第12話

 いつもの通りに屋敷の掃除をしていると、ガタガタと音が聞こえた。



「えふん、えふん、げふん!」



 咳払いの声までする。まさかそんな、とぞっとした気持ちで胸を押さえたとき、(エヴァさんはどこだろうか)と、聞き覚えのある声がした。ホッと胸をなでて、さも今気づいた、という風に装って、「あらリオ様」と声をかけると、彼はひどく緊張した面持ちでこちらを見ていた。





 バクバクと彼の緊張の音がこちらまで伝わってきて、私まで心臓が痛くなりそうだ。一体どうしたというの、と探ってみると、どうやらこれも嫌がらせの一貫らしい。その割には本当に嫌われたらどうしよう、とリオ様は本末転倒な心配をしているし、そもそもこんなの嫌がらせにもならないのに。


 必死にいかつい顔を作って、心の中ではびくびくそわそわしている姿を見ていると、なんだかひどく可愛らしくて、どうか安心してくださいな。と、お伝えしたくなったのだ。


 そしたら、勝手に口が滑っていた。「早く帰って来てくださって、嬉しいです」 自分の言葉に驚いた。




 人といることが、あんなにも怖かったはずなのに。びっくりして、でもそれ以上に、リオ様が、ほっと心の中でついた安堵の息に嬉しくなった。(よかった) リオ様が、そう考えていらっしゃる。彼がそう考えてくれることに安心して、緩んだ自身の口元が、心底恥ずかしくなった。




 他所様の心情を勝手に覗き見して、喜んだり、ほっとしたり。そんな自分はきっと、どうかしている。








 互いにぺちぺちと自分の頬を叩いて、落ち着け落ち着け、と頭の中で繰り返した。


 残り9ヶ月。リオ様だって、私と長くいることは望んではいらっしゃらない。残りの月数を念じるように心の中で唱えている。



 今日は早く帰って来ていただけたのは、どうやら結婚休暇らしい。けっこん。きゅうか。改めて言葉を考えて、またぽふりと弾けてしまいそうな思考を、必死でパタパタあおいで落ち着けた。けれどもリオ様自身も、そのことを私に伝えるにはどうにも照れていらっしゃるらしく、「たまたま休みになっただけだ」と相変わらず必死のぶっきらぼうだったから、「そうでしたか」と私も知らないふりをした。




 そして、この時間、何をしていただこうと考えて、リオ様自身も考えあぐねていらっしゃることが分かったので、こそっと姿を消した。私がいないほうが、きっと彼ものんびりできるだろう。お昼もすでに食べて来られた様子なので、リオ様の視界から消えることを優先して、そうだと手のひらを打って、帽子をかぶって庭に飛び出た。


 頭の上では天幕水がふよふよと揺れている。おかげで今日も快適だ。


「……何を、しているんだ?」


「はい?」


 心の声と、彼の本当の声が聞こえたのは同時だった。顔を上げると、2階の窓から体を乗り出したリオ様がこちらを見下ろしている。


「あの、えっと、庭掃除を」


 言葉にもならないような、ぐしゃぐしゃとした思考が彼の頭の中で回っている。そんなことをしなくてもいい、とどちらかと言うと否定をしているような感情だ。困って手につけていた分厚い手袋を背中の後ろに隠したとき、「私がする。あなたは日陰にいなさい」 そう言って、リオ様はすぐさま窓から姿を消した。






 雑草を除くと、唯一、庭の中で元気に育っているオレンジの木の下に体育座りをして、延々と草むしりをする騎士様を見つめた。せめてもと帽子をおかししたものの、女性もので、リボンがついているので、正直全然似合っていない。


 なんでこんなことに? と首を傾げた。休暇なのに、全然休暇になっていない。黙々と作業するリオ様の横顔を見つめて、正直不安になってきた。一体彼は何を考えているんだろう。私のことを考えてくれていれば、いくらでも声は聞こえるのだけれど、今は自分の手元に必死になっているらしくて、距離が遠くて、リオ様のお考えがよくわからない。


 でもよくよくその顔を見てみると、どこか楽しそうで、まるでボールをくわえたわんちゃんみたいに抱えたカゴの中によいよい雑草を詰め込んでいく。そういえば、リオ様はご実家でも領地の民と一緒に畑を手入れされていたこともあると考えていらっしゃった。だから少し懐かしいのだろうか。




 日陰にいなさい、と言われたものの、こんなのもぞもぞしてくるに決まってる。えいやっと立ち上がって、彼の隣にならんだ。(うわっ)とリオ様が驚いた声を上げた。



「お手伝いします」


「……しかし」


「お庭いじりは楽しいことです。独り占めはよくありません」



 芋令嬢をなめないでいただきたい。


 リオ様は少し困って、おかししていた帽子を私の頭にぽすんとのせた。先程までリオ様が使っていらっしゃったものだと思うと恥ずかしくって逃げ出しそうになったのだけれど、そんな姿を見せるわけにはいかない。と、思っていたのに、顔に出ていたらしい。


(エヴァさん、また照れてるのかな)


 リオ様の声が聞こえて、こんなの二重で恥ずかしい。



(近すぎたよな。もう少し距離を置くべきだった)



 しかも向こうも照れ始めた。勘弁して。



 互いに並んでプチプチと根っこから引っ張り上げていく。


 だんだん綺麗なお庭になってきた。こうして隣に並ぶと、リオ様の声がよく聞こえる。そう言えば、庭をいじりたくてこの家を買ったんだった、とか。こんな時間も楽しいな、とか。リオ様がそう感じてくださることが嬉しかった。「そうですね、楽しいです」 だから、自分ではありえないミスをした。「え?」 彼が不思議に感じるのも無理はない。なんていったって、声に出さない言葉に返事をしてしまったのだから。



 こんなこと、今までなかった。


 いや、ないようにとたくさんの人を避けてきた。ぞっとした。嫌な音がする心臓を押さえつけるみたいに必死に口をつぐんだ。これ以上、妙な言葉を出さないように。さわさわとオレンジの葉が揺れる音ばかりが聞こえる。リオ様が、ぴかぴかの葉っぱに目を向けて、ぼんやりと呟いた。


「そうだな、楽しいな」



 だから次は花の苗を植えよう、と。




 彼の頭の中は、それでいっぱいで、私の失言なんて、気にしてもいなかった。エヴァさんも、俺と同じように感じているんだな、とただ喜んでいるだけで、何も知らずにパタパタとしっぽを振ってボールを追いかけるわんちゃんみたいだ。「かわいい人」 また失言だ。しっかりとリオ様の耳にも聞こえたらしい。ぱちくりと瞬いている。



「えっ。あ、その、犬みたいなかわいさ、ではなく、犬が駆け回るくらいの広さがありますねと! ふと思いまして!」


「ああ、そうだな」



 よかった。ちゃんとごまかせたらしい。エヴァさんは犬が好きなのかな、とちゃんと思考が移り変わっている。昔に飼っていた犬を思い出していただなんて、口が裂けても言えやしない。






 それから次の休暇日、リオ様は花の苗を持って帰って来てくれた。


 柔らかい土を敷き詰めた花壇を作って、お水をまいた。きっと、これからもっと綺麗な庭になる。とっても楽しみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る