第11話


『そういえば、今日はマルロ様が訪ねて来られましたよ』



 にぎやかな方ですね、と言うエヴァさんの控えめな感想を聞いて、ぽろんと手の中から匙がこぼれ落ちた。おいマルロ。何を勝手な。



 そうして勢いのままに王宮を楽しげに闊歩していた件の犯人の首根っこをひっ捕まえたのだが、「何を言ってるんだよ。僕はちゃあんと事前に伝えたさ。とても興味深いから、奥方を見に行ってもいいかな? って」 まあもちろん、君が聞いてるなんて思っちゃいなかったけどね! とヘラヘラ笑いながら軽やかに逃げていく。逃げ足は天下一品だ。さすがは天下のオランジェッド商会から逃げ出した男と言えばいいのか。





 マルロに褒められたのだと笑っていたエヴァさんを思い出して、ため息をついた。あの大きなカボチャは、今は部屋の端に鎮座している。


(エヴァさんが喜んでいたんだ。それでいいか)



 うん。まあそれでいい。






 なんて考えている自分はすっかり当初の目的とずれてきているわけなのだが。







「嫁に好かれる方法……? なんだそりゃ」



 本当なら嫌われる方法を知りたいわけだが、まさかそんなことを言って困惑させるわけにもいかない。逆を知ることができれば、自ずと見えてくるものもあるはず。


 迷走しつつある現在、ならば自分よりも人生の経験が豊富な方々に問いかけをしてみては、と騎士団の既婚者の面々に問いかけてみた。


「花だな! 贈り物だ!」


「いや気持ちだろう。たとえ仕事で忙しかろうと、こまめなコミュニケーションが大切だ」


「俺が家にいないことだ! 俺の嫁さんは、俺が休暇になると途端に不機嫌になるぞ!」



 まあそうだろうと頷くものもあれば、涙をそそる逸話まで飛んできた。曰く趣味に没頭していたら、集めていたコレクション全てを投げ捨てられたとか、あまりにも残業が続いたために、浮気を疑われたとか。それは好かれる方法ではないだろうと思いつつも、求めていた会話達の中に、そっと姿を消して耳をすませながら溶け込んだ。



 そうしているうちに、「リオ、お前が女を気にするなんて珍しい」と首根っこをひっつかまれ、「いや、つっ妻がおりますから。よければ参考にと」 妻の言葉を少し噛んだ程度でまともに言えたぞ、と拳を握ったところ、彼らは一様に目を見開き、ついでに俺の尻を引っ叩いた。「お前、いつの間に結婚したんだ!!!??」



 それからは同じ言葉を並べられすぎて、いまいち記憶が定かではない。




 同僚先輩後輩ともみくちゃにされ、相手は誰だのどこで出会っただの、何故隠していただの引っ張られ押されて気づけば団長室に引きずられ、結婚休暇の申請印を押していた。いやいや。



 自分はがむしゃらに働く必要がありまして、特にそういったものの必要はないのですがと必死に説明したのだが、「リオ。これは正当な権利だ。お前が否定することで、あとに取るものが取りづらくなる」 と、顔の半分、真横に派手な傷が伸びている騎士団一の強面とされる団長が、重たい空気をまといながら、ぬっとこちらを見下ろしていた。


 いや実際は人道的な言葉を言っているんだがどうにも見かけはそうとは見えない。





 まあ休暇とは言っても、半日ばかりの有給だ。


 それくらいなら、と団長の言葉にも理解できるので、わかりましたと頭を下げて、退室しようとしたときだ。ちょっと待て、と呼び止められた。


「近頃は物騒な話もきく。何かあっては遅いからな。奥方には気をつけてやれ。まあ、そうならないように俺たちがいるんだが」


 ドスの利いた声と顔で、もじもじと両手を合わせている。相変わらず、顔と態度が合っていない。それこそ、しっかりと頷いた。







 ――――俺が家にいないことだ! 俺の嫁さんは、俺が休暇になると途端に不機嫌になるぞ!



