第21話

(そうだ、俺は言うぞ! ヴァシュランマーチに彼女を誘う! 絶対に、誘ってみせる!)



 一体その決意はどこから持って帰って来たんですか!?




 なんてツッコミを入れるわけにもいかず、勢いづいて伝えるつもりだった微々たる勇気が、はらはらこぼれて消えていく。びっくりしすぎて、思いっきり反応してしまった。リオ様が不思議気に首を傾げている。そりゃそうだ。けふけふと誤魔化しでからの咳をしていると、不審がられると思えば、心配した気持ちが流れてくる。もう私はどうすれば。



 互いにタイミングを測りかねて、すっかり言うべきときを逃してしまった。これはもう仕方ない。仕方ないよね。うん仕方ない。



「あ、晩ごはんの準備は、できてますので」



 なのでご飯にしよう。仕切り直しだ。食べて英気を養おうとリオ様に背中を向けたとき、(そうだな、まずは晩飯を食べてから) そうそう、と彼の声に頷く。(なんて言っていたら俺はいつまで経っても言えないに決まってる!) なんと。(言うぞ、今すぐ!) なんだと。



「エヴァさん、私と」


「うわーーー!!!」



 力技で誤魔化した。すっぺんっ、と滑って転んだ。うまい具合に回ったから痛みはない。慌てたリオ様がこちらに手を出す前に勢いよく立ち上がった。声を掛けられる前に、「大丈夫です、大丈夫ですから、まずはご飯を!」 食べましょう! と力を込めて叫ぶと、「あ、ああ」と彼も若干引き気味になっている。それでいい。



 今はまだ勇気が出ない。でも必ず、私からお誘いする。いや、彼の返答がすでに予想できている時点で、まったくもってフェアではないけど、それでもリオ様に甘えきっていた分、せめてものケジメというものである。ですのでリオ様、今しばらくお待ち下さい。せめてご飯を食べてから。



「エヴァさん」


「ああっ! 火をかけたままでした!」


「年越しなんだが」


「ンンッ! 早く食べないと、美味しさが減りますね!」


「もしよければ」


「ひゃーーー! さすがさすがシャルロッテさんのレシピです、お肉がとろけてます!」


「…………」


「…………」



 頭がおかしいと思われたらどうしよう。

 というかもうリオ様、大半言っているようなものだし。



 明らかに私の様子はおかしいのに、リオ様はリオ様で必死で勢いも衰えない。言うぞ! と決意している。次こそはと。攻防を繰り広げるうちにお皿の上もすっかり綺麗になっていて、彼はゆっくりと水を飲んだ。そして叫んだ。




「エヴァさん、私とヴァシュランマーチに」


「行きましょう! リオ様、一緒にヴァシュランマーチに行きましょう!」



 彼を止めることなど不可能だった。だから思いっきり言葉をかぶせた。気合を詰め込んで声を震わせたものだから、口と肩がはあはあと揺れている。恥ずかしい。リオ様はかぶせられた言葉にぽかんと口をあけて、それからじわじわと言葉の意味を飲み込んだ。えっ、と驚いたような気持ちの後に、遅れてぱあっと明るくなる。顔の仏頂面も忘れて、リオ様は内面も、外側も喜んでいた。



 なんでエヴァさんが、俺を誘うんだ? と不思議に思う気持ちもあるようだけれど、それでも嬉しさの方が勝っていて、ごそごそと口元を手のひらでこすっていた。それから自分が返事をしていないことに気づいたらしく、慌てて顔を上げて、「行こう!!」 さっきの私の声よりも大きくて、びっくりして椅子から落っこちるかと思った。


「は、はい……」




 互いにやりすぎた、と反省して、いそいそと食事の片付けをした。それからいつも通りにおやすみなさいと頭を下げて、ベッドに入った。すっかり寒くなったから、増やした毛布の中にくるまった。そして(ヒィアアアアーア!!!) 声にならない声を叫んだ。



