは私の望むところではないわけで。



(どうしよう、かな……)



 手紙にゆっくりと手を伸ばして持ち上げた。そうしたとき、玄関の扉が開く音がした。最近、リオ様は溜まった休暇をこまめに取るようにと上司の方から指示されているらしく、いつ彼が帰ってきてもいいように、一番近い部屋で作業するようにしているのだ。立ち上がりながら、勢いよく、手紙をくしゃりと握りつぶした。これは文字通り私の中で握りつぶして、お父様には適当に返事をしておこう。



「リオ様、おかえりなさい――――」



 るんた、るんたと飛び出した。そうして玄関で彼と見つめ合ったとき、その腕の中にいる、真っ白なもふもふに瞬いた。リオ様は少しだけ気まずいように目をそらした。説明を求めようとして、彼、もしくは彼女と見つめ合うと、「わふっ」 とってもお行儀よく、返事をした。

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