第20話
ヴァシュランマーチ? と首を傾げる私に、マルロ様は丁寧に説明してくださった。
何でも新年を祝うお祭りで、年の暮れが近くなると、家の前に瓶を置いて準備する。そして当日の夜には熱も消えかけているような、使いかけの炎色石を閉じ込める。そうしてぽつぽつと石畳を照らし、道を作り、その中を多くの人が練り歩く。昔は街に数個、ランプが置かれているだけだったのが、いつの間にか簡略化され、誰でも参加ができるようになり、街全体で楽しむ大きなお祭りとなったそうだ。
ずっと昔、おせっかいで、おかしな王様と名を馳せた、婚姻届を目眩がするくらいに大変な量にしたその人は、おせっかいであるくせに、民には愛され、彼がいなくなったあとも、王様を忘れないようにという目的で始まったそうだ。彼はとってもシャイで恥ずかしがりやで、誰にも顔を見せなかった。だから、その日はみんなで王様のマネをする。仮面やら、帽子やらで顔を隠して、誰でもないふりをする。そうして、年が明ける瞬間まで街の隅々まで歩いて楽しむ。
「と、まあ王都では一番の盛り上がりの祭りなんだけど、街の外では案外関係ないよねえ」
僕もよそ者だからすごくわかる、とマルロ様はご納得されているようだけれど、私からしてみれば、大勢の人間が集まる祭りに自分が繰り出すだなんて正気の沙汰とは思えないので、あえて右から左に聞き流していた可能性もあるため、曖昧に笑った。自分の常識のなさを定期的に痛感してとても恥ずかしい。
そういえば、ヴァシュランマーチ、というこの言葉、聞いたことがないなと思っていたけれど、以前マルロ様と会話をしていたときに、彼がぽろりとこぼしていたような気がする。あのときは口を挟む隙間もなかったけれど。
お祭りに出る出ないはともかく、それならうちの屋敷の目の前にも瓶を置いた方がいいだろうか。丁度マルロ様が届けてくださったお塩の瓶がいい具合かもしれない。でも少し小さいかも。
「マルロ様、瓶の大きさに決まりはあるのですか?」
「ん? いや、ないよ。炎色石が入ればいいから。小さいものなら小さい石を入れればいいだけだし」
なるほど。それなら問題ない。
さっそく中の塩を使って、お花を漬け込んだあとに屋敷の前に置いておこう。流石にお祭りに参加することは無理だけれど、これくらいならきっと気分だけでも味わえる。それから、ああそうだ、とマルロ様は思いついたように声を出した。思わず顔を上げた。
「リオを誘ったら?」
「……えっ?」
あんまりにもあっけらかんと言われたものだから、一瞬何を言われたのかわからなかった。そうして頬杖をつきながらこちらを見ているマルロ様と目が合って、やっとこさ理解した。「え、いや、え、いや、いやいや!」 そんなの無理だ。だってこの間、お出かけのお誘いを断ったばかりなのに。そんなの無理に決まっている。
とは思いつつも、マルロ様にその言い訳をするわけにもいかない。嫁が夫の誘いを断ったのだ。リオ様からしてみれば、ご友人と言えど、知られたくはないことだろう。
「い、いえ、それだけ大規模なお祭りと言いましたら、きっと警備も大変になるでしょうし……。我儘を言うわけにはいけませんし」
「警備は昼夜で交代制だよ。去年もその前もそうだったから、今回もそうだと思うし大丈夫でしょ」
「……きっとお疲れでしょうから、そんなまさか」
「大盛りあがりの祭りだからね。騎士団の連中だって、仕事が終われば喜んで飛び込んでいっているよ」
にこにこしている。
うふ、と二人で笑った。うふふ、ふふ。
マルロ様は折れない。わかる。温厚なように見えて、意見は曲げない。自分の中の考えを、当たり前のものとして考えている。そういう人なのだと、なんとなくわかる。だって声が聞こえるし。(いやあ、エヴァ夫人となら、そりゃあもう、リオは喜ぶに決まってる) 決まってませんから。
とりあえずとそこで会話は終わらせて、マルロ様を見送り、家の掃除を再開した。最近はと言えば、家の中の大半はやり遂げてしまったから、できれば次は外装に手をかけたいのだけれど、さすがにそれをするのは外聞が悪い。スカートをめくりあげてトンカチを振るう女の姿をご近所様に見られた際には、私ではなく、リオ様の人権がお亡くなりになってしまう。
仕方ないので日課の拭き掃除に掃き掃除を行いながら、マルロ様の言葉を思い出した。
――――ああそうだ、リオを誘ったら?