 万一、リオ様に聞かれでもしたらたまらない。私の部屋の隣の隣がリオ様の部屋だ。(一緒に! お出かけ!!!) 小声で叫んだ。はたから見れば、毛布がふがふがと暴れているように見えるかもしれない。



 結論から言えば、私から誘ってしまった。リオ様は、何だこいつと思わなかっただろうか。いや、そんなの思っていなかったって知ってるけど。そんなことなかったけど! でも明日になれば、また考えは変わってしまうかもしれない。人の気持ちは変わるものだ。そんなのよくよく知っていることで、理解していた。でも、それでも、と体を丸まらせた。



 嬉しい。

 楽しみ、と言えばいいのかもしれない。



 不安な気持ちはあるけれど、それ以上にわくわくして、嬉しくって、じたばたと暴れたくなる。だってこんなの初めてだ。お祭りも、誰かと出かけるのも全部が初めてで、あと何日なんだろう、と数えて、片手の指で足りることに気づいて、わあ、とベッドから飛び上がった。




 次の日起きても、リオ様の気持ちは変わることがなくてホッとした。でもいつも以上の仏頂面を作っていて、私も負けじと面の皮を厚くして、お祭りなんて、なんてこともありませんよという顔をしながら、パンをちぎった。我ながら、素知らぬ顔がうまいものだと感動したけど、リオ様がいなくなれば、瓶にぴったりのサイズの、使いかけの炎色石を捜して、ああでもない、こうでもない、と家の中を散らかした。



 きっと外は寒いから、暖かい格好をしなくちゃ、とクローゼットの中を捜して、夜通し歩くのだから、もしかしたらお腹がすくかもしれない、と腹持ちのするクッキーの作り方をシャルロッテさんに教えてもらった。あとは体力。カルトロールの家では、柵の中ならよく動いたし、大丈夫だと思うけどそれでも不安はつきものだ。よいしょ、よいしょと足を動かして、ぴょこぴょこ兎みたいに跳ねて、いやここまでしなくてもいいか、と気づいたときにはとても恥ずかしくなった。


 でも、とてもとても楽しみだった。





 顔を隠すお面も作って、寒さ対策もバッチリだ。


 ヴァシュランマーチ当日、行ってらっしゃい、といつも通りにリオ様を見送った。リオ様も「ああ」と頷いて一歩を踏み出して、ぴたりと止まった。



「今日は、日が暮れる頃には帰ってくる」



 そのなんでもない言葉に、途方も無いほど勇気が必要だったことは、きっと私だけしかわからない。リオ様は、ずっとタイミングを見計らって、やっと言えたと心の中で安堵していた。わかりました、と答えながらも、本当に、可愛らしい人ねと胸の辺りが温かくなる。




 小さくなる彼の背中を見送った。


 そうすると、少しだけ寂しくなった。でもこれからが大変だ。急いでクッキーを作って、ちょこっとだけ味見をして、大成功だと飛び跳ねて、靴の具合を確かめた。これでいいかな。今日はたくさん歩くんだから。でも、夜を超えるから、今日じゃなくて、明日もねと苦笑した。玄関で待ち構えていたら、驚かれてしまうかもしれない。でも彼を一秒でも早く出迎えたくって、夕方が近づくと、まだかな、まだかな、と何度も出口を往復した。


 準備をしている時間はあっという間だったのに、終わってしまうと時間の流れが遅くなる。


 まだかな、まだかな。




 ゆっくりと、時計の針が進んでいく。


 とっくに、日は沈んでしまった。瓶の中では炎色石が、ほんのりと赤く灯った。幾度も扉をあけて、閉めて、家の中で座り込んだ。お祭りは夜通しするんだから大丈夫。きっと、お仕事が忙しくなってしまったんだ。忘れてるわけなんてない。だって、朝は早く帰るとおっしゃっていた。


