第8話

 リオ様は、ひどく嬉しげにご飯を召し上がる方だった。



 いや、お顔の方はと言うと、必死で仏頂面を作っているから、その場の雰囲気だけ見るのであれば、それはもう気まずい沈黙が流れているのだけれど、私からすれば彼の周囲にはほわほわとお花が散っている。ピンクのお花が咲き誇って、ジョウロで水を撒いているかと思いきや、仕事の不安を思い出したのか雷鳴が響き渡る。でもすぐにパンを口にふくんで、ほわっときらめく空の中に虹がかかっていた。


 なんとも忙しい彼の中の心情を見るには飽きなかった。

 その上。言うにことかいて。私のことを美しいだなんて。


 そんなことを思う人はまったくいなかった、と言えば嘘になるけれど、ほんの一握りだ。


 カルトロール家の離れの屋敷にひきこもって、たまのお客様にお会いしたとき、令嬢にはあるまじき逞しい腕だとか焼けた肌とか、手入れのしやすさから短く切ってしまっている私の髪を見て、まずは一歩引く方の方が多かった。


 そりゃあ、なんたって日の下で活動する時間が多いんだもの。




 綺麗な髪と言われたところで、傷む前に切ってしまっているのだから、男性の彼にはそう見えただけだ。実際はくしゃくしゃで櫛でだってあんまりとかさない。つまり。自分で言うにはとても恥ずかしいのだけれど。単純に、私の容姿が、彼にとってとても好みだった、という話なのだ。



 そう考えた後に、心の中で一拍置いて、深呼吸した。


 爆発した。


(なんていう、気の毒な方なの…………!!?) 



 いや彼の審美眼に異を唱えたいわけではなく、そこを言うとそれはそれでわけがわからなくなってくるので、それはともかく。心の中でひっそりと考えていたことを、その本人に見抜かれ、そうとも知らずそしらぬふりをしている旦那様(仮)が不憫で不憫でたまらなかった。




 だからもう、自分なんて嫌なのよ、こんなギフトなんて! と息巻きながら、椅子に座ってため息をつきながらも髪をとかしている自分に気づき、「わはーーー!」 思いっきりベッドに櫛を投げつけた。


 リオ様がまだお帰りになっていなくてほんとによかった。奇妙な叫び声が飛び出ていた。


 一応年頃の女ではあるので、鞄の中に忍ばせてはいたものの、それの日の目を見る日はいつになることやら、と考えていたのに。さっそく取り出している。つやつやしている黒髪だ、なんてリオ様が会う度にこっそり思うから、自分でも気になって仕方がないのだ。こっそりがまったくこっそりしていない。


 こんなに長く人といることは久しぶりだ。自分でもいつからかわからないほど、離れの中に引きこもっていたから、きっと緊張で目眩がする。と思っていたのに、蓋を開けてみればツッコミどころ満載のリオ様のお考えに、ただただ叫びたい言葉を必死に我慢して口を閉じる毎日だった。


 なんでもはいはい、と適当に答えて生きてきたはずなのに、18年間の忍耐力でも耐えかねた。リオ様は未だに(初夜を残業で潰すのはさすがにひどかっただろうか。せめてよろしく頼むと酒でも酌み交わすべきだったのか? いやでも俺飲めないし)と悶々している。リオ様お酒は駄目だったのか。というかそこはもう気になさらなくてもいいですから!


 彼と話すのは朝食のときがせいぜいで、時折晩ごはんもご一緒した。リオ様は頭の中では目まぐるしく忙しそうだが、個人的にはとっても平和な時間だった。




「ところで、あなたは、どの部屋を使っているのだ?」


「一階の、一番入り口に近いお部屋を。とっても居心地がいいのです」


「あなたは何を言っているんだ!?」



 なのでぴしゃんといきなり落ちた雷に、びっくりして持っていたスプーンを落としそうになってしまった。彼はこんなに眉間に皺を刻んでいても温厚な方だと思っていたからびっくりした。でもその怒りに染まった表情は、私に対してではなく、自分自身に対してだということに気づいたとき、二度驚いた。



 王様のお膝元ということと、リオ様たちが定期的な巡回を行っているおかげで、ここ王都は比較的治安は落ち着いているとは言え、何が起こるかわからない。一階の、それも玄関近く! 「何を考えているんだ。信じられない」 その声は、私に向けてではなく、リオ様自身だ。そんなことにも気づかず、エヴァさんを一人きりにしていたのか、と悔いている声だった。



 カルトロールでも一人きりだったから、そんなことはすっかり抜け落ちていた。万一不審な人間が近づいてきたとしても考えは読めるし、あそこは父の敷地内で、それこそ近くに警備の人間が四六時中立っている。考えが足りなかったのは私だとすぐに謝罪した。本当に、彼は私のことを心配してくれていたのだ。



 それから、彼のことがもっと気になった。


 料理や掃除をしなくてもいい、と言うものの、心の底ではありがたく感じてくれていることを知っている。彼が持って帰ってくるお野菜は、リオ様たちが作ってくれたものであるらしくて、それはどうやら秘密らしい。おばけみたいなサイズのカボチャを両手にかかえて、「とっても大きくてすごいですねえ!」とびっくりすると、リオ様はたいそう嬉しげに花を散らしていらっしゃった。もちろん、心の中だけだけど。






「申し訳ないが、少しばかり外出する。そう長くはないが、戸締まりはしっかりしてくれ」


 だから思わず聞いてしまった。「わかりました。一体どちらへ?」 心の声を聞いたから、もう知っている。仲良しの同じく王宮で働くご友人のもとだ。リオ様は、ぴこんと頭の中で手のひらを叩いた。(浮気ということにしよう!)



 浮気って、決めてからするものなの?



「それを私に聞くのか? 野暮というものだ。かねてから親しくしているもののところへ、と言えば、あなたでもわかっていただけるだろうか」



 髪をかきあげながらの彼の仕草と、心の中ではびくびくしっぽを垂らしながらこちらを窺う姿があまりにもちぐはぐで、さすがの私も笑ってしまった。これはもうしょうがない。


 リオ様は頭の中で大きなクエスチョンマークを飛ばしながら、とぼとぼとご友人のもとへ消えていった。また帰ってきたら、楽しげだった思い出を心の中で語ってくれるのかもしれない。


(いい人なんだな)



 リオ・フェナンシェット。


 不器用でも正直な、家族思いで、心根が真っ直ぐな人なんだろう。


 ふと、何枚も書いた書類の名前を思い出した。エヴァ・フェナンシェット。そう言えば、私も、もうその名前だったんだ。例え書類上の話なのだとしても、彼の妻が私であることを思い出して、なんだかひどく耳の裏が熱くなった。




 彼が育てた立派なカボチャを抱きしめて、こつりと叩くと、とってもいい音がした。


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