第22話

「こんな、ぐずぐず泣いていたって仕方ないよね」



 もう少しうまく泣けばよかったのに、後のことは何も気にせずに、ただ嗚咽を漏らした。鏡を見るのが怖いし、見なくてもわかるくらいに、手のひらでこすりすぎた瞼と頬がかさかさしている。


 年が変わるまで、あとたったの数時間。別に、離れの屋敷で昔みたいに一人でぼんやりしているのも、それはそれでいいかもしれない。なのにあれだけ悲しくて泣いたはずが、時間が経つと無性に腹が立って、それすらも一人でいると、どうでもよくなってくる。



 もったいないな、と思ったのだ。


 きっと私は来年のこのお祭りには参加できない。カルトロールの屋敷に戻って、ヴァシュランマーチって、一体どんなものなんだろう、と想像して、行けたらよかったのにな、と遠い場所から考えるのだ。そんなのってどうだろう。


(よくないな)



 きっと後悔する。思い出す度に悲しくなってしまうかもしれない。でも私はまだこの街にいる。あとは決意するだけで、まだなんの手遅れもない。



 ――――ヴァシュランマーチに行こう



 もちろん、リオ様と一緒じゃなくって、一人きりで。少し前の自分なら、狂気の沙汰だと呆れてしまっていたかもしれないけど、今は違う。買い物だってできたし、友達、と言っていいのかわからないけど、一緒にお茶をする人たちまでできた。今まで、何をあんなに怖いと震えていたんだろう。みんな一人ひとり、考えを持っていることは当たり前だ。私だってそうなんだから、怖がる必要なんて、どこにもない。


 と、言い切るほどには強くなかったけれど、それでも決意は固まってきた。伝言してくれた方の考えを見たところ、リオ様はマーチが終わるまでには帰れそうにない。それなら私がこそっと屋敷を抜け出して、ひっそり戻ってきたところでなんの問題もないはず。



 よしよし、と早速準備していたお面をかぶった。でもどうにも心もとないし、目の部分を大きくくり抜いていたから、赤く腫れ上がった瞼が恥ずかしい。どうしようかな、としばらく家の中をくるくるしていると、はっと“それ”と目があった。まさかそんな。



「いやいや、そんな……」



 さすがにこれはない、と自分でもわかる。かぽりと頭にはめてみた。ぞっとするほどにしっくりきて、安心感に包まれる。目元の辺りも暗くて、きっと周りには見えない。ただのお試しのつもりが、想像よりもフィットしている。「まさか……そんな……」 呟いた。くるくる回った。意見を聞こうにも誰もいない。なので勢いよく扉を開けて出陣した。カボチャのお面で。





 お面というよりは、カボチャの頭と言った方がいいかもしれない。いつぞやのこと、リオ様が持って帰って来てくださったおばけカボチャがあまりにも見事だったものだから、中身はしっかりおいしくいただいて、外見はカリカリとノミで削って立派な被り物に変えてしまった。口元はギザギザしていて呼吸もしやすく、難点と言えば少しばかり重たいので翌日、首が凝りそうなことぐらいだ。これならヴァシュランマーチにも参加できる、とマルロ様は腹を抱えて笑っていた。それがまさかの文字通りになるとは。


 視線を独り占めできる、と言われた通りに、時折すれ違う人が、(カボチャ!?)とぎょっとしてこちらを二度、三度見するけれど、まあそういう日なわけだし、と自身の中で納得して、胸をさすって消えていく。(カボチャじゃん!)(カボチャだわ!)(まさかのカボチャ!) さすがにちょっと目立ちすぎたか。




 とは言っても、夜だと言うのに本当に人通りが多くて、人混みという言葉を私は初めて理解した。彼らはみんな一様に顔を隠して、友人だか恋人だか、家族だかと手をつないで離れないようにとどこかへ練り歩いていく。私はカボチャの頭を持って、流れに任せながらも足をふらつかせた。ざわざわとする音達は、本当の声と心の声が混ざり合ってわけがわからなくなってくる。ただカボチャの頭がガードしていると思えば想像よりも楽で、誰しもがカボチャを見ていても、私のことは見ていない。そう気づくと足取りも軽くなった。



 寒いだろう、と考えていた通りに外はとても冷え込んだ。頭の隙間から、ひゅうひゅうと風が入り込んでぶるりと身震いする。そして目的地もわからず、一体私は何をしているんだろう、と流れに流れてくるくるした。ちょっと出て、すぐに帰ればいいや、と思っていたのに、みんな一様に同じ場所を目指しているから反転するにも難しい。



 楽しげな“声”が聞こえれば、不満げな“声”も聞こえる。顔も知らない、見えない人たちのぐちゃぐちゃした叫びだか悲鳴だか、歓声だとか、わけがわからないものが混ざり合っていく。カボチャがあるから、大丈夫、と思っていたはずなのに、積もり積もったなにかに押しつぶされそうで知らずに鼻をすすっていた。あんなに楽しみだったはずなのに、今は帰りたくて仕方がない。



(やっぱり、帰ろう)



 もしかしたらリオ様が帰ってくるかもしれない。そうだったらいいのに、という期待はとっくに消えているのに、言葉だけでもそう思った。



「いってえ!」


「ひゃっ、ご、ごめんなさい」


「前見ろよ、どこに行こうってんだよこのウスラ馬鹿!」



 ウスラ馬鹿。初めて罵られる単語に驚いて、ずれたカボチャの頭を被り直した。人がいない方にと逃げているうちに、道の端にある露天近くまで来ていたらしい。目の穴の向こうから覗いてみると、こちらは目元だけ隠した男性が、頬を真っ赤にしていた。そしてこぼしたお酒を見て、「あーあ」とため息をついている。



 酔っ払いだ、とすぐにわかった。それでもぶつかってしまった私が悪い。



「すみません、弁償します。新しいお酒を注文させてください」


「そういう問題じゃねえだろう。こっちは気分よく飲んでたっていうのに」



 それじゃあどうすればいいんだろう。とびくついて、もう一度謝ると、大声で怒鳴られた。少しずつ周囲の視線が集まってくる。彼が求めるものがわかればいいのに、お酒で彼の思考はぐちゃぐちゃしていて、きちんとした言葉をなしていない。逃げた方がいいのかもしれない。なのに視線と思考が集まる度に足がすくんだ。糸のように体が巻き取られて、何もできなくなっていく。



 ぺちぺち、とカボチャの頭を叩かれた。やめてください、と声を上げると、どんどん面白がって、「こりゃどうなってんだ? 水をかけたらでかくなるか?」 野菜だもんな。野菜女か。ケラケラ笑っていた。そりゃ芋令嬢と呼ばれていたけれど。とうとうカボチャの頭を両手で掴まれた。やめて、と引っ張り返しても力じゃ負けてしまう。


 見られることが怖かった。視線が怖い。カボチャの頭を外されて、周りの人たちが私を見てどう思うのかが怖かった。嫌ですと叫んでも、なんにも届かない。ぞっとした。せめて体を縮こませて小さくなって、誰からも見えないようにしたかった。揶揄する声や、笑い声が聞こえる。いいぞ、顔を見せろ。お願いやめて。







 声が聞こえた。


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