 くるり、とお腹が小さな音を主張する。少しだけ怖くなった。もしかして、リオ様はもう一生、この家に帰って来ないんじゃないだろうか。そんな馬鹿な考えまで思いついた。ここは彼の屋敷なのに。私が出ていくことはあっても、リオ様がいなくなるなんてありえない。



 扉の外で、誰かの気配がする。ドアベルがなった。慌てて顔を上げて、外の主を確認する間もなく扉を開けた。暗い中で、その人のびっくりした声が頭に響いた。そうして彼は私を見下ろしている。リオ様、と呼びかけようとした。でも違った。当たり前だ。彼ならドアベルなんて鳴らすわけもない。



 見覚えのない男性に、ひっ、と喉の奥で悲鳴を鳴らして、体が硬くなった。でもすぐさま彼の考えが流れてきて、男性はリオ様の同僚なのだと知った。私の様子にすぐに気づいて、その人は驚かせて申し訳ない、ということと、リオ様から伝言を言付かったのだという旨を告げた。



「リオはまだ少し帰宅まで時間がかかるとのことでして……。日が変わるまでには、必ず戻るから、待っていてほしいと、そう言っておりました」



 ああそうなんだ、とホッとしたあと、彼の気持ちが流れこんだ。(まあ、無理だろうな) えっ、と漏れそうになった声を、口元を押さえて飲み込んだ。



(言伝をリオには頼まれたものの、あの様子じゃ、まあ無理だろう。新婚だろうに気の毒だが、マーチは来年もあるわけだし)



 ではこれで、と去ろうとする彼を引き止めて、クッキーを渡した。今日、焼いたばかりのクッキーで、お行儀が悪いけど、小腹が空けばリオ様と一緒に食べようと思っていたものだ。それからわざわざ来てくださって、ありがとうございますと言葉を添えた。彼はとても丁寧な方で、親切だった。だからこそ、家まで来てくれたんだろう。



 扉を閉めて、鍵をかけた。ああ、まあ、仕方ない。青年は深くまで語らなかったけれど、流れこんだ声をきいたところ、祭りの騒ぎで乱闘が起きたらしい。それは丁度リオ様の仕事が終わるところで、仕方ないと出動して取り押さえたものの、暴れた犯人たちは名前も言わず口を閉ざして、取り調べに難儀している、とのことだった。一部始終に関わったのもリオ様だから、いなくなるわけにもいかず、丁度終わりの時間が近い彼に伝言を頼んだ。


 彼はこうも考えていた。リオも、きっと今日中に帰ることができないとわかっている。でもこうまでしたけど無理だったと伝えれば、少しは奥方のへそも曲げずに済むに違いない。ヴァシュランマーチは来年もあるんだから。





 鼻をすする音が聞こえた。びっくりした。想像よりも、私はリオ様とのお出かけをわくわくして、楽しみでたまらなかったらしい。たったこれだけのことで、こぼれてしまった涙に驚いて、情けなくて、恥ずかしかった。



 リオ様は知らない。知るわけない。だって、楽しみなのを隠したのは私だから。本当は嬉しいのに、すまし顔で嬉しさを隠して、入念に準備をした。だから、彼からしてみれば、もしかするとどうでもいい約束だと思ったのかもしれない。そんなのずるい。私はリオ様の心の中を知っているのに、私のことは、なんにも伝わらない。



 なんでなの、と嗚咽を飲み込んで座り込んだ。変なことを考えている。お仕事なのだから仕方がないし、本当にずるいのは私だ。勝手に色んなことを覗き込んで、何でも分かって、優位に立った気でいる。なのに伝わらないことに怒って泣いて、子供と同じだ。でも、来年なんて私にはないのに。



(私の気持ちも、リオ様に伝えることができたらいいのに)



 何を馬鹿なことを考えているんだろう。

 鼻で笑った。

 そうしてうずくまったまま、自分の馬鹿さ加減に呆れた。涙が止まらなかった。

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