29.「ケーブルですが? 補給用です」

「何ですか?」


 またこの敬語だ。彼はややにやりとする。

 ちょいちょい、と手招きをすると、腕を伸ばし、近づいてきた「部下」の頭を右手で抱え込むと、唇を合わせた。

 離れると、何だかなあ、という顔でキムは中佐の顔を眺めている。そういう表情を見るとまたもやおかしくなり、何かひどく楽しくなってくる自分を感じる。

 何だろう、とにやにやと笑いながら彼は思う。

 何やら実に、それは愛しいという感情と似ているような気がする。

 本当の感情はどうだったのか、何やらもうずいぶんと遠い話のような気もするから、それに近い、としか思えないのだが。

 ひどく馬鹿馬鹿しいとは思う。もし今自分が作っているこの表情が苦笑だとするなら、それは自分に対してだ。

 だからと言って、この目の前に居る「部下」が、組織の同僚であるのは変わらないし、組織の同僚である以上、逆に盟主の指示一つで寝首をかかれる可能性だってあるし、自分もいつそうするかは判らない。

 だがそれとは別の次元で、確かにそう思う自分が居るのだ。それは認める。そして楽しい。


「……それで」


 まだ何やら不思議そうな顔をしているキムは、言葉のモードを変えた。


『動き出したよ』


 ぴん、と中佐の眉が片方上がる。


『筋書きが、最後の詰めに入るんだよ』


 ふふん、と中佐はくわえ煙草のまま、腕組みをして笑う。


『あんたの方にも情報は入ってきてるでしょ?』


 吸い尽くした煙草をじり、と灰皿になすりつける。消えきれない吸い殻は、一筋の流れを大気中に作り出した。だがその流れは、会話によって乱されることはない。


『向こうの都市のブラーヴィンが動き出した。当局もそれに気付いている。さてこの都市の連中はこれにどう呼応するか』

『呼応は、するもんでなく、させるもんでしょ』


 にこやかに、キムは断言する。

 ああ確かに、と中佐は思う。するのは自然の流れだが、その自然な流れに、自分達は、少しでも手を加えなくてはならない。


『それにもう一つ』


 中佐は再び、同僚の口の動きをたどる。そしてポケットからまた次の煙草を取り出す。もう残り少なくなっている。できれば、このシガレットケースに煙草が入っているうちに、この場を何とかしたいものだ、と彼は思う。


『こっちはこっちで、あの連中はどうやらすっぱぬきを敢行するらしい』

『あの連中がねえ』

『伊達にあの部長さんも、シミョーンの関係する学群に居た訳じゃなさそうだね』

『そのへんは、勝手にやらせておいても何とかなるだろうさ。問題は司政官だが』


 ぷるぷるとキムは首を振る。


『心配無用、だって。少なくともあれは、我らが組織とは無関係』


 あっさりとキムは言い切った。彼はそれを見て、やや皮肉な笑いを飛ばす。


『それは我らが盟主の意向でもあるのか?』


 そしてその意味に気付いたのかどうなのか、キムはそれに対しては、またあっさりと答える。


『どうかな。でもMの目的は、ここに関しては、とにかくここという場所が必要みたいだったからね。俺はそこまでは知らないけれど』


 はて。


 ふと中佐は引っかかるものを感じた。すると盟主の必要としているのは、この惑星の、政治だの資源だの財源だの、ということではなく、「場所」そのものということなのだろうか?

 彼は口の端をかりかりとひっかく。そして取り出した煙草に火を点けようとし…… 点かないのに気付いた。


「お前ライター持ってるか?」

「ちょっと待って下さい」


 キムはごそごそ、と上着のポケットをまさぐる。ああでもないこうでもない、と彼はポケットの中身を一つ一つデスクの上に置き始める。


「あれ? 変ですねえ。いつも何かしら持ってるのに」

「お前は吸わないだろう?」

「でもあると便利ですから」


 まあ確かにな、と思いつつ中佐は、キムの出した一つ一つに目を走らす。ライターならぬマッチ、小型のヤスリ、小さな櫛、小型のナイフ…… 小型のもののオンパレードといった調子のものが並べられている。

 だが彼の目を引いたのは、その中のどれでもなかった。


「……おい何だこりゃ」


 彼は一くくりのケーブルがそこにあるのに気付いた。両方に奇妙な形の端子がついたそれは、何か何処かで見たことがあるような気がするのだが、どうも思い出せない。


「ケーブルですが? 補給用です」

「補給用?」

「はい、補給用です」


 それ以上の説明はしそうになかった。あああった、とポケットの隅に落ち込んでいたらしい小さなライターをキムはこん、と音をさせてデスクの上に置く。

 火を付けながら、何かが引っかかっているのを彼はまだ感じていた。

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