第10話

 いい天気だった。




 私がリオ様のもとへ嫁いで、はや2週間。どうなるものかと思っていたけれど、案外彼の屋敷は住心地がいい。もとは畑いじりにせいを出していた女だ。こちらに来てもやることもなく暇になったらどうしましょう、と考えていたもののあまりの掃除のやりがいに、そんな気分もふっとんだ。


 数年溜め込んだ埃や汚れはとても頑固だ。残り9ヶ月の間に、ピカピカにしてみせる。


 とは言っても、今日は屋敷の掃除はお休みだ。これからもっと寒くなるはずなのに、最後の力を振り絞った太陽がてかてかと輝いていて気持ちがいい。草だらけの庭も輝いて見える。今度は庭の掃除を重点的にしよう。その上にシートをしいて、この間見つけたノミをカコカコと動かした。リオ様のお屋敷には様々な道具が溢れていて不便がない。たたき売りされていたところを家具ごと買い取った、と言って(考えて)いらっしゃったから、きっと元の持ち主の趣味だろう。



 寒くなる、とは言っても、庭の中は快適だ。空を見上げてみると広くはない庭を囲むように薄い水の膜ができている。ぽちょん、とときおり膜が揺れて、雲が滲んだ。天幕水と言えば、水に特殊な液体を混ぜて、中の気温を適度に保つすぐれものだ。そのおかげで雑草が枯れることもなく、にょきにょきと元気になってしまっているのだけれども、最初に投資すれば、適度に雨を吸い取って、半永久的に庭を守ってくれる。大雨となると流石に難しいけれど、小雨程度なら雨に濡れることもない。



(本当に、便利なものね)


 今でこそ、神様からの“ちょっとした”贈り物、と言われているギフトだけれど、遠い昔は絶大な力を持つギフトを保有する人間は多くいた。この天幕水も、発明のギフトを持つ偉人によるものだ。


 私が持つギフトも、過去では珍しいものではなかったのだろうか。



 とかなんとか考えながら、無心にノミをふるった。かこかこ。きしきし。はあはあ。「我ながら、とても素晴らしいできかもしれませんよ……!」 無意識に呟いていた。見事なまでのカボチャだった。



 先日リオ様が持って帰って来ていただいた、おばけカボチャの成れの果てだ。中身はスープやらパイやらプリンやら、様々なものに化けて、それはもう(心の中で)リオ様にも盛大に喜んで頂いた。作り手冥利につきるというものである。そうして中身がくり抜かれてしまったカボチャを見ていると、ふわふわと喜んでいたリオ様の心情を思い出し、捨ててしまうにはあまりにも切なくなってしまったのだ。



 決してリオ様のお顔が忘れられないのではなく、あまりに立派なカボチャが消えてしまうことが悲しかったのだ。多分。もともと原型を崩すこと無く中身だけくり抜いていたところを、さらに壁を薄くして、ついでに僭越ながら筆を走らせ、目印として目をくり抜き、顔を作った。「こ、これは……!!?」 何やら芸術的なものができてしまった。そうだ。カボチャ仮面と名付けよう。





(――――夫人は一体、何を作っているんだ……?)


 ふと、響いた声があった。恐らく庭の外だろう。目隠しのように木々が覆い重なっているけれど、その間をうまく利用してこちらを覗いてるらしい。聞いてみたところ、悪い人ではなさそうだ。ただ溢れ出る好奇心を抑えきれない、そんな様子だ。



(カボチャ……? カボチャだよね。どう見てもカボチャだ)


 どきどきしてきた。聞こえている。けれども聞こえていないふりをしないといけない。このままそしらぬ顔で屋敷に戻るべきなのだろうか、と考えた。でも思考の主は完璧に擬態して、こちらに気配を感じさせない。そんな人を相手にして、私は不自然無く逃げ帰ることができるだろうか。気にしすぎなのかもしれないけれど、どうしても不安になる。



 なので、気にしないことにした。


 そして行為の仕上げとばかりに、かぽりとカボチャを頭にかぶった。想像以上の素晴らしさ。




「うはっ! うわ、うは、うはーーーーー!!!? なんだそりゃーーー!!」






 スッ転げながら大爆笑する声が聞こえた。






 ***





「はじめまして、僕はマルロ・オランジェッド! リオの友人さ」


 数少ない、と言ってもいいのかもしれない、とマルロ様は自分の心の中でこっそりと呟いている。黒い髪にらんらんと光る赤い瞳はまるで猫のようで、友人の婚姻を知り、溢れ出る好奇心を抑えることができなかった、と彼は説明した。そこに嘘はないようだったけれど、一癖も二癖もある方らしい。正式に門を通って、荒れ果てた庭の中で互いに握手をしながら、逃げ出したい気持ちを押さえ込んだ。






(これがリオの嫁か。あいつは美しいと言っていたけれど、至って普通だね)



 まあそれが通常の反応だし、そもそもこのマルロという男性に比べれば、その辺りの女性はみんな裸足で逃げていく。なのでそんな彼に普通だと思われたことが、名誉なことと言ってもいいのかもしれない。


 ……というか、何を人様に吹き込んでいるんだ、と夫の頬をぺこちんと叩いてやりたくなって、今度は夫、なんて思っている自分が気恥ずかしくて、誰かにこの思考を読まれてしまったらと不安になったのだけれど、そんな人様の考えに土足で侵入しているのは、私以外にいるわけない。



(リオのやつ、せっかく飲もうと誘ったのに、奥方を一人きりにできない、なんて言って僕を放ってさっさと帰って行ったもんな。そりゃあ気にするなという方が難しいよ)



 この間、ワインを片手に浮気宣告をしたときの話だろうか。そう遅くはならない、と言っていた彼の予告通りに、さっさと戻って来られたものだから、もう少しばかり羽を伸ばしたって構わないのに、と気の毒にも感じた。それからマルロ様の声を聞いて、リオ様の優しさを改めて感じて、胸の奥がちくちくする。辛いような、申し訳ないような、でもやっぱり嬉しいような。



 そうぼんやりしている間に、彼はくるくると口を動かした。マルロ様は丁寧に謝罪の言葉を述べて、それから本来なら家主もいない夫人のところに、庭とは言え勝手をするのは申し訳ないとのことだが、どうしても。どうしても、我慢ができなかったのだと胸をかき抱いて叫んだ。「エヴァ夫人!」「は、はい!?」 勢い余ってちょっと引いた。「教えてくれ!」 押しが強い。



「これは、このカボチャは一体なんなんだい!? 見たところ、君が作ったようだが目的は!?」


「か、観賞用です……?」


「うわっはあ!!!」



 顔では軽く口元を緩ませる程度に留めているのに、心の底からゲラゲラと笑っていらっしゃる。



「いいねえ、観賞用! そういうのは好きだな。僕の家にも飾らせてもらいたいくらいだ! リオのやつは埃がたまるとかなんとか言っていたけど、いい趣味だよね。かぶることができるというのが、一番良いよお! これならヴァシュランマーチにも参加できそうだ! 視線を根こそぎ独り占めだよ!」



 もう彼の口が話しているのか、それとも心の声なのかもわからない。ぐるぐると目眩がするほどに言葉の洪水が溢れてくる方だ。わけがわからなくて、ただ瞬きをしていたとき、マルロ様はアッと慌てた。それから照れたように笑った。いつの間にやら抱きしめていたカボチャを、「失礼しました」とそっと返してくださった。


 その、まるで大切なものを返してくださるような、ゆっくりとした仕草にホッとして、「ありがとうございます」と頭を下げた。これはリオ様がくださったものだ。



 自分では気づかなかったけれど、勝手に笑ってしまっていたらしい。マルロ様の考えで、やっと気づいた。そのことが何だか恥ずかしかった。



(それにしても嫌われる努力だなんて)



 彼もご存知なことらしい。悲しげなような、呆れたような言葉が、ゆっくりと流れ込んでくる。(そんなの不毛なことに決まっているのに。自分が望むのなら、いくらでも方法は思いつくよ。なのにわからないということは、きっと自分自身、望んでやしないということだ) 脳みそのどこかで、考えてたまるものかとブロックしてしまうんだよと、マルロ様は、心の中でため息をついていらっしゃる。




 なのにそのお顔には変化がない。心と頭を、すっかり分けることができる方なのだろう。中々できることではない。




 マルロ様がとても聡明な方であることはわかった。でもそのお考えはどうだろうか。リオ様はとても優しい方だ。そんな方だから、人の嫌がることを考えつくのにも、人一倍苦労するのではないだろうか。




(できれば、彼女と彼が、幸せになることができたらいいのに)




 そう願いながらも、口元は軽やかに様々なことを話す彼も、やはりリオ様のご友人なのだ。似た者同士が、なんだかんだと一番うまくいくに決まっている。








 その晩、リオ様にマルロ様が訪ねてこられたという旨を伝えると、一瞬彼の思考は真っ白に染まった。それからからからと手の中から匙を落とし、拾い上げつつも頭の中では炎が燃え上がっていた。心の中のマルロ様はボコボコに打ちのめされており、いらないことを言ってしまった、と流石に少し反省した。

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