第15話

「ご夫婦ですのに、一度もお出かけされたことがないんですの……!? それはいかがなものかと思いますわ!?」




 思いますわ! 思いますわ! 思いますわ! 思いますわー…………。






 朝から元気にシャルロッテさんの声が響いている。温かいジンジャーティーを両手に持って、椅子の上でぱたぱた足を振っている様を見ていると、どう見ても彼女が年上だなんて思えない。私の正面にはリオ様が、リオ様と私の間にはシャルロッテさんが腰掛けている。テーブルの上には、美味しそうな朝食達だ。


 一体なにがきっかけだったのか、ふと出た会話をきっかけに、シャルロッテさんはカッと叫んだ。開けた口からは、小さな八重歯がしっかりと覗いていた。




「夫婦とは言葉がなくても繋がり合っているものですが、それだけで十分と思うのは思い上がりというもの! リオ様はお忙しいとは存じ上げておりますが、こんなことでしたら、エヴァ様に愛想をつかされてしまいますわ! まあわたくしは元気に独り身でございますので、説得力はあまりないため、ただの年上からの助言とお考えくださいませっ!」



 シャルロッテさんって、ご結婚されていらっしゃらなかったのね、と私も彼女に淹れた紅茶を飲んでみた。なんだか体がぽかぽかしてきた。寒い朝もこれで乗り越えることができるというものである。



「いや、それは、その通りなんだが……」



 リオ様がひどく眉根を寄せて、口元をぴくぴくさせた。これはわざとでもなんでも無く、本当にこういう気持ちになっているらしい。「なぜ、朝から配達屋殿が、うちにいるんだ?」 あらまあ! とシャルロッテさんはゆっくりと紅茶をお皿において、口元に手を当てた。



「リオ様、わたくしは配達屋としてではなく、エヴァ様の友人として参りましたの! どうか気軽にシャルロッテとお呼びくださいませ?」


「ん……ん? そうでしたか。それならば。ではなく」



 思わず押されそうになったところがさすがのリオ様である。彼はとっても押しに弱いということは、ここ最近、とみに理解できてきたことだ。



「シャルロッテ殿のことは、彼女を通じて話はきいておりますが」



 リオ様は、私に対していつもの仏頂面をするべきか、それとも来客者に対して通常の声色で話すべきか心の中でとっても悩んで混乱していらっしゃるご様子だ。



「まあまあ、彼女だなんて」



 そんな彼の様子を、シャルロッテさんは、単にリオ様が照れていらっしゃると考えているようで、「わたくしは気にせず、いつものようにエヴァ、とおっしゃればいいのに」とくふくふと笑っている。残念ながら、心の中では何度も呼ばれているけど、実際に名前を口に出されたのは一度としてございません。



「リオ様には、エヴァ様との交流と、お野菜をいただく許可をいただき、わたくしとーっても感謝しておりますの。ひいては一度くらい、家主であるリオ様にご挨拶に伺いたく思ってはいたのですが、お忙しいご様子でしたので」




 まさか騎士団でのお仕事中に伺うわけには参りませんし、と肩をすくめた彼女は、本日早朝、手土産とばかりに手作りのジャムをたっぷり持ってきてくれた。なので今日の食卓は、シャルロッテさん印のオンパレードだ。とってもおいしくって、いちごがてかてかと輝いている。




 そうなのだ。あれから結局、断っていただくことを期待しつつ、リオ様に先日の経緯を伝えたところ、リオ様はあっさりと許可を出してしまった。それならば、私自身が首を振ればいい話だったのだけれど、幾度も人の嘘をきいてほんの僅かではあるけれど傷ついてもきたことを思い出して、きらきらした瞳の彼女に、どうしても、嘘の言葉を伝えることができなかった。


 ――――それに、彼女のあの見事なまでの料理の腕前を学びたい、と思う気持ちもやっぱり少しくらいあったのだ。




 あれからシャルロッテさんはお仕事の合間を縫って、お屋敷に遊びに来るようになった。二人で美味しいお菓子を作って食べて、彼女にちょっとした作り方のコツを教えてもらう。目からうろことはこのことだった。リオ様も料理の腕が上がったと心の中で喜んでいらっしゃる様子だった。




 こんな風に、同じ性別の方と関わることなんてずっとなかったものだから、もしかしてこの関係って、とドキドキしていたのだけれど、先程シャルロッテさんの口から『友人』という言葉が飛び出て、ヒイッと跳ね上がってしまった。どちらかと言うと嬉しくて。彼女がそう考えてくれていたのは知っていたけど、いざ口からしっかり聞くのでは、破壊力が違う。




 リオ様はため息をつきながらも、「俺のことは気にされなくても結構でしたのに」とパンにジャムをちょっぴりぬって、パクリと口にふくんだ。それからうまい、と目を輝かせていた。彼は甘いものもいける口なのだ。そして私相手では“私”と言うのに、シャルロッテさんには“俺”と言ってしまうらしい。別に複雑な気分になんてなってない。



「それはともかく、いけませんわリオ様。いくらお忙しいとはいえ、限度があります」



 先程の話題に戻ってきてしまったから、ギクッとした。そのまま遠くに投げ捨ててくれればいいのに。



 そのままリオ様が騎士団に向かう時間となって、お開きになったからほっと一安心して、いつもの通りにお家をピカピカにして、おかえりなさいと出迎えてみると、リオ様は未だにもんもんしていらっしゃるご様子で、(確かに俺はエヴァさんに嫌われようと思ってはいるが、しかし、確かにこの状況はあまりにも不憫だし、シャルロッテ殿の言うとおり、ものには限度があるのでは?) とかなんとか考えている。




 いやそんなこと思わなくていいですから。というか、趣旨がブレブレになってきてますから頑張って! 心を折らないで! なんてエールをいれるわけにもいかず数日。リオ様はとうとう決心されてしまった。


 言うぞ、言うぞ、という気合を入れる声が聞こえる。言わないで、言わないで。逃げようにも屋敷の中は二人きりだし、話題を避けようにも、そもそも私達はもともとあまり話さないし、食事どきしか顔も合わさない。ごくん、とリオ様が唾を飲み込んで、一気に言葉を吐き出した。




「まあ、あなたさえ良ければだが。次の休日、街の案内をしてやっても構わないが?」


「け、結構です!!!」




 こちらも気合を入れていたから、強めに断ってしまった。リオ様は、(えっ)と心の中で目を丸くさせて、ぽとんとフォークを落とした。しかしあくまでも心象風景であり、実際は仏頂面でこちらを見たままだ。でもホントはとてもショックを受けていた。しまった、とこちらも唇を噛んで、互いに見つめ合った。傷つけたいわけじゃなかったのに。



 ただ外に出ることが怖かった。それだけだ。だからお出かけなんて、本当にしなくてよくて、私にはこの屋敷で十分なのに。




 なのにそんなことはリオ様がご存知なわけがないので、彼はほろりと涙をこぼしていた。もちろん心の中でだけど。(俺はここまで嫌われていたのか。成功だ。でもそこまで嬉しくない。でも仕方がない)





 ごめんなさい、とこっそりと両手を合わせた。そんな自分が、すごく嫌で、情けなくて。

 たまらなかった。


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