ヴァシュランマーチにようこそ
第19話
「おおおおおお」
(大丈夫か)
「おおおおおお、おおお」
(顔が真っ赤だ。今すぐにぶっ倒れそうだな)
「おおおおおうおう、おネギを!」
(ネギを)
「くださいっ!!!!」
「ま、まいどあり……」
店主の呆れたような思考がガンガンと流れてくる。大丈夫か、倒れられたら困るし、騎士団でも呼ぶかな、と心配だか困惑だかわからない気持ちが流れ込んだところで、気合を入れた。万一リオ様が来てしまったら、とっても困るし気まずいという言葉だけでは終わらない。不審者が嫁だなんて冗談では済まされない。
使ったことはないものの、お金くらいは知っているし持っている。えいやっと勢いよく銅貨を突き出すと、なんだ、ただの客か、と彼は心の底で呟いた。
「お嬢ちゃん、カゴは?」
「か、かご……? か、抱えて持ちます!」
「いやお嬢ちゃんがいいんなら構わねぇけどよ……」
そうか、お買い物にはカゴがいるのか! まったくもって常識の範疇外だったとネギを抱きかかえて走り抜けた。周囲の人たちから、(ネギ?)(ネギだわ)(ネギよね) 大変恥ずかしかった。
しかし第一関門は見事に突破し、おだしを温めて、ついでにお野菜もほかほかにしていく。味見をすると、とっても美味しい。リオ様に、最初に教えてもらった味だ。食卓に出すと、彼はあれっと目を丸めた。いつも作るご飯とは、少し違う。リオ様は、懐かしい、と心の中で考えて、ぱくぱくと嬉しそうにお鍋を食べた。彼の故郷の味だったらしい。
喜んでくれた。よかった。
(リオ様のことを、もっと知りたいな……)
私なら、簡単にわかるけれど、そういうのはちょっと違う。相変わらずリオ様は私を見ると、頭の中で尻尾を振って、それからぷいっと必死でそっぽを向く。苦笑した。彼は考えることがたくさんあって、大変らしい。
(教えて、くれないかな……)
例えばリオ様の好きなものとか。嫌いなものとか。インチキみたいなギフトではなく、もっとちゃんとした方法で、彼のことが知りたい。自分にこんな気持ちがあるなんて知らなくって、なんだかとっても不思議で、くすぐったかった。
だから、彼に聞いたのだ。
「リオの好きなものを、僕に教えてくれって?」
マルロ様が真っ赤な瞳をくるくるさせて瞬いた。(何を言っているんだ、エヴァ夫人)「何を言ってるの? エヴァ夫人」 思考と声がまったくもって一緒に重なる。ひょうひょうとしているように見えて、実は彼も大概正直な人間らしい。さすがに少し恥ずかしくなった。
マルロ様は警備と視察という目的で、あれから定期的に屋敷に顔を出してくださるようになった。とは言っても、いくらリオ様のご友人と言えど、異性と屋敷に二人になるのは抵抗がある。なので今現在は庭の椅子に座って、ぼんやりとお茶を楽しんでいる。初めこそは何もなかった庭だったけど、リオ様と庭の手入れをしているうちに、少しずつ形になってきた。この椅子もその一つだ。
リオ様のご友人であるから、と思ったのだけれど、マルロ様に問いかけるのは、やっぱり少しおかしかっただろうか。彼の心の中では楽しいだか、おかしいだかわからないような気持ちでケラケラと笑っていて、相変わらず考える速さもすさまじい。心配事ばかりで読み取りづらいリオ様とは別の意味でわかりづらい頭の中の持ち主だ。
とは言え、今日のところはまったりとお茶を楽しんでくれているらしい。
ほのかなレモンの香りを味わいながら、(リオの好きなもの……? と言われてもな。嫌いなものならわかるけど。酒だな)と考えている。そういえば、以前リオ様もお考えになっていらっしゃったことだ。彼にお酒を勧めることは絶対にやめよう。
「男同士に趣向を問いかけられてもなあ。僕じゃなくて、本人に聞きなよ。新婚なんだし」
「い、いえ、もう3ヶ月はとっくに経っていますし……」
「十分範疇内でしょ」
にかにか笑っている。マルロ様はリオ様と私がうまくいくことを望んでいらっしゃることを知っている。それに知らないふりをするのもなかなかつらい。とりあえず、私も紅茶を飲んで誤魔化したのだけれど、彼からすれば照れ隠しのように見えたらしい。違いますよ! と言いたいのに言ってはいけない。そういう我慢は得意はなずなのに、妙にくすぐったくてたまらない。
それにしても、本人に聞けだなんて。それができないから、こうしてマルロ様に尋ねたのだけれど、やっぱりずるはできないらしい。それじゃあ諦めよう、ぼんやり空を見上げて、いやいや、と一人で首を振った。そういう簡単に諦めるところを変えていきたい、とこの間考えたばかりだったのに。
(それにしても、私、なんでこんなにリオ様のことが気にかかるんだろう……)
関係だけで言うのならば、夫だから、と言えばそうだし、彼が優しくって、いい人だから、と言えばその通りだ。けれどもどれもしっくりこない言い訳で、うんうんと唸っているとき、「そうだそうだ」とマルロ様が懐から小瓶を取り出した。もしかすると、と思ったらその通りだったらしい。
「忘れないうちに渡しておくよ。これで間違いない?」
「はい! 大丈夫です、貴重なものをありがとうございます」
ぴかぴかとピンク色が可愛らしい、大きな粒が瓶の中には敷き詰められていた。「結婚祝いに何でもいいから贈らせてほしい、と言ったのは僕だけどさ。ほんとにこんなものでいいの?」 不思議気なマルロ様に、もちろん、と頷く。こんなに大きくて、しっかりとしたものは市場にもあまり出回らない、らしい。ずっとそこいらに売っているものだと思っていたけれど、この間からやっとこさ“買い物”を覚えてから知ったことだ。
「これがいいんです。とってもしっかりとしたお塩です。いいものが作れそうです」
そう言って、塩の瓶をうっとりと握りしめると、はあ、と相変わらずマルロ様はしっくりこない表情で肩をすくめる。
「作るって……何を?」
「お花の塩漬けです。塩で花びらをつけると、匂いまで閉じ込めるからとっても長持ちするんですよ。リオ様に頂いたお花を、なるべく長く持っておきたくて」
花瓶にいれる水に、天幕水と同じ液をほんの少したらしこめば、普通の切り花よりもずっと長持ちするけれど、それでも期限はやってくる。できればあの可愛らしい白い花びらを長く見つめていたかったから、マルロ様からの申し出に、もしよければとお願いしたのだ。
「リオが? 夫人に? 花を?」
あんまりにも嬉しくてにこにこしているところを、マルロ様は仰天したように、何度も瞳を瞬かせた。とても驚いていらっしゃる。と、思えば、本当に喜ばし気に、彼は笑っていた。けれどもそれは心の中だけで、実際のところは、ふうん、とどうでも良さげにどこぞへと視線を投げかけていた。
(なんだ、リオのやつ、うまくやってるんじゃないか。そうかそうか)
勘違いしていらっしゃる。これはしまった。
「あの、マルロ様、違うんですよ。ただたまたま、リオ様がお花を持って帰ってくださって」
「うんうん。わかってるよ。たまたまだね」
(そんなたまたまあってたまるか)
「偶然に! いただいたとかで!」
「そうだね、偶然だね。素晴らしい偶然だ」
(あのむさ苦しい騎士団で、どこでもらうっていうんだよ)
本当は買って帰ってきてくださったのは事実だけれど、マルロ様が望む現状ではないのに。
いけない。まったくもって、彼の心に響かない。気の所為かどこぞから爽やかな風まで吹いているような気がする。彼は長い足を組みながら、さわさわと風を感じていらっしゃるご様子だ。似合いすぎて怖い。もう駄目だ、話題をずらそう。
ええっと、ううんと、と脳みそを絞ってみたものの、もともと話題には乏しい自分だ。まったくもって思いつかない、と考えていたとき、そういえば不思議なものを見たことを思い出した。ネギを抱きしめながら、ひいこら屋敷に戻って来るまでの間、なんだろうと首を傾げた。けれども誰もそのことを不思議に思っていないから、まるで私がおかしいような気になってくる。いや、事実そうなんだろう。世間知らず、と言ってもいいのかもしれない。
「あの、もしかすると、聞くのはお恥ずかしいことなのかもしれないんですが
とは前置きしながらも、なんだろうと気になっていたことも事実だ。
「出掛けに、不思議なものを見まして」
「不思議なもの?」
マルロ様は心の中のニヤニヤ笑いをすっこめて、こちらを見た。私はマルロ様から頂いた瓶をテーブルに置いて、両手で小さな正方形を作る。だいたい、私の手のひらよりも大きなサイズだ。
「あの、これくらいの大きさの瓶が、街のいたるところにあったんです。だいたい、扉の前近く、と言いますか。家一軒につき、一つと言った具合で。あれは……一体なんなんですか?」
用途がまったくわからないし、蹴飛ばしてしまうかもしれなくて、ちょっと危ない。マルロ様は、私の疑問に眉を顰めた。その仕草を見て、やっぱり常識知らずで聞くにも恥ずかしいことだったんだろうか、と恐縮したとき、「ああそうか」と彼は思いついたように手を打った。
「夫人はここには来たばかりだったね。それじゃあ知らないのも無理はないよね。あれはヴァシュランマーチが近いからだよ」
「ヴァシュランマーチ?」
聞いたことのない言葉だ。そうそう、とマルロ様は頷いた。
「まあ、冬の風物詩、みたいなものかな?」
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