第24話

「――――俺、酒が飲めないって、エヴァさんに言ったっけ?」



 どうしよう。


 ホッとして、気が抜けていたとしか言いようがない。持ち上げていたカボチャを慌ててかぶった。せめてもの表情を隠して、ビクビクして、何も言えずに震えた。そうしている間に、(なるほど)とリオ様は納得した声を出した。どうしよう、どうしよう。(マルロか) えっと瞬いた。



「ああ、マルロのやつが言ったんだな。あのおしゃべりめ」



 それだけ言ってため息をついて、リオ様はすぽりと私の頭からかぼちゃを引き抜いた。まさかの彼の行動にびっくりしたけれど、そう言えばお酒を飲むと気が大きくなる、とさっき言っていたばかりだ。すっかり彼の目がすわっている。



「俺は、君に待っていてくれと伝言をお願いしただろ。どうしてこんなところにいるんだ」



 そりゃあ、早く帰ると言っていた約束を破ったのは俺だけど、家に帰って、明かりのない玄関を見て、肝が冷えた、とため息をつくリオ様の心を覗いてみると、彼は私との約束のため、必死に帰宅した。とにかくもう、ありとあらゆる手を使って、苦手なはずの脅しやすかしもそりゃもう、色々と頑張った。そうしてやっとの思いで帰ったら、屋敷には誰もいなかった。カボチャがなくなっていることに気づいたから、まさかと思って目立つ頭を捜した。人に聞いて歩いて、寒い中のはずが汗だくになりながら、私を捜した。



 ――――なんてことは、口にも出さない。怒っているわけでもない。ただ、心配して、ホッとしている。



「どうしてって……」



 だって、リオ様が帰ってこられないと言っていたから。


 そう考えたあとで、違う、と気づいた。誰もそんなことは言っていない。ただリオ様の同僚の方が、そう“思い込んでいた”だけだ。なのに私はそう言われた気になって、一人で勝手に泣いて、悲しんで、それから街に繰り出した。その事実に気づいたら恥ずかしくて、カッと顔が熱くなった。



 仕方のないことだったのかもしれない。だって、心の声は誰も嘘をつかない。だから、こんなことは絶対にあるわけがないと思っていた。声に振り回されていたのは私だ。きっと知らなければ、家で待って、約束通り帰ってきてくれたリオ様を見て喜んだはずだ。それなのに。



 恥ずかしくてたまらなくって、どんどん気持ちがしぼんでいく。「ごめん、なさい……」 呟いた声はかすれていた。リオ様は軽く鼻から息を吐いた。「いいよ。見つかったんだから」 そう言って、ぽんと私の頭を撫でた。体に触れると、より細やかに気持ちが流れ込んでいくる。リオ様は、本当にそう思っていらっしゃった。唇を噛んだ。でもそんな私の頭を、リオ様は何度も撫でた。



「君が見つかったんだ。全部どうだっていい」



 彼はそう言って、マーチに行こう、と私を誘った。カボチャの頭は大きくて邪魔だと笑って、彼がかぶった。私はもともと準備していたお面があったから、それをつけて、街を歩く。ぽとり、ぽとりと蛍が可愛らしくお尻を振っていた。



 ――――いいや、違う。あれはただの炎色石だ。



 ぽう、ぽう、ぽう。


 ほんのりと、消えかけの石たちが淡く、柔らかに瓶の中に転がっていて、道を照らしていく。その中を、顔を隠した住民たちが楽しげに歩いてどこからか歌まで聞こえてくる。屋台からは活気が溢れ、夜なのに明るくて昼間の中みたいだ。



 不思議に思って見上げた空は満天の星空だった。寒くて口元からふわりと飛び出る息でさえ、街を彩る一つに見える。



(でも、暖かい)



 リオ様が、私の手を握った。「離れられちゃたまらないから」とそれはただ言葉の通りの意味で、周囲ではみんな誰かと手をつないでいる。それなのに、ひどく心臓がざわついた。なんでだろう。今まで、同じ景色の中にいたはずなのに、もっと寒くて寂しかった。それなのにリオ様がいるだけで、こんなにも周囲が鮮やかでひどく心が躍っている。



 ゆっくりと足を動かしているうちに、とうとう目的地にたどり着いたらしい。



「あの、ここは?」


「おせっかいで、おかしな王様の石像だ」


「ええっと」



 小高い丘の上に、昔の王様の石像を囲んで街中の人が集まっているものだから、まったく近くに近づけない。それでもぼんやり見える石像はどこか遠くを指差していて、精悍な顔つきだ。どこからか、鐘の音が響いた。「年が明ける前に、城から鐘を鳴らすんだ。10を数えたらいい」と、リオ様が教えてくれた。



 ひとつ、ふたつ、と鐘の音を数えて、やっと鳴り終えたとき、驚くほどにわっと周囲が沸き立った。色んな“声”にびっくりして、思わずリオ様の服を掴んだら、リオ様はそっと彼のマントをかぶせてくれた。あんまりにも距離が近くて、柔らかい彼の匂いまで漂ってきて、目の前がちかちかする。周囲の熱気に当てられたのか、頬まで赤くなってきた。



(――――私)



 リオ様は、空が綺麗だなあ、とぼんやり考えているだけで、酔うと気持ちが大きくなる、と言っていたから、多分お酒に酔ってしまって、彼にとっては特に意味のない行為だったのかもしれない。



(私、リオ様が好き)



 知っていた。でも、そんなこと、言ったらいけないことだと分かっている。だって私達はすぐに別れるはずなんだ。リオ様がマーチに来ることができないと勘違いしたとき、私の気持ちがリオ様に伝わればいいのにと思ったけど、本当はそんなの困ってしまう。でも伝えたくもあった。そうだ、伝えたい。私が彼のことを好きなことを、知ってほしい。



 彼の暖かいマントの中に潜り込んで、手のひらは握りしめたままだ。大きくて、ごつごつしていて、それでもどこかほっとする彼の手のひら。




 ぎゅうっと握りしめた。



(伝われ)



 祈った。私が、彼のことを好きなことが伝わりますように。





 そう願ったとき、ほかりと彼の体が温かくなったような気がした。リオ様がかぶったカボチャの頭を不思議に見上げると、彼の真っ赤な首元だけが、よく見えた。


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