 奇しくもその状況になってしまった。


 本来なら夜中に帰って、お疲れ様でしたとエヴァさんから声をかけてもらうはずだ。最近では彼女のその声がききたくて、いそいそと帰宅しているふしがある。


 帰ってくるはずのない人間が、いきなりやってくるのだ。できればエヴァさんには日中は自由にしてもらいたい、と思っている。なのでまっすぐに帰宅するよりも、適当にぶらついていつもの時間に帰った方がいいに決まっている。そうわかっているのに、幾度も玄関前で呼吸を繰り返して自身の自宅であるはずのベルを鳴らすにも緊張した。


(もちろんこれは嫌われるためだ。ただはやく帰宅して、彼女の顔を見たいだとか、そんなわけじゃない)


 と、いいつつも、思いっきり迷惑な顔をされてしまったらどうしよう。


 それを目的にしているはずなのに、いつも朗らかなエヴァさんの顔がぐしゃりと頭の中で歪んでくる。ゾッとした。


(ええい、ままよ!)


 ここは俺の家なんだ。本来はベルを鳴らす必要だってない。鍵をあけて、思いっきり玄関の扉をあけた。いつもの玄関だ。日に日にぴかぴかと輝いてくるのは、きっと俺の気の所為ではない。意味もなくげふん、げふんと大きめの咳をして、存在を主張してみた。そうして、とてもとても小さな足音が近づいてくる。心臓が破裂しそうだ。



「あら、リオ様」



 彼女はエプロンで手のひらを拭きながら、出迎えてくれた。思わず彼女の頭についている三角巾に瞬くと、すぐさま視線に気づいたのか、エヴァさんは恥ずかしげに頭に手を伸ばした。「こんな格好でごめんなさい。おはやいお帰りですね」 この言葉だけ聞けば、嫌味のようにも聞こえる。まさかの成功をしてしまったのか、と喜びよりもビクビクとでかい体を小さくさせた。



「ああ、予定がはやく終わってな。あなたには申し訳がないが」



 尊大な態度を心がけたはずなのに、思わず言葉の後ろに本音が溢れてしまった。自分が嫌だ。それから少しの間のあと、エヴァさんは、からからと笑った。なぜだか彼女は、時折ワンテンポ遅れて反応する。不思議に思いつつも、そんなときの彼女の笑顔はとても可愛らしいから、いつもぽかんと見つめてしまう。



「何をおっしゃいますか。お仕事お疲れ様です。早く帰って来てくださって、とっても嬉しいです」




 なぜだかふわりと気持ちが明るくなった。


 部屋にも入らず、温かくなった気持ちのままぼんやり彼女をじっと見下ろすと、次第にエヴァさんの頬が赤らんでいく。彼女はよく照れる。それから赤くなった頬を、自身の手の甲でぺちりと叩いて、ぷいと視線をそらされた。そんな顔を見ていると、ひどく胸が痛くなって口元をつぐんだ。







 それから残りの半日は、ぽかりと空いた時間に何をすればいいのかもわからなくて、エヴァさんと庭の草抜きをした。今まであんまりにも忙しかったから、ここまで庭が汚れていることを分かっていなかったし、二人で帽子を被りながら草を引っこ抜いていると、そう言えば、せっかく屋敷を買うならば、庭の手入れをしたいとこの家を買ったこと思い出した。




 趣味に没頭していて奥方にしこたま怒られたという先輩の一人の言葉をきいたとき、俺の趣味とは一体なんだろうと首を傾げたのだ。畑の野菜を育てるのはどちらかというと、ただの習慣というような気がするし、せっかくだ。もう少しこの庭に目を向けてみてはどうだろうか。次の休みは、花の苗を買うのもいいかもしれないな。わくわくしてきた。






 エヴァさんがいると、なんだか楽しい。でも残りはたったの9ヶ月だ。

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