簡単に言ってくれる。
でも本当は心の底では、それはいい考えかもしれない、とも思っているのだ。だってマルロ様がおっしゃったとき、即座に無理だと思ったけれど、それはこの間断った気恥ずかしさからで、街中の人が集まるお祭りに、私が参加できるわけがない、ということを一瞬でも忘れていた。
でも、マルロ様のお話では、ヴァシュランマーチはみんな思い思いの仮面をつけて参加するらしい。それなら、多少私の挙動が不審だったとしてもなんとかなるかもしれないし、顔を隠すと思うと安心感がある。
だから、もしかしたら大丈夫かも、なんてそわそわしていて何度も布を往復させているうちに、びっくりするほど窓ガラスがぴかぴかに磨き上げられていて、顔が熱くなってきた。そうだ、本当はリオ様と一緒にお出かけしたい。でも断ってしまった。
街の案内をしてもいい、と言った彼に、結構です、と告げてしまったとき、リオ様はひどくショックを受けている様子だった。もし私がリオ様を誘ったとして、それは嫌だと全力で拒絶されてしまったら。そりゃあもう、悲しくなることは目に見えていて、彼のショックを思い出すと何だか怖い。
(……ちょっと待って、その考え方はおかしいよね)
だってリオ様は勇気を出して誘ってくれたのだ。それを断った私が、断られることが怖くて何もできない、だなんて失礼な話だ。
だから、今度は私が勇気を出す番だ。この間は嫌だと言ったくせに、なんなんだと思われてしまうかもしれない。でもそれは仕方がない。全部自分が原因なんだから。
「よし、今日はリオ様が帰ってきたら、絶対にお誘いしよう!」
決意は鈍らないうちに限る。扉をあけて、おかえりなさいと告げたら、絶対に言う。決めた。絶対だ。
ふんふん、と鼻息荒く窓枠まで磨いていく。ぴかぴかだ。絶対、頑張るぞ!
***
今日も終わった。
仕事が終わった。
体力的には問題ないが、擦り切れた精神は眠らなければ治らない。遅くなってしまった、とコキコキ首を動かして、エヴァさんが待つ屋敷に戻った。今日の晩ごはんはなんだろう。考えると、足が弾む。一時期、彼女はとても元気がないように思えていたけれど、今は楽しげに家の中を花で飾ってくれている。
よかった、と思う気持ちと、彼女に会いたくない、という気持ちと、やっぱりすぐさまに抱きしめたい、という思いがある。うん。あるよな。いやまて、最後がおかしい。そんなこと思ってないぞ。忘れろ、と願いながら自分の頬を引っ叩いた。大丈夫、忘れた。そんなこんなで、必死で別のことを考えながら意識をそらしていたとき、屋敷の前に小瓶を見つけた。
こんなものあったかな、としゃがみ込む。丸い縁で、置かれたばかりの綺麗な瓶だ。そして気づいた。ヴァシュランマーチだ。きっとエヴァさんも、どこぞからきいて、そっとこれを入り口に置いたんだろう。今まで祭りを楽しむという思いすらもどこかにすっ飛んでいて、何か懐かしい気持ちになってきた。そういえば、フェナンシェットの領地にいたときは、そんなこんなと弟やら甥っ子達が楽しげに祭りの準備をしていたものだ。
空はすっかり、とっぷりと暗くなっている。けれども屋敷の窓からは明かりが漏れていてホッとした。
(エヴァさんと、楽しめたらな)
いつもは警備だなんだのと飛び出して、終わればそのままベッドに直行して、目が覚めると年が明けて、また勤務の繰り返しだ。でも今年はエヴァさんがいる。たとえあと7ヶ月ぽっちだろうと、彼女は俺の家族なんだ。
(誘って、みるかな)
彼女と手をつないで街に繰り出すことができたら、きっと楽しい。うん、そうだ、と頷いた後に、すぐさま思い出した。そう言えばこの間、思いっきり断られたばかりじゃないか。自分の家の門の前をぐるぐると何度も回って顎をひっかく。嫌だと言っている相手を何度も誘うのは、よくないのでは。絶対よくない。嫌われる。そういえば俺は嫌われたかった。つまりこれは目的通りなのでは。ちょっとまてよくわからなくなってきた。
ええい、ままよ、と門を勢いよくくぐり抜けて、ノブをひねる。エヴァさんは、そろそろかと分かっていたのか、すぐさまひょっこりとドアから顔を覗かせた。久しぶりに彼女の顔をまともに見て、一瞬頭が真っ白になったあとに、目的を思い出した。おかえりなさい、といつもどおりの言葉のあとに、エヴァさんは何かを告げようと、ぱくりと口を開けた。その姿を見ながら気合を入れる。
(そうだ、俺は言うぞ! ヴァシュランマーチに彼女を誘う! 絶対に、誘ってみせる!)
「…………」
「…………」
エヴァさんが、何かを言い出そうとしたまま、なんとも言えない顔つきで、こちらを見上げた。それからコホリと咳をして、顔を赤くしながら視線をそらした。なぜだろうか。
よくわからないけれど、ひどく気まずいような、不思議な沈黙が流れていた。
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