第9話


「僕が君の浮気相手? やばいねこれは。腹をかかえて笑ってしまうね、まあ僕は年がら年中笑い上戸なのだけどね! しかも10ヶ月の結婚、いや今は9ヶ月と残り少しの新婚生活中ってか!」


 文字通りケラケラと笑いながら、マルロは先程渡したはずのワインのコルクを勢いよく引き抜いた。真っ赤な瞳に劣らず、真っ赤な顔つきをして、へらへらとその場で踊り始める。



「これは僕が何度も君にお願いをしても調達してくれなかった、君のご実家近くで有名なワインじゃないか! さすがの僕もこれは飲んだことはないなあ。いやあ、どんな作り方なのかな。商人の息子としては製法が気になって気になって仕方がない」


 と、ここまで一気に早口で申し立てて、食事よりも酒ばかりを優先する男である。まあ、はあ、と相づちを打つうちに、話が膨らんでいくので楽な男と言えばそうなのだが、たまに何故自分はこいつと友人であるのか、不思議になるときがある。


 短い黒髪をご機嫌にふらふらさせるその男は、自身とほぼほぼ同じく王宮に仕えることとなり、俺の名を知った途端の開口一番に、『ああ、きみ、あの噂の幸運なギフトの持ち主だねぇ!』とこちらに人差し指を突きつけた。





 マルロ・オランジェッド。年は俺と同じく、本人が言う通りに元は裕福な商家の嫡男だったが、知識欲はあれど、金儲けには嫌気がさしたと自身のギフトを偽って家から逃げてきたという変わり者だ。ギフトとはあらゆる面で融通がきく。俺がトントン拍子に出世できたのは、得てしてギフトのおかげだ。となると、嘘をついてでも自身の技能を吹聴する人間も中にはいるが、すぐにボロがでてしまうし、ギフトの鑑定ができるギフトを持つ人間もいるのであまり意味はない。



 とは言っても、鑑定人はそう多くはなく、公式の場のみとされているため、詐欺を働く人間もいる。だがそれを自分の親にした、という話は初めて聞いた。頑なに自身のギフトを語らない息子に業を煮やした父親が怪しい出処の鑑定人に頼んだところ、マルロはさらに金を握らせ、適当なギフトを喋らせた。



 そうして商人としての才がないのならば、せめて人脈を得るためと金にものを言わせ騎士学校にねじ込まれ、本人の飄々としたそぶりとその身の軽さから、今では諜報役として暗躍している。



 ちなみにギフトを詐称する行為は、本来は大罪だ。この話をきいたとき、いささか眉はひねったものの家族間の揉め事となると法の範疇外だと結論を出したところ、「君ならそういうと思ってたよ」とマルロは顔を赤らめて笑っていた。ちなみに顔が赤かったのは、このときも盛大に酔っていたからだ。




「ちなみにマルロ、俺はお前に婚姻したことを伝えていないと思うんだが」


 今日はその報告を兼ねて手土産を持ってきたのだ。わざわざ外でする話でもないし、丁度マルロは休暇日でもある。休みとなれば彼は昼間にしこたま仕込んだ酒を抱えて、夜には家の中でくだを巻いているのが日常だ。



「いいかリオ。君は結婚したことを本部に報告しただろう?」


「ああ。扶養者の報告は義務だからな」


「つまりはそういうことだ」



 どういうことか。とつっこみながらもソファに沈んだ。俺の家と比べると、こちらは柔らかく沈み込むが、どうにも足の長さが合わない。体を縮め込みながら、正面に座るマルロを見た。どうせ、一人ではなんの方法も思い浮かばなかったのだ。なので洗いざらいぶちまけた。こいつの口の固さは折り紙付きだし、どうせ黙っていてもいつの間にやら仕入れてくる。



「まあなんにせよ、事情はわかったよ。それにしても“10ヶ月の法律”か……。そもそもリオ、よく君が知っていたね? いやあ、僕にとっちゃ常識中の常識だけど」


「クグロフ兄上から聞いて知ったんだ」


「なるほど。それじゃあ僕への相談というのは、事実の確認も含めてか」




 口をつぐんだ。


 さすがにそういった嘘をつく兄上ではないことは知っているが、念の為だ。ことは俺だけではなく、エヴァさんにも関わっているのだから。


 険しい顔をしてしまったところ、まあまあ、とマルロが肩をすくめた。




「君が持ってきたワインでも飲みながら話そうじゃないか」


「それよりも水をくれないか。俺は酒が飲めない」


「知ってはいるけど、一応の礼儀だ。しかし水はないだろう」


「いや、お前のところの水はうまい」


「いい舌をしているな!」


 マルロは気分良く手のひらを叩いて、「僕は知ってのとおり、飲み物にはなんでもこだわるんだ。食べるものはどうだっていいんだけどね!」 今度は手元の鈴を鳴らしてメイドを呼んだ。すぐさま持ってこられた水を受け取り、退室を確認して話を続ける。



「しかしエヴァ夫人は変わったお人だね。懐が広いと言えばいいのか、内を見せないと言えばいいのか。メイドの代わりをしてくれるとは、美徳にも見えるが、貴族によっては馬鹿にされたと怒りもするだろうに。それは夫人がすべき仕事ではない、という風にね」



 マルロの言葉を聞いて、口元を押さえた。それから必死に瞳を閉じた。


「食事も配達屋に頼っていた君がねぇ。そしてあのオンボロ屋敷が、今は輝きつつあると。興味深いな。僕も見に行ってもいいかい? ん、リオ、おいリオったら。なんでそんな真っ赤な顔をしてるんだ。僕に負けず劣らずだぞ」


 出した水にアルコールでも入っていたのか? という冗談半分な言葉に、いや、と首を振る。


「さきほど、マルロ、お前が……エヴァ夫人と言うから」


 他人に言われると、彼女は少なくとも書類上は自分の妻なのだということを思い出してしまった。「照れてたのかよ!?」と突っ込まれる言葉に唇を噛み締め、緊張をほぐすべしと一気に水を飲み込んだ。そうしてため息をついて部屋を見回す。相変わらずごてごてと飾り物が多い部屋だ。



「隙間に埃がたまりやすそうだな。掃除がしづらい家だ」


「僕の趣味にとやかく口を出すことはやめてくれるかな!? うちはメイドを雇っているからいいんだよっていうか、相変わらず気がそぞろなやつだな!」



 独り言のつもりが、うっかり口から飛び出してしまっていたらしい。しまった。もしかすると酒の匂いだけでも酔ってしまったのかもしれない。「まあいいや」とマルロはすっかり酔いが覚めた顔をしている。アルコールが抜けやすい体質は、彼にとっては不幸なことらしい。羨ましいことだが。



「一つ不思議なんだが、リオ、君には心に決めた女性がいたのか?」



 なんのことだ、と瞬きを繰り返した。確かに、惹かれる女性がいなかったと言えば嘘になるが、あくせくと働き続けてきた。家族以外の別のものが入り込むには、あまりにも俺の心が狭小だった。ぶるぶる首を振ると、「だよな」とマルロは顎をさすった。整った外見だ。城のメイド達が、彼が通り過ぎると顔を寄せて、囁き声を交わし合う姿をよく目にする。


「それならいいじゃないか。わざわざ離縁なんてせずとも。君がただの子爵家の次男だってことは向こうも知っている。もともと過度な期待はしていないはずだ。君一人が、それほど重荷に感じる必要なんて、どこにもないと思うんだ」



 そもそも女に嫌われる方法を相談されたところで、僕は好かれたことしかないからわからない、と真顔で言うものだから、こちらも神妙な顔になった。いやまあ、それはともかく。


「エヴァさんは、可愛らしい方なんだ。見かけもそうだが、いや、外見だけを言うのなら、美しい女性だと思う。いつも笑っていて、きっと温厚な方なんだ。なのに、なんだろうな。ときおりとても可愛らしく笑う。俺が何も言わずとも、全て見透かしているような」


「それはまあ、男が女に思いがちな幻影だろうが続けてくれ」


「持参金とは、つ、つつ妻である彼女に、本来は使うべきものだろう。なのに全てはとっくにすっからかんだ。そんな俺に、彼女を貰う資格など、そもそもありはしない。あの可愛らしい彼女なら、縁談なんて、本来はよりどりみどりだと思うんだ」


「妻という言葉にどもりすぎだろ?」



 しょうがないだろ。


 と開き直りたいものの、赤い瞳のマルロの視線が、ずしずしと突き刺してくる。「まあ確かに、いくら変わり者と言われていたところで、カルトロールのご令嬢だ。もっといい縁談はいくらでも作れたとは思うけど」 と言いながら、彼は水しか入っていないコップに、かちりと涼やかな音を立ててコップをぶつけた。





「なんにせよ、これは目出度いことだよ。だから祝いの酒を飲もうじゃないか。もっとも飲むのは俺だけで、君は水しか駄目だけどさ」

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