第7話

 朝一番にひとしきり混乱したところで、「リオ様、まずは朝食になさいませんか?」となぜだか口元を引きつらせていたエヴァさんの提案に、幾度か瞬いたあとに、ハッとした。


「いや、そういえば食事は――――」


 保冷庫の中に、作り置いておいたものがあったはずだ。いくら嫌われようと考えていたとしても、衣食住の提供は行うべきだと今更慌てたあとに、うまそうな匂いに鼻孔をくすぐられた。そう言えば、俺は匂いにつられてここまでフラフラとやって来たのだ。


「この匂い……は……?」


「そろそろ焼けたみたいですねぇ」


 そう言って、エヴァさんはかまどの扉を開いた。妙に部屋が暖かかったのもこのせいか。立て掛けていた金具で、中身を取り出し、皿の上にパンを並べる。首を傾げた。「……これは、どこから?」 馬鹿な質問をしてしまった。まさかパンが宙から飛び出てくるわけもない。言い直した。「パンの種もなかっただろうに。一体何故」 俺はちゃんと、尊大に聞けているだろうか?


「ああ、材料ならありましたから、作りました」


「作った!?」


 カルトロールの令嬢が!? 幾度も瞬いた。そう言えば、家の中が昨日と変わって、きらめているとも思っていた。まさかそれも。「勝手にしていい、とおっしゃっていましたから。掃除がてらに家のものの所在もある程度把握もできましたから」「掃除をした!?」 想像していたはずなのに、まさにその通りの返答に、ぽかんと口を開いてしまった。



 まさか侍女がいないからと、初めて行ったわけでもないだろう。無理をしているわけでもなく、まるで普段からしているような、そんな手付きで彼女はちゃきちゃきと食卓に皿を並べていく。


 変わり者なのだ、と兄上が言っていた言葉を思い出した。ああなるほど、と考えて、ここは嫌味の一つでも言うべきなのだろう、と気づいた。


「さすが――――」


 芋令嬢だな。そんな言葉を言おうとして、どうしても言えなかった。


 言えるわけがないだろう。


 エヴァさんは中途半端に言葉をつまらせて、宙ぶらりんになっている俺には気づかなかったようで、よかったよかった、と胸をさすって、そんなことを考えている場合ではなかった、と食卓についた。ちらりとこちらを見ている彼女に気づきながらも、柔らかいパンを口にふくんだ。うまかった。


『いやいや、これはひどくまずい!』


 そういうべきだ。わかっているのに言えない。うまい。すごいじゃないか。俺には到底できそうにもない。もう少し欲しいぐらいだ。ぜひとも次も焼いてほしい。



 そんな賞賛の言葉が、次々に心の中で溢れている。それを押し止めるのはひどく気合のいる作業だった。俺はただ無言で食事をした。大丈夫だ。きっとなんの感想もなく、こうして食事をしていることは十分に失礼だから、俺は嫌われる行動をとれているはず。いやしかし待て。本来食事中の会話はマナー違反なわけで、粗野な男たちが溢れかえるフェナンシェット家の食卓と比べても仕方がないのでは。




 ぐるぐる目を回しながら、食事は終了した。片付けを、と立ち上がるエヴァさんに、さすがにそれは結構だと片手を出したが、そろそろお仕事の時間でしょうから、気にしないでください、と笑ってかわされてしまった。いやあなた、俺の家に使用人として来たわけじゃないでしょ?




「どうすりゃいいんだ……?」


 訓練からの帰りしな、肩を落としてしまったのも、仕方のない話だろう。エヴァさんは、進んで下働きを申し出た。料理も掃除も結構だ、と伝えてはいるものの、あの汚い空間に彼女を閉じ込めておくのかと言われると胸が痛い話で、俺が強く否定できないところもある。


 そう言えば、兄上が、彼女は離れに一人住んでいた、と言っていた。つまり、身の回りのことは全て自身で行っていたということかもしれない。すぐ近くに家族がいて、一体何故? と疑問を感じはするものの、まさか本人にきくわけにもいかない。


 ため息をついているくせに、自分の手元にはおばけのようなでかいカボチャを抱えている。どうやってこれを料理してくれるのかと、心の中ではうきうきと飛び跳ねていた。訓練場の隣の敷地を借りて、実はこれも俺が作ったものだ。彼女には一生ばれないことを祈りたい。



 長くクワを振るっていなかったため、初めはただムズムズした気持ちをごまかすべく耕すだけだったのだが、同じような境遇の同僚たちが、いつの間にやら訓練ついでに入れ代わり立ち代わり世話をするようになっていた。騎士と言えど、仕送りのため自身のギフトを武器に村から飛び出てきた若者も多い。



 持ち帰ったときは軽かったはずのカボチャが、なぜだか重たく感じてくる。この程度、なんともないはずなのに。


(そもそも、嫌われるって、どうしたらいいんだよ……)



 すでに十二分に失礼過ぎる行いをしているじゃないか。眉間の皺もそろそろ辛くなってきたし、傷つけるような言葉は、なるべく言いたくない。そう考えるのはむしが良すぎる話なのだろうか。


(つまり、俺自身が最低だと思って貰えればいいのか……?)


 つまり、どうやって? と考えていたとき、ついにきっかけがやって来たのだ。






 相変わらずうまい晩飯を頂いて、必死の我慢で口をつぐんだ。そして代わりとばかりに彼女に告げた。


「申し訳ないが、少しばかり外出する。そう長くはないが、戸締まりはしっかりしてくれ」


 彼女が一体どの部屋を使っているのかと尋ねたところ、まさか玄関に一番近い場所にしたと返答が来るとは思わず、ひっくり返ったのも少し前だ。何かあったらどうするんだ、いやこれはもともと用意もしていなかった俺のせいでもあるのだが、と思いながらも、2階の端で、俺の部屋の隣を一つ挟んだ部屋に移動してもらったのは記憶に新しい。


「わかりました。一体どちらへ?」


「ああ、それは――――」


 あっ、と思いついた。兄上からもらったワインを渡すべく、知人のもとへ訪ねるつもりだったのだが、これがもし女ならどうする。女癖の悪い男というのは、いつの時代も嫌われてしかるべきだろう。


 今しかない、と思った。なのでふう、と息を吐いて首を振る。




「それを私に聞くのか? 野暮というものだ。かねてから親しくしているもののところへ、と言えば、あなたでもわかっていただけるだろうか」




 ふふんと笑う。


 ちなみに浮気相手のところへ、とはっきりいうには恥ずかしかったので、うまいことごまかしてみたのだが、我ながら上出来だった。




 エヴァさんはぱちくりと瞬いた。驚いていることだろう、自分自身に花丸を与えているとき、ふふりと彼女は笑った。




「そうでしたか。では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」




 なんでだよ。






 玄関まで軽やかに手を振って見送られて、なぜだか振られたような気分でワインを片手に夜の街をとぼとぼと歩いた。いやほんとに。なんでだよ